第2話 再開

草花と土の匂いが立ち込める山道、

道端には山桜が咲いている。

ソメイヨシノのように花をたくさんつけるわけではなく、

花数は少ないが、一生懸命生きているその健気な姿が昔から好きだった。


山桜の幹をなでて、「ただいま」と言う。


祖父母が事故で亡くなり、空き家になった家に住まうため、私は小学生以来初めて戻ってきたのだ。


「なつかしいなあ。子供の時以来なのに、桜、変わってない」


相変わらず静かに佇んでいるお気に入りの桜の木を眺めながら

私は歩みをすすめた。


この木からおよそ100歩ほど歩けば家に到着する。

子供の頃の目印だったのだ。


「一、二、三・・・」

数を数えながら歩く。


「四十九、五十」

今の私は20歳の大人。歩幅もあのころの倍になっていた。


「ただいま、戻ってきたよ」


誰に言うでもなく、私は古ぼけた祖父母の家に問いかけた。

ガラリと玄関の扉を開けると、中は几帳面な祖母の手によって綺麗に片付けられ

無駄なものは一つも置かれていない。

小学生の短期間滞在した日から、あまりにも何も変わっていないことに

驚きを隠せなかった。


「なつかしいなあ。ここであの夏、過ごしたんだよね」


ザラリと思考がにぶる。

夏の思い出を思い返そうとするといつもそうなのだ。

祖父母の家や周りの草木のことならいくらでも思い出すことができるのに、何をして過ごしていたのか、それだけが思い出せない。


「さてと、まずは掃除から始めないとね。」


私は腕まくりをすると、ハタキで天井や棚に積もった埃をおとし、床を箒で掃き、最後にしっかり絞った雑巾で床をピカピカになるまで磨く。

まだ肌寒い季節だけれども、体を動かしていると汗をかくし、喉も乾いてきた。


「ちょっと早いけどおやつを食べながら休憩しようかな。」


私は持ってきたビスケットの袋を開けると、コーヒーを入れるためのお湯を沸かしに台所にたった。

コポコポ

コーヒーを入れる時はいい香りに満たされる私のお気に入りの時間の一つだ。


私は今、しがない絵本作家として生計をたてているのだが、ネタに詰まったときはコーヒーを豆から挽いて、丁寧にお湯を回しいれる。


コーヒー粉がふっくら膨らんで、浮き上がる所を見ると、ほっとすると同時に新しいアイデアがふくらんでくる、ラッキーアイテムの一つでもある。


「今はいい時代になったな。郵便もネットもあるから、こんな田舎からでも絵本の仕事を続けられるんだもの。」


私は入れたてのコーヒーを一口のむと、ビスケットを置いたテーブルに戻った。


すると、そこには先ほどまでなかった木の実が山盛りになって、代わりにビスケットが少し減っていた「何これ!?さっきまではなかったよね、それにビスケットが減っている...]


(リスでもいるのかしら?それにしたって木の実をこんなに沢山持ってくるリスって・・・)

私は両手一杯の木の実を見つめた。

赤やオレンジの木の実、どんぐりもある。どれも、食用には向かないものばかりだった。


「綺麗、そうだ、これを題材に新しい絵本を描こうかな」


私はさっそくスケッチブックを取り出して木の実をスケッチし始めた。


熱中していたから気が付かなかったのだ。

物陰から私をじっと見つめる小さな瞳に。私はビスケットをかじりながら、

山盛りの木の実をスケッチした。


最後の一枚に手を出したときだった。


「あう、なくなりゅ」


可愛い子供の声が聞こえてきたのでビックリして振り返ると、タンスの影から半身を乗り出してよだれを垂らしたモモンガがいた。


「...たべる?」


なんでモモンガがいるのかとか、

そもそもなんでモモンガが喋るのかとか、

そんなものどうでも良いくらい、モモンガが可愛いくて、持っていたビスケットを差し出した。


「ぴゃあ!しまったあ!みまちたね。僕のこと」


「見ちゃったね、可愛いね」


なんだろう、この可愛い生き物は。


「僕はもうおとなでし。食べ物に釣られたりちまちぇん。」


そう強がりをいいながらも、モモンガは私の持っているビスケットに鼻先が触れる距離まで近づいて来ていた。


ふわふわの体、くりくりの黒い目。可愛い。

私はたまらずその小さな体を抱き上げてぎゅうっと抱きしめていた。


「ぴゃあ。捕獲されまちた。緊急事態でし」


ももんがは大慌てで何とか腕からのがれようとするが、短い手足をばたつかせる姿も可愛くて、私はすっかり夢中になっていた。


「意地悪しないから逃げないで。モモンガさんビスケットあげるから」


私は片手にモモンガを抱えもう片手でビスケットを差し出した。


「ボクは簡単なオトコじゃありまちぇん。こんなもので買収などされないのでし」


そう言いながらビスケットを受け取るともぐもぐ食べ始めた。

(言葉と行動が一致していないところがさらに可愛い。)

だけど、それを口に出してしまうと、モモンガのプライドが傷つくだろうからと心の中にしまっておいた。


「君はどうして喋れるの?この辺の動物は皆そうなの?」


私はかねてからの疑問をモモンガにぶつけてみた。


「いいえ、僕はトクベツなのでし。主さまから言葉を教えてもらったから

喋れるようになったんでし」


主様?

この子はどうやら誰かに言葉を教えてもらって、こうなったらしい。


(モモンガに言葉を教えようなんて、かなりの変わり者だな。そもそもモモンガって喋れるようになるんだっけ?)


モモンガの生態はよく知らないけれど、喋れるモモンガなんて聞いたことがない。


「貴方の主様はどんな人なの?私も会ってみたいな」


「主様は偉いお方なのでし。簡単に居場所を教えるわけにはいきまちぇん」


頬袋をパンパンにしてフイと目をそらす。

何もしても可愛い。

私はこんな可愛い生き物を育てた主様という人に俄然興味が湧いてきた。


「ねえねえ、主様の所に案内してくれたら、特別にマカダミアナッツのクッキーをあげるよ」


「なんでしかそれ?僕は木の実は好物でしけど、それ以外は口にしまちぇん」


今ビスケット食べてるじゃないとツッコミを入れたかったけど、グッと抑えて続けた。


「マカダミアナッツはね、日本には無い特別な木の実のことなんだよ?すっっごく美味しいの。ドングリなんて比じゃないくらいね」


モモンガの目がキラキラとひかり、ヨダレがたらりとでる。私は鞄からとっておきのマカダミアナッツのクッキーを取り出して渡した。


「じゃあこれは手付金ね、残りも欲しかったら主様の所に連れていくこと!」


香ばしい香りに一瞬で虜になったモモンガは一口でクッキーを頬張ってしまった。


「むきゅう!!なんでしか、なんでしかこれは!」


よほど美味しかったのか、目を閉じて黙々と味わっている。


「本当は、千鳥しゃんが自分で見つけないといけないけど、マカアナツに免じて主様の所に連れて行ってあげましゅ」


食べ終わると、モモンガはキリリとした顔をして私に告げた。


「どうして私の名前をしってるの?どうして貴方のご主人を探さないといけないの?私、会ったことのある人なのかな?」


モモンガは答えない。


「じゃぁいきまし。付いてきてくだしゃい」


そう言うと外に向かって走り出したモモンガはトテトテと短い足ながら、結構走るスピードが速くて気を抜けば置いていかれそうになる。


(私は子供の頃、こうやって野山を駆け回って…と…で)


まただ。何か思い出しそうになるとそこだけ靄がかかったようになって思考が停止してしまう。

私が戸惑っている間も、モモンガは脚を止めることなく走り続ける。

私の家の前の坂を上り、脇には青々とした緑が広がる道をトタトタ走るモモンガを

私は全力で追いかけた。

息も絶え絶えになりながら、なんとかモモンガの姿が見える距離を保っていたけど、

ついに山道に踏み入る所で見失ってしまったのだ。

モモンガを見失った山道までくると、そこは、古い石造りの鳥居が一つある参道だった。

そして、奥にはボロボロの社がひっそりと佇んでいた「知ってる・・・この場所。」

そう、私はここを知っている。

田舎に預けられた数週間をこの場所目指して毎日走った。

(でも、何のために?こんな場所にかよっていたのだろう)

そこでまた思考が鈍る。

(ええい、ここまできたなら女は度胸!入ってみよう)

私は石造りの鳥居に手を触れながら、そっとそこを潜り抜けた。

とたん、私の周りの空気がかわった。

日本特有の湿った空気が、乾いた澄んだ空気にかわり、

辺り一面、穏やかな風にふわりふわりと朝顔の花が揺れている。

今は春だ。本来なら朝顔なんて咲いているはずがない。

私がその色とりどりの花に見入っている時だった。


「おかえりなさい。千鳥」


なつかしい愛しい声が後ろから聞こえてきた。

(ああ・・・私この声知ってる)

深呼吸をして振り向くと、そこには、あの頃と変わらない

ボサボサ頭でボロボロの服、紺色の長靴をはいたナナシが立っていた。

涙があふれて止まらない。どうしていままで彼を忘れていたんだろう。

何故もっと早く会いに来てあげなかったんだろう。

別れた夏の日が切り取られた社で一人、

10年もの時を彼は待ってくれていたのに。

私は思い出しもしなかった。


「ナナシ・・・ただいま」


1歩2歩3歩4歩5歩

私は前なら10歩はかかっていた鳥居から社までの距離を半分の5歩でたどり着き、

ナナシに抱きついた。


「会いたかったよ、千鳥。よく、戻ってきてくれたね。」


「私も、会えてよかった。思い出せてよかった。ナナシ」


あの頃よりも伸びた私の背丈は彼の長身には追いつかないけど、胸の高さまで届くようになっていた。

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