第04章『花の無い部屋』

第10話

 一月二十七日、月曜日。

 午後八時半、希未はパソコンの電源を落とした。明日は休みなので開放感を味わうと共に、疲労感が圧し掛かる。

 

「お疲れさまです。お先に失礼します」

「お疲れ、遠坂。明日はしっかりリフレッシュしておいで」

「はい。ありがとうございます」


 希未は席を立ち、上司であるマネージャーの加藤絵里子に挨拶をして事務所を後にした。彼女もそろそろ上がりそうだ。

 サウナで身体を整えた後、コンビニで適当に酒と夕飯を買って帰ろう。そのように考えながら、灯りの消えたブライダルサロンを出ようとしたところ――ひとつの人影が近づいてきた。


「のんちゃん、お疲れ。今上がり?」

「お疲れさまです。そうですけど……」


 成海志乃だった。ちょうサロンに来た様子だったので、上がる時間が重なったのだと希未は察した。


「またサウナ?」

「……悪いですか?」

「悪くはないけど……よかったら、ご飯食べに行かない?」


 希未は仕事の関係上、志乃のシフトも大体は把握している。彼女も明日は休みだと、思い出した。

 食事と共に酒を飲むにも、今夜は互いが『週末』なので都合がいい。それに天羽晶と澄川姫奈の案件の、成約の礼も兼ねて、希未は一緒に食事に行きたいと以前から考えていた。


「いいですね。どこにしましょう」


 ふたりでホテルの搬入口から外に出た。一月の冷たい夜風に吹かれ、希未は身体が震えた。


「私、この前からお鍋食べたくて……。ひとりだと、なかなか食べることないじゃない?」

「鍋ですか……。いいですね。あたしも、久しく食べてません」


 志乃の言う通り、希未も独り身である手前、機会が滅多に無かった。冷える夜の温かい料理としても相応しいため、頷いた。

 それから、どの店にするか話したところ、志乃が以前から気になっていたモツ鍋屋に行くことになった。志乃の自宅の最寄り駅近くにあり、通勤で毎日のように目にしていたらしい。自宅がホテルの近くにある希未としては少し遠いが、明日が休みなので構わなかった。

 ふたりで電車の駅へと歩く。

 希未はふと、隣の志乃を見上げた。


「どうしたの?」

「昨日のこと、思い出して……」


 昨日は日曜日かつ大安だったので、三組の式が執り行われた。内一組は、希未の担当だ。

 慌ただしい中、教会や披露宴会場で装花を行っている志乃を、何度も見ていた。


「成海さん、スーツ似合ってたなーって」


 普段は私服で仕事をしている志乃も――相変わらずエプロンを纏っていたものの、式本番に関わる際はパンツタイプのスーツ姿だった。希未の目には、同性ながらも格好良く映っていた。

 ミルクティーアッシュの明るい髪色に関わらず似合っていたのは、スタイルが良いからだろう。こうして並んで歩いていると、そのように思った。


「この歳にもなって、スーツじゃまだ着慣れないわよ。仕事でずっと着てるのんちゃん、凄いじゃない」

「そんなことないですよ……」


 いくら慣れていても、希未は身長が低くスタイルに自信が無いため、志乃が羨ましかった。

 やがて駅から電車に乗ること二駅、さらに志乃の案内で五分ほど歩くと、その店はあった。看板から、モツ鍋で有名な地方の店らしい。

 ふたりで入る。店内は明るく、和やかな雰囲気だった。月曜のこの時間帯でも、席は半分ほど埋まっていた。

 テーブル席でメニューを開けると、チェーン店ではないが高額でもなく、大衆向けの店だと希未は感じた。鍋料理だけではなく、居酒屋メニューも扱っている。


「寒いから辛いの食べたいんだけど、のんちゃん大丈夫?」

「はい。たぶん……」


 スープは定番の醤油味を筆頭に、いくつか種類があった。希未は辛い食べ物が得意ではないが、苦手でもない。おそらく大丈夫だと思った。

 モツ鍋を二人前と、希未は生ビールを、志乃は梅酒を注文した。すぐに鍋がテーブルのコンロにかけられ、先ず酒が運ばれてきた。鍋から辛そうな匂いが立ち上る。


「お疲れさまでした」

「いやー。頑張ったわね、私達」


 乾杯の後、ビールを一口飲む。湯気の上る鍋を前に、冷えたそれがたまらなく美味しかった。

 仕事終わりに同僚と酒を交わすのはいつ以来だろうと、希未は思った。少なくとも婚礼課は上がりが毎日バラバラであるため、機会がほとんど無い。

 志乃とは部署が違えど苦労が理解できる間柄なので、乾杯も一入だった。


「そういえば、のんちゃんに訊きたいことがあって……」


 梅酒をテーブルに置いた志乃の表情が、希未にはなんだか神妙そうに見えた。改まって何だろうと思う。


「な、なんですか?」

「RAYで天羽さんを推してたのはわかるんだけど……ガチ恋だったの?」


 その質問に、希未はビールを吹き出しそうになった。なんとか堪えるが、大きく咽た。

 慌てた志乃から手拭きを差し出される。冗談の類ではなく、純粋な疑問を振られたのだと希未は察した。


「そりゃ、女性のファンでもそんな人は居ましたけど……あたしは違いますよ」


 ライブでの客層から、RAYのファンの男女比はおよそ六対四から半々だった。そして、男女問わず――可能であればそれぞれの推しと恋人として付き合いたいという声や妄想を、よく耳にしていた。

 希未は彼らの気持ちがわからなくはなかった。希未自身はRAYを雲の上の存在として、あくまでも『憧れ』として崇めていたのだ。天羽晶に対しても、恋愛感情は皆無だった。

 いや、当時は同性愛に対し『線引き』していたのかもしれない。理解こそあれど、自身については考えられなかった。


「よかったわ。もしかしたら、澄川さんに思うところがあるのかなって……ちょっと心配だったから」


 天羽晶の結婚相手である、澄川姫奈。彼女に対しての嫉妬を疑われ、おかしな質問を振られたようだ。


「澄川さんも、凄いわよね。あの天羽晶と結婚だなんて、とんでもない夢を叶えたんだし……想像できないぐらい幸せなんでしょうね」


 志乃の言葉に、希未は違和感を覚える。どうも志乃は、姫奈を『晶のファンだった人間』と捉えているようだ。

 無理もないと思った。希未もまた、少し前まで同じ勘違いをしていた。


「個人情報なんで、ここだけの話ですけど……澄川さんは、天羽さんのファンでも無かったんですよ。むしろ、全然知らない人だったみたいです」


 先日ヒアリングを行った際、ふたりの馴れ初めも少し訊いた。

 晶が交通事故に遭ったのは事実だが、死には至らず重体で踏み留まった。リハビリが済み、晶は小さなカフェを始めた。そこにアルバイトで来たのが、澄川姫奈らしい。彼女が芸能情報に疎く、晶の正体を知らない『一般人』だったからこそ、晶は雇ったようだ。

 ふたりはコーヒーを淹れる知識を、全くと言っていいほど持っていなかった。そして少しずつ経験を積み重ねていき、やがてはあのような店を持てるまでになった。

 希未はその内容を、志乃に話した。


「へぇ。ロマンチックね」

「そうですよね。なんかドラマみたいで……」


 希未は、これまでに顧客の馴れ初めをいくつも聞いてきた。その中でも、特に素敵な話だと感じた。聞いたことで、より応援したいと思えたほどだ。


「あまり触れるべきじゃないかもしれないけれど……どっちかが同性愛者だったのかしら」

「それは、わかりません。そんなにストレートな質問はあたしも出来ませんし、どうでもいいです」


 希未はグツグツと煮える鍋に目を落とした。そろそろ食べられそうだった。


「ただ、話を聞いている感じ……ふたり共、そういうのは意識してなかったと思います。自然に恋に落ちた、みたいな」


 死亡したと偽り、アイドル業を引退した――それほどまでに天羽晶が精神的に参っていたと、希未は真相を知った際に想像した。リハビリがあれど、完全に癒えるはずがないだろう。そんな晶が姫奈に助けられ、一生を添い遂げたいほどの間柄になったことになる。性別の概念が入る隙間は無いように感じた。


「ますます素敵ね。個人的に応援したくなっちゃうわ」


 志乃が小皿を取り、レードルで鍋を掬う。


「ところで……のんちゃんが同性愛に割と理解があるのは、昔から女の子のガチ恋勢を見てきたからなのかしら?」


 希未はその質問と共に、盛られた小皿を受け取った。

 意味がわかり難かったが、話が少しさかのぼったのだと理解した。


「言われてみれば、そうかもしれませんね……。確かに、いろんな人達を見てきました」


 現在でこそ同性愛が受け入れられる世の中になっている。それより以前、希未が過去から偏見を持たないことを意識していたのは――RAYのファンだった思春期の環境も、原因のひとつだろう。


「ねぇねぇ。思い出話、聞かせてよ」

「え……まあ、いいですけど」


 志乃が食いついたことが意外だが、希未は鍋を突きながらRAYのファンだった頃の話を聞かせた。

 振り返ると、とても懐かしかった。志乃としても、嘲笑うわけでもなく、純粋な興味として頷いていた。

 酒も入り、希未は楽しい時間を過ごした。

 鍋の具材が空になると、チーズリゾットで締めた。やがて午後十一時のラストオーダーを過ぎ、その三十分後の閉店時間まで話が弾んだ。

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