第4話 陰原園子の下着を買いに行った
約束の土日になった。
まさか陰原園子との初めての外出が下着屋になるとは思わなかったというか、そもそも一緒に出かけること自体がありえないようなことなのだが、約束を反故にするわけにもいかんので、俺は腹をくくって集合場所であるショッピングモール内の本屋へと向かった。時刻は正午である。
陰原は俺よりも先に来ていた。土日なのでもちろん制服ではなく、私服を着用していた。陰原の私服姿を見るのは初めてだったが、なんというか想像どおりの格好をしていた。
黒のバケットハットに黒のワンピース、そして足下は黒のパンプスといった、なんとも地味で不審者とも取れるような、陰原らしいファッションだった。
一方で俺は紺のジャケットに白のスキニーパンツでびしっと決めている。はたから見りゃ、お世辞にもお似合いのカップルとは思えないだろう。
いやまぁそもそものところカップルではないのだが。
ともあれ俺たちは本屋で落ち合った。
陰原はラノベコーナーにいた。立ち読みだろうか、バケットハットを目深にかぶって黙々と文章を目で追っている。
後ろから声をかけた。
「それ買うのか」
「わっびっくりした~来てるならいきなり声かけないでくださいよ心臓が飛び出るかと思いましたよまったくもう」
「いきなり声かけるなとか無茶いうなよ。もしかして声かける前にそれとなく存在をアピールしたほうがよかったのか」
「ほう春田くんにしてはなかなか察しがいいですね褒めてさしあげますそうですねできれば踊るなり歌うなりして予備段階を作ってほしかったですね」
「そのほうがよけいびびると思うんだが。それから春田くんにしてはっていう枕詞やめろよ。腹立つし、口癖みたいになってんぞ」
陰原はラノベをぱたんと閉じた。そうして謝るかと思えば、しれっとそれを手にレジのほうへと歩き出してしまった。
「うん、シカトするのもやめような」
陰原はレジの前に並んだ。対応してくれた店員さんはよくできた人で、それともこういった手合いに慣れているのだろうか、あからさまな不審者である陰原を相手にしながらも、笑みを絶やさずに接客していた。
すげープロだなと思った。陽キャラである俺でさえもこの仕事は務まりそうもない。
会計を終えた陰原が戻ってきた。
「お待たせしましたではさっそく本来の目的である下着を見に行きましょうかとはいえ私は初めての経験ですので右も左もわかりませんもしよければ春田くんのおすすめの店に案内してはくれませんか」
「おすすめも何も俺が知ってるわけねーだろ。同じく初心者だわ」
陰原がぺこりと頭を下げた。そこはちゃんと謝るのかよ。基準どうなってんだ。
「そうでしたかそれは申し訳ありません陽キャラであられる春田くんのことだからついてっきり良い店のひとつやふたつくらい把握してるものだとばかり思ってました」
「陽キャラだからってなんでも知ってるわけじゃないんだ。これからは気をつけてくれ」
ともあれ店を探さないことには何も始まらない。
俺は先導して歩き出した。
「まぁ適当にぶらついてりゃ見つかるだろ」
陽キャラは基本、楽観的なのだった。
それから特に苦労することもなく、一軒の下着屋に行き着いた。下着屋にもかかわらず、一階の人目に触れやすいところにあった。表には色とりどりの下着が展示されており、隠すどころかむしろ見せびらかしているように感じた。
このことは俺にとって意外だった。そして何より入店するハードルがぐんと上がった。
珍しく俺は日和ってしまった。陰原の背中を押す。
「ほら到着したぞ、陰原。おまえ先に入れよ。そのほうが自然だから」
陰原はパンプスの踵でブレーキをかける。
「ちょちょちょっと待ってくださいよ本屋さんならまだしもこういうところは人見知りが激しく出ちゃうんですってお願いですから春田くんが先にいって話をつけてきてくださいよでないと舌を噛みきって死んじゃいますよ!?」
「ああ、いいぞ。好きなだけ噛め。ガムみたく。それでおまえの身に何かあったところで、俺にはなんのデメリットもないからな」
陰原は踵で俺の脛を、げしげしと何度も蹴りつけた。まじで痛いっつの。せめて加減してくれ。
それだけいやがっているってのはわかるが。
「そんな薄情なことよくもまぁ平気な顔でいえますよねあなたの神経疑いますよきっと前世では当たり前のように女をおかしきらいな人をあやめてきたんでしょうねその光景がありありと浮かびますよこの人でなし!」
「おまえここぞとばかりに言い過ぎだろ。薄情を超えてもはや非情だぞ」
嫌味が何倍にもなって返ってきた気分だ。ただでさえ物理的に痛い思いをしてるってのに。
陰原が騒ぎ立てるもんだから、人の注目も集め、ますますハードルが高くなった。こんなことになるなら、初めからひとりで話をつけにいったほうがましだった。そしたらへんな目で見られるのは、店員さんだけで済んだだろう。
しかしだからといって、いまさら引くに引けない。もうこうなったからには腹を決めて乗り込むべきだ。
「行くぞ」
俺は陰原の腕を引っ張り、店内に足を踏み入れた。
そんな少々めんどくさそうな俺らに近づいてきたのは、茶髪のおっとりしたお姉さん系店員だった。店先でのやりとりも当然ながら見ていたのだろう、含み笑いをしながら「いらっしゃいませー」と声をかけてきた。
「本日はどのような商品をお探しでしょうかー?」
「あ、ええとそうですね、こいつに似合いそうなやつをワンセットって言い方で合ってますかね、それを買おうかなって思ってます」
「あらーそうでしたかー。ありがとうございますー。ちなみに只今キャンペーンを行ってまして、ワンセットご購入いただくともれなくもうワンセットおまけでついてきますー」
「なんだか深夜の通販番組みたいなことしてんな」
消費者の購買意欲をあおるためのテクニックかなんかしらんが、あれどう考えてもおかしいよな。価格設定がバグってるというか、原価がそもそもあってないようなものというか、いまひとつ信用に欠ける。だから同じやり口を使っているこの店のことを、あまりよく思わなくなった。
だがお姉さん系店員の笑みは崩れない。
「安心してくださいー。うちの商品ものはちゃんとしてますのでー。お客さんの満足できるお買い物ができると思いますよー」
「それはいいんすけど、なんで俺の顔見ていうんすか。実際に満足するかどうかは、後ろにいる馬鹿たれなんですが」
陰原はというと、俺の背中に隠れてびくびくと震えている。すっかりお荷物となっちまった。
「ええ、ええ、ですが彼女さんの下着姿を見て、男性の方も満足される場合もございますのでー」
「あんまりプライベートのこというのもなんだけど、俺たちべつに付き合ってるわけじゃないですよ」
店員はあらやだといわんばかりに頬に手を添えた。
「これは失礼しましたー浮気相手でしたかー」
「ほんと客になんて失礼なこというんだ。違いますよ、俺とこいつはなんというかただの友だちみたいなもんです」
ここにきて初めて陰原が口を開いた。
「え私たち友だちだったんですかそれは初耳ですなんといいますか春田くんもなかなか太々しいですねつい最近知り合ったばかりなのにもう友だち認定とかいっときますが私は認めませんよたとえ世間がそれを認めたとしても」
と思えばすぐこれだよ。
「そこはそんな詰めるところじゃねぇから。便宜上友だちっていったほうが早そうだからそうしたまでだ」
しかもいちおう「みたいな」っていったしな。
「そうでしたかいまいち腑に落ちませんがたしかにこれ以上追求したところでらちがあかないのも事実ですし私はおとなしくまた置物に戻るとしましょう後は任せた(きりっ)」
「任せた(きりっ)、じゃねーよ」
陰原はこそこそっと俺の背中に隠れてしまった。いったいなんだったんだ……。
もうどうせならずっと黙っててほしい。
友だちではない、ときっぱり否定されてしまったことを哀れだとでも思ったのか、店員は俺の肩に手を置いて励ましてくる。
「なんでしたらお客さんが下着つけてもいいんですよー?」
「いやつけねーから。なんでしたらってなんだよ」
店員までボケ倒してくるとは。今回の買い物はいつもより二倍疲れる羽目になりそうだ。
やれやれ。俺はかぶりを振った。
「とにかく商品を案内してください」
「かしこまりましたー」
そして俺たちは店員の後について、商品棚のほうへと向かった。いや正しくは俺が店員の後に、陰原が俺の後にといった具合か。もうどうでもいっか。
店員が俺に話しかけてくる。たぶん世間話のつもりだろう。
「お客さんはよくこういうお店に来られるんですかー?」
「なわけあるか。ほとんど初めてだわ。でもなんでそんなふうに思ったんすか。なんだか慣れてそうだなーとでも感じたんすか」
「いえー特に深い理由はございませんー」
「ないのかよ」
まさかの早とちりだった。てっきり自分が陽キャラのなりをしてるからだとばかり思っていた。自意識過剰だったか。
取りつくろうようにべつの質問をした。
「俺は来ないんですが、ほかの男性客とかはそのよく入られたりするんですかね。連れ添いとかで」
「いえー滅多にお見えになりませんねー。私がここで働き始めて半年ほど経ちますが、まだひとりもおられませんねー。彼女さんやお嫁さんの連れ添いらしき方は度々目にはしますが、たいていは配慮して店の外でお待ちになってますねー」
「だったらなんでさっきの質問したんだよ。ますますわけわかめだわ」
もしかしても何もからかわれているのだろうか。
俺らの関係を知って楽しんでいる節があるし、その可能性もなきにしもあらずだな。
まぁからかわれたところで、こっちは突っ込むしかできないんだが。ああ、疲れる……。
商品棚の前にたどり着いた。店員がそれらを紹介するかのように、手を広げた。
「たぶんおつれの方にお似合いになるのは、このあたりかと存じますー」
少し気恥ずかしかったが、そんな弱気なことを吐いていたら良い買い物はできないので、勇気を出していくつか実際に手に取ってみる。
「うーむ、でもこいつにはちぃとばかし派手すぎやしませんかね」
ピンクや黄色、水色、基本蛍光色だった。おまけにリボンやレースといった装飾品まであしらわれている。
こんなの地味で根暗な陰原にふさわしいわけがない。せいぜい基本形を保った、黒とかベージュとかがいいとこだろう。
それでも店員は「そんなことないですよー。たいへんお似合いになると存じますよー」と譲らなかった。
こうなれば直接本人に訊いてみるほかない。周りがああだこうだいっても、いちばん自分のことを理解しているのは本人に違いない。
俺は肘でつついた。
「おいこら、どうなんだ」
陰原は無言でうなずいている。ほんと置物になってるな。
ともあれこれでいいということなんだろう。にわかには受け入れがたいが。
陰原がこんなふりふりひらひらの下着を? いくらなんでも買い被りすぎなんじゃねぇのか。だってあの陰原だぞ。
さすがに口にはしないけども。
俺は店員に向き直った。
「ここらへんのでいいみたいです」
「そうですかー。お気に召されて何よりですー。ではさっそくですが、カップ数のほうを教えていただけますでしょうかー? 在庫を確認しておきたいのでー」
「どうなんだ」
しかし今度は首を横に振った。こりゃあ弱ったな。
「わからんみたいすね」
「左様ですかー。では私のほうで計測させていただきますねー」
「あ、それなら俺いないほうがいいですよね。適当にはけときます」
「いえーその必要はありませんよー。私は見ただけでわかりますからー。服の上からでも正確にー」
「シンプルにすげーな。ドラゴンボールのスカウターみたいなもんか」
もしいってることが本当だとしたら、とんだエスパーお姉さんだな。ギネスブックにでも載せてもらえばいいんじゃねぇか。
「ではお手数ですが、少しのあいだ前に出してもらえますかー?」
店員も店員で陰原のことを置物のように扱うな。
だが間違っちゃあいない。俺は置物のくせにいやいやする陰原を、店員の前に差し出した。
すると店員が眼鏡のフレームを持ち上げるような仕草をした。もちろんそこに眼鏡はないが。
スカウターを意識してたりするんだろうか。
「ぴぴぴ、ぴぴぴ。ABC……D……E……すごい、まだ上昇しますねー!」
「ぴぴぴってなんだよ。お姉さんというギャップと相まって、悔しいけど正直可愛いと思っちまったじゃねぇか」
いや、いまはそんな感想どうだっていい。それよりも触れるべきは陰原のカップ数だ。まさかのEを超えるだと……? とんでもない戦闘力だぜ!
前々から大きいなとは思っていたが。あ、いやらしい目で見てたとかそういうんじゃねぇからな、いちおう。
なんというかたんなるひとつの事柄として認識していただけだからな。
店員は眼鏡をかけ直す、かのような振りをした。
「計測完了いたしましたー。おつれのお客様のカップ数はFになりますねー」
「すげーな」
「まぁ私はGカップなんですけどねー」
「客にマウント取ろうとすんなよ。いやまぁたしかにすげーとは思うが」
ふつうBとかCとかだよな。陰原といい店員といいどんだけ戦闘力高いんだよ。
店員は俺らに向かってお辞儀をした。
「これだけ大きいと探すのたいへんですよねー。私も同じなのでよくわかりますー。でも安心してくださいー。当店は品揃えが良いのが売りですのでー。必ずやお客様のサイズに合った商品を在庫の中からお持ちしますー。少々お待ちくださいねー」
そういっていったん裏に下がってしまった。たぶん表には出てないということだろう。
しばらくして店員がFカップのものと思われる下着を掲げながら、満面の笑みで戻ってきた。
「ありましたー。獲ったどー」
「よくやったと褒めたいところなんすけど、もうちょい商品を大事に扱ってはくれませんかね」
いちおうは売り物なのだ。無事に見つかって高ぶる気持ちはわからなくもないが、さすがにそれはない。
「すみませんー。つい舞い上がってしまいましてー。それで当店では試着のほうもできるんですが、いかがなさいますかー?」
「だとさ」
後ろにいる陰原に訊いた。
陰原は曖昧にうなずいている。いや、そこははっきりしてくれよ。
「かしこまりましたー。では試着室のほうまでご案内させていただきますねー」
「よくいまのでわかりましたね」
「同じ巨乳ですからねー」
「もうそれはいいって」
ともあれ俺たちは売り場から試着室のあるところまでつれられた。広い店内とあって、売り場と試着室はきっちり分けられていた。これなら店外から覗き見られることもなく、安心して試着ができるだろう。
ずらりと並んだ個室のうちひとつを開け、店員は中に入るよう促した。陰原でなく、俺を。
「どうぞー靴を脱いで上がってくださいねー」
「だから試着するの俺じゃないってば。あんたもたいがいしつこいな」
「うふふーてっきりー」
「それをいうならうっかり」
だいぶ意味合いが違ってくる。
俺はもちろんそれに従わず、陰原を試着室の中に押しやった。
「ひゃぁあん」
「突然へんな声出すなよ。どん引きすんだろ」
「そういわれましても仕方ありませんよこんな個室に無理矢理押し込められたら当然警戒もしますしへんな声のひとつやふたつ漏れてしまいますよいったい何をするつもりなんですかこの変態たーれん」
「何もしねーよ。おまえが試着するっていったんじゃねぇか」
「はぁ私はそんなこと一言もいった覚えがないのですがもしかして記憶障害でも起こしたのでしょうかそれとも春田くんの脳内で勝手にそうしたシチュエーションが出来上がってしまったのでしょうか」
俺は店員を責めるような目で見た。
「おい巨乳さんよ。気持ちがわかるんじゃなかったですっけ」
「まぁまぁ細かいことはお気になさらずー。ではさっそく生着替えタイムいってみましょー。レッツラー……ゴー!」
「なんか唐突に昭和の深夜番組みたいなテンションになったな。つうか話逸らすなよ」
店員がスマホを取り出した。そしてアプリのタイマーを起動させた。
「一分以内に着替えられなかったらそのときはお色気むふふーな展開になってしまいますからねー。お気をつけくださいー」
「まさか外から開けるつもりなのかよ、いいか絶対にそんなことするなよ」
いよいよもって昭和だ。いまだったら間違いなく規制対象だろう。
そんなかんじにいきなり始まった、時間制限付き生着替え。試着室の中では陰原が、悪戦苦闘している様子がうかがえる。
「ああもういったいなんですかこの金具はキーホルダーでもじゃらじゃらつけてオシャレを楽しみなさいというコンセプトですかまったく」
「だから昭和……いや平成かって。ちげーよ。それはおそらく後ろで留めるフックだ」
試着室の外から助言を送る。その役目はたぶん俺じゃないし、そもそもここにいること自体場違いだと思う。しかし肝心の店員は黙ってその状況をにやにやと楽しんでいるし、ほとんど不可抗力的に請け負うことになっちまった。
試着室の中から陰原の声が返ってくる。
「なるほどそういった仕様でしたかいやはやさすがは陽キャラであられる春田くんですおそらくは数々の下着姿の女性を目にしてきたからこそ得られた知識なのでしょうお見それいたしました」
「これくらい一般常識だろ。何も経験豊富じゃなくてもいいはずだ。たいしたことない」
だよな?
いままでの生涯、スポーツブラしか着用したことのない陰原の困惑は続く。
「ひとまず金具の問題は解決しましたですが今度は裏表がわかりませんふりふりやひらひらを見せびらかすようなかんじで着用すればいいのでしょうかそれともこういうのは内に秘めてるほうが人間的にかっこいいのでしょうか」
「人間的にとかよくわからんこと気にすんなよ。ふつうにそっちが表でいいんだよ。店の展示でもそうしてただろ」
陰原は思ったより不器用というか馬鹿だった。
そうこうしているあいだも、一分ってのはあっという間だ。タイムリミットはすぐそこまで迫っている。
いまとなってはどういう立場なのかわからん店員()が、ぱんぱんと手を叩いた。
「ほらあと十秒切ってますよー。急がないと開けちゃいますよー」
「えっあと十秒ですかカウントダウン始まりますか年明けみたいにというかこういうこといってる間にもゼロを迎えてしまいそうですねあるあるパターンですね聞いてますか春田くん」
「聞いてるよ。四の五の言わずさっさと着替えちまえ。あと店員さんも煽らないでいいからな」
そこでタイマーがぴぴぴと鳴った。
店員がタイマーを止める。
「はいーではタイムリミットなので開けちゃいますねー。果たして扉の先に待ってるのはすっぽんぽんのお連れ様なのでしょうかー? それともばっちり下着に着替え終わったお連れ様なのでしょうかー?」
「どっちみちお色気むふふでアウトな気もするがな」
だがいまさら逃げられないし、そもそも陰原の下着姿を見たところでなんだって気持ちがあるので、俺はその場でどしっと構えることにした。
「いざご開帳ー!」
といって店員は扉を勢いよく開けた。
「あひゃぁあんうふぅん」
その先にいたのはもちろん陰原だった。たとえ素っ裸であろうと興奮しない自信はあったが、無事に着替えが完了しているようだ。
それなのになぜかもじもじと恥ずかしそうにしている。まったく陰原のくせに生意気だ。
生意気なことや先程のへんな声について触れてもよかったが、面倒なのでやめにして、俺は率直な感想を述べた。
「うん、全然似合ってないな」
やはり陰原はもっと地味なデザインや色の下着がお似合いだと思う。
この下着を勧めたくせして、店員も俺の感想に同調している。
「あらーおかしいですねー。こんなはずではなかったのですがー……」
「お手数だけど、ほかの商品に変えてもらってもいいすかね。もっとこう地味なやつに」
「えー」
「えーってなんだよ」
客の要望に不満そうな態度出すなよ。いくらなんでも失礼すぎるだろ。
「ですが当店にはお連れ様に似合うような地味ーな下着は置いてないんですよー」
「そうっすか。ならせっかく試着までさせてもらって悪いんだけど、ほかの店当たってみますわ」
「でもそれって面倒じゃないですかー?」
「そりゃあたしかに面倒だけど」
「だからもういっそのことこれでいきましょー! どうせ下着なんて外から見えないものですしーなんだっていいんですよーぶっちゃけ」
「そういう見方もあるかもしれんが、あんた彼にも下着屋の店員なんだから、そんなぶっちゃけたらいかんでしょ……」
とはいえ俺はその強引な売り方に押し切られてしまった。面倒だったというのが正直なところ、それから陰原自身がふりふりひらひらの下着をお気に召していたというのも多少はある。
俺は肩をすくめた。
「わかりましたよ。じゃあそれください」
「お買い上げ誠にありがとうございますー。では商品をレジまでお持ちくださいー」
脱ぎたてほやほやの下着を渡された。もちろんまだ生暖かい……。
これがべつの美少女とかだったらまだよかったんだろうがな。あの陰原だからなぁ。
ちっともテンションが上がらん。逆にうへぇってなるかんじだ。
俺はいわれたとおりのことをした。生暖かい下着を指でつまんで、レジのある売り場へと持って行った。陰原は相変わらず俺を盾にして隠れている。
レジを挟んで商品の受け渡しを行った。
「はいー。お包みしますので、いったんこちらで預からせていただきますねー」
「つうかどうせそうなるなら、なんで一回俺に下着を持たせたんだよ。完全にいらん手間だっただろ」
「あらー。うっかりお客様がお持ちになりたいのかと思いましてー」
「いらん気配りだわ。それとうっかりじゃなくて、てっきりな。前も同じ間違いをしてたけど、そんなにこんがらがりますかね」
「あははー」
「笑って誤魔化すな」
ふざけた店員が下着を包装し終えたようだ。
もう一度商品の受け渡しがそこで行われる。
そのとき俺ははっとした。そういや入店してすぐ何かいってなかったか。
思い出した。深夜の通販番組だ。
たしかワンセット買ったら、もれなくもうワンセット無料でついてくるんだったな。
俺は店員に尋ねた。
「キャンペーンの話はどうなったんすかね。これとはまたべつに包んでくれる的な?」
店員はぱちぱちっと瞬きをした。
「いっけなーい。てっきり忘れてましたー」
「いい加減学習しような」
それをいうならうっかりな。
「危うくかもられるところでしたねー」
「いやな言い方すんなよ」
客の目の前だぞ。
店員はべつの袋に下着をもう一着詰めている。
「どうせ見られませんしー色はなんだっていいですよねー?」
「べつにいいけど、やっぱ店員の吐く台詞じゃねぇな」
怒濤のボケラッシュに俺は辟易する。
だがそれももうおしましだ。いよいよ買い物を終え、会計に入る。
「ではお会計のほうさせていただきますー。今回お買い上げいただいたのはふりふりひらひら下着Fカップセットが一点と、それに無料キャンペーンサービスで同じ商品の色違いをもう一点おつけいたしまして、しめて税込み一万円となりますーありがとうございますー」
「げっ。一万円もすんのかよ」
相場がわからんのでなんともいえんが、やっぱ無料キャンペーン分は最初から一着の料金に含まれているのではないかと俺はいぶかしんだ。つまり本来ならその半値の五千円がいいところなのではないか。
だが繰り返しになるが、そこらへんはなんともいえんので、疑いを持ったところでしょうがない。し、金を出すのは俺じゃないので正直関係ない。
俺は陰原に訊いた。
「一万円だってよ。払えるか」
というかいちいち俺は間に挟むのやめてほしい。陰原が一歩前に出て直接店員とやりとりしてほしいぜ。
しかもまた面倒なことに、陰原は「手持ちが足りない」などと言い出す。
これには俺もあきれるしかない。
「おいおい頼むよ。しっかりしてくれよ。初めから買い物をするってわかってたんだから、多めに入れといてくれよ」
「言い訳させてもらいますけどね私だってそんな間抜けじゃないんです前日お父さんの肩をしばいたり踏んだり蹴ったりしてお小遣いをゲットしてけっこうな余裕がありましたしかしですね下着屋にやってくる前立ち寄った本屋さんでラノベを大人買いしたものだからこんな事態に陥ったんですよでも我慢できなかったから致し方ないのです」
「そんな長々と言い訳すんなよ。言い訳したところでどうにもならんのだから」
「それをいわれるとぐうの音も出ませんねあわよくば春田くんに全責任をなすりつけようかと目論んでいたのですが」
最悪だな。
「なのですがここは仕方ありませんねせっかく付き合っていただいたところ申し訳ないのですがATMでお金を下ろそうにも口座はすっからかんもぬけの殻ですし今日のところはいったんやめにしてまた後日出直すとしましょうかお手数おかけしますが」
「いやちょっと待て。それはそれで悪手だな」
また今日みたいに疲れる思いをするとなると、想像しただけでうんざりする。いやほんと冗談じゃない。
一万円か。
陰原からもらったラノベにかかる費用よりだいぶ高く付くが、しかしこれもタダより高いもんはないといった良い教訓になるだろう。
俺はしぶしぶ自腹を切ることにしたのだった。
鞄から長財布を取り出した。
「しゃーねぇな。今回は特別におごってやるよ」
「ええっそれは真ですか重ね重ね申し訳ないですねでも背に腹は代えられませんのでありがたくそのご厚意に甘えたいと思いますいやはやさすが陽キャラは太っ腹ですねよっしゃっちょさん日本一!」
「なぁんかよいしょの仕方が古くさいんだよなぁ」
おまけに背に腹は代えられんみたいな意味のわからんことをいってるし、喜ぼうにも素直に喜べん。
いやにしても今日はどっと疲れる一日だったな。
そしてまさか陰原に下着をプレゼントすることになるとはな。
これまでまったく接点もなかったし、またふつうなら一生かかわることでないであろうタイプの人間だ。
ほんと人生って何が起こるかわからねぇな、としみじみ思わされる一日でもあった。
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