妖精の風 のらくら文芸部企画もの

棚霧書生

妖精の風

4分33秒、民間語源、フィンブルの冬


 冷たい風が吹く秋の終わり。紅い月が妖しく輝いていた夜のこと。ふらっと酒場に現れたその人はとても変わった格好をしていた。

 派手な鳥の飾り羽がついた中折れ帽、背中には大仰なビロードのマントをまとい、種類の違う布を歪に貼り合わせたような奇抜な服のところどころには小さい鈴が縫いつけられていて、シャアンシャアンという音が彼が歩くたびに鳴る。浮世離れしているのはもちろんだが、あまり人間臭さの感じられない人だった。

 街の酒場でマスターをして、色々な客を見てきた俺でも彼の姿にはちょっと驚いたくらいだから、そのとき酒場にいたお客たちは最初、奇異の目を隠すこともなく彼を注視していた。しかし、そんな視線に物怖じすることもなく、彼は高々と声を上げる。

「はじめまして、フェアリエの皆さま! わたし、吟遊詩人をしております、テイルと申します。しばらくは皆さまがたが棲むこの美しい街、フェアリエに滞在する心づもりですので、お見かけの際はどうぞわたしの歌を聴いていってください!」

 突然のことにみんな目を丸くしていた。テイルと名乗った男はすかさずマスターである俺に向かって「今ここで一曲歌ってもいいでしょうか?」と形ばかりのお伺いを立てる。俺が返事をする前にテイルは小型ハープを手に、歌いだしていた。


 テイルはあっという間に酒場の人気者になった。ハープの美しい音色にどこか幻想的な素晴らしい歌声。毎夜、俺の酒場をステージにして街の人々の耳を楽しませ、心を癒してくれた。

 日によって彼は披露する歌を変えていた。いったい彼の頭の中にはレパートリーがいくつあるのか。毎日、彼の演奏を聴いている俺でも同じ曲を耳にするのはたいてい他の客がこの間のものをもう一度やってくれ、と彼にリクエストしたときだけだった。しかし、一つだけ例外の曲がある。閉店時間の迫った最後の時間に彼は必ず「フィンブルの冬」という歌を歌った。何度も何度も繰り返し演奏されたその曲は、薄暗くて物憂げな旋律で彼が扱うどの曲とも雰囲気が違っていた。

 彼がそれを歌うと辺りがシンと冷えこみ一晩の酔いもみるみる覚めてしまうような、寂しい歌。

 だから「フィンブルの冬」が嫌いな人も結構いた。やめろ、なんてストレートな野次が飛んできた夜もあった。だけど、テイルは絶対にライブの最後には「フィンブルの冬」を弾き語るのだ。

「フィンブルの冬を必ず歌うのは、なにかこだわりがあるの?」

 その日、俺は興味本位で彼に聞いた。

「“アレ”を歌うのがわたしの仕事なのさ」

「それって、どういう意味……?」

 吟遊詩人だから歌を歌うのが仕事だというのはわかる。だが、わざわざ人気のない曲を演じるのは特別な理由があるからだろうか。俺がさらに深く尋ねる前に、彼はニコニコと笑って言う。

「マスター、君の作る酒がこの街で一番美味だよ!」

 まるで女を口説くときみたいにカッコつけた声でそう言ったものだから、この店で出したことのない特別に辛い酒を彼の前に置いた。わかりやすく、彼にはぐらかされた腹いせ、というわけではないが彼が酔い潰れて醜態を晒せば面白かろうと思ったのだ。だけど、俺の思惑は外れて彼は夜明けまでピンシャンしていた。よほど酒に強いらしい。化け物みたいな酒量を呑み干した彼に「人間じゃないな」と軽口を叩いたら苦笑いが返ってきた。

「店を閉めたあと、少しわたしに付き合ってはもらえないだろうか?」

 彼のその誘いに乗ったのはその場の気まぐれで深い考えはなかった。街外れにある裏山まで連れて行かれたのには不満があったが見晴らしのいい野原で浴びる柔らかな朝日と火照った体にはちょうどよい涼しい風が心地よかったものだから彼への文句はそこで霧散してしまった。

「フェアリエは本当にいいところだね。空気が澄んでいる」

 色んな街を見てきたであろう吟遊詩人の彼に自分の棲む場所が手放しに称賛されるのはこそばゆいものがある、たがやはり嬉しくもあった。

「……フェアリエは妖精の風が吹く街だから、空気が綺麗なんだ」

「妖精だって?」

「ただの伝承だけど。むかしむかしこの街には妖精がたくさんいた。妖精たちが飛び回れば飛び回るほど、妖精の風が起きてそれが街に吹き渡る。そのおかげで春には香しい花々が咲き乱れ、夏には旺盛な緑が繁茂し、秋にはみずみずしい果実がもたらされる」

「……冬の話はないのだね」

「冬は妖精たちが隠れてしまうらしい。きっと妖精たちは寒いのが苦手なんじゃないか? まあ春にはまた戻ってくるんだろう」

「そうだとしても長い冬を過ごすのはさぞつらいだろうね……」

 弱々しい彼の声。表情は極寒の吹雪の中にいるようで、すごく辛そうだった。そしてなんだか寂しそうでもあった。俺と一緒にいるのにひとりぼっちみたいな顔をしている。

「テイル、大丈夫? もしかして今ごろ酒が回ってきた?」

 彼の体がぐらりと揺れる。顔は蒼白い。

「ああ、酒酔い……いや……そうかもしれない、すまないが少し横になってもいいだろうか」

 彼は服が汚れるのも構わず地面に横たわる。とびきり強い酒を出してしまった負い目もあり、俺は彼に膝を貸してやると申し出た。彼はいつもの中折れ帽を腹の上に置いてから、俺の膝に頭を乗せた。

「わたしから誘ったのにこんなことをさせてしまって申し訳ないね……せめて、退屈しのぎに歌でも歌おうか?」

「気にしてないし、気分が悪いときに無理して歌われても困るだけだよ。自然が奏でる音でも聴いてるから大丈夫」

 テイルはゆっくりと微笑むと目を瞑った。無言でいても周囲の音が耳に入ってくる。風の吹く音、葉の擦れる音、自分が息を吸って吐く音に彼の寝息。世界には音がたくさんあって、自分もその音の一つで、テイルもそうだ。いつもはそう意識しない生きている感覚が身のうちに脈打つ。俺はこっそりと彼の髪を撫でた。彼が起きるまで繰り返し何度も。


 次の日、テイルは真っ昼間に俺の酒場にやってきた。まだ開店もしていない時間帯だったが、別れの挨拶にきたと言った彼を俺は黙って店の中に迎え入れた。

「昨日の夜、ここに来なかったのは酒が抜けきらなかったからだと思っていたけど、旅支度をしてたんだね」

「フェアリエでのわたしの仕事はもう終わってしまったからね。次の街に行かなくてはいけない」

「吟遊詩人ってのはもっと自由なものだと思ってたけど、どこかの誰かと約束事でもしてるの?」

「……それは秘密だよ。今日は、君に提案があってきた」

 テイルは一瞬、いたずらっ子のように微笑んだかと思うと今度はひときわ真剣な表情を俺に向けてくる。

「わたしと一緒にフェアリエを出てくれないだろうか?」

「……なんだって?」

 あまりに突飛な話に上手く言葉が出てこない。彼とフェアリエを出るとはつまり、この街を捨てろということか。

「フェアリエには直にフィンブルの冬がやってくる。長い冬だ。その間、ここにずっといるのはきっとすごく大変なことだから、わたしと一緒に……」

「ハハッ、冗談はやめてくれよ!」

 今の生活を捨てて吟遊詩人の男についていく道なんて世間知らずの生娘でもなければ選ぶわけがない。きっとそれは彼もわかりきっているのだろう。彼は少しだけ残念そうな顔をして笑っている。

「覚悟はしていたけれど、これだけスッパリと断られると、少し恥ずかしいね」

「俺が女だったら、さっきの甘言につられた可能性がちょっとはあったかもね。それくらいテイルは魅力的だよ」

「……おお、友よ! どうか厳しい冬を乗り越えておくれ」

 そう言うと彼は俺の頬を楽器を弾く長い指で撫でた。額にかかっていた髪が退けられると、続けて彼からのキスが降ってきた。

「妖精の加護がきっと君を守るよ」

 それが俺とテイルの最後のやりとりになる。寒い冬が始まる直前に彼はフェアリエの街を去っていった。


終わり

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