第09話

 午後二時。事務所で遅い食事を終えた希未は、残りの休憩時間にフラワーサロンへ足を運んだ。

 アフターブーケだろうか――志乃がテーブルに花を広げ、何やら作業をしていた。


「あら、のんちゃん。お疲れさま」

「お疲れさまです。天羽さんと澄川さん、ウチに決めて帰りました」


 希未がここを訪れたのは、報告のためだった。この案件のフラワーコーディネーターは、正式に志乃が担当することになるだろう。

 今日時点で提出した見積もりは、およそ百十万円だった。式だけを執り行う場合、新郎新婦なら約七十万円が相場になる。前撮りを行う他、ウェディングドレスを二着レンタルするので、アクセサリーも含め割増になるのは仕方ない。


「本当? やったわね。……ていう割には、なんだか浮かない表情かおしてるじゃない」


 志乃の言う通りだと、希未は自覚していた。

 天羽晶の結婚式を担当することになり、とても嬉しいことは確かだ。しかし、ふたりが求めた式は、想像していたものと少し違った。

 希未はテーブルから少し離れた椅子に座り、ぼんやりと虚空を見上げた。


「ゲストは誰ひとり呼ばないんですよ。親族もです。ブーケトス用のブーケは、見積もりに入ってません」


 やはり、これが驚くほどに意外だった。希未はこれまで、そのような式を受け持ったことが無い。


「へぇ、それは寂しいわね。芸能人のお忍びって、そういうものなのかしら」

「元、芸能人ですよ。一般人として接してください。ていうか、お忍びでやるにしてもゲストは呼ぶはずです……たぶん」


 希未はこれまで芸能人や著名人の案件を受け持ったことが無いので、実際どうなのかわからないが。

 晶と姫奈の意思に寂しいと感じたのは、志乃も同じようだ。

 そして、希未には再婚夫婦を彷彿とさせていた。彼らもまた式だけを執り行うことが多く、ゼロではないがゲストをなるべく抑える傾向にある。というのも――


「やっぱり……同性婚って、後ろめたいんでしょうか」


 周囲に対し、恥を持っているからだ。

 このような考えはよくないと、希未は自覚している。だが、同じ理由ではないかと勘ぐった。


「うーん。普通にラブラブだったから、そうには見えないけど」

「確かに……ゲスト呼ばないってなっても、あの人達は全然寂しそうじゃなかったです」

「じゃあ、それでいいんじゃない?」


 志乃は作業の手を止め、顔を上げた。希未に笑顔を向けた。


「本人達が幸せなら、私達がとやかく言う筋合いは無いわよ。皆が皆、多くの祝福が欲しいとは限らない。寂しいんじゃなくて……静かにじっくり愛情を確かめたいのかもしれないわ」


 それだけを言うと、作業を再開した。

 その通りだと、希未は納得する。

 様々な推察は可能だが、真相はわからない。だが、あのふたりが幸せそうに見えたことは事実だ。支える立場としては、それで充分だと――改めて割り切った。


「あたしも寂しいと思います。でも、お客さんを『あたし』の物差しで推し量ってはいけませんね……今回は、特に」


 この案件で注意していたことだったが、自分の視点で観測していた。きっと多くは、そう感じるだろう。

 しかし、物事は当事者ふたりの視点で考えなければいけない。この案件に限らず、ウェディングプランナーとしての大切な基礎を思い出した。

 希未の中の悶々とした気持ちが綺麗に晴れたわけではないが、志乃と話したことで少し楽になった。ゲスト不在の式を、ようやく受け入れられそうな気がした。


「でも、のんちゃんから見て危なっかしそうなら、ちゃんとフォローしないとダメよ?」

「は、はい……」


 まるで上司のようだと思いながら、希未は頷いた。

 ふたりの意見が割れる。どちらかに戸惑いや躊躇いが見える。それらの際は口を挟んで取り持つこともまた、希未の仕事だった。


「そういえば……おふたり、ブーケのスケッチがとっても気に入ってましたよ」


 これも重要な事柄なので、伝えなければならない。


「そうなのね。描いた甲斐あったわ」

「あれ、本当に再現できるんですよね?」

「出来るわよ。大丈夫だから、安心して」

「信じてます……」


 希未は志乃との仕事がまだ浅い以上、残念ながら信用はまだ足りない。しかし、不安を引きずってもどうにもならないので、割り切った。

 ふと、スケッチブックに描かれた青と橙のブーケを思い出す。確かに、希未の目からも綺麗に映っていた。だが、既視感と共に――気になる点があった。


「青色は天羽さんのイメージカラーですけど……それじゃあ、橙色は澄川さんなんですよね?」

「イメージカラー? え? そうなの?」

「そうなのって……知らないで描いたんですか? いやいや、常識じゃないですか」

「何の常識なのよ、それ……」


 希未は、志乃の呆れた表情を初めて見た。

 RAYのメンバーカラーは赤青白の三色であり、天羽晶は青色だった。希未はかつて、青のサイリウムを振っていた。

 この国では義務教育レベルの知識だと、希未は思っていた。しかし、RAYをそれほど詳しく知らない人間までには浸透していないようだ。


「私はただ、あのカフェで見たハーバリウムを参考にしただけよ」


 志乃の言葉に、希未は思い出した。晶と姫奈のカフェ『stella e principessa』を訪れた際、レジの後ろにある棚に、二色のハーバリウムが置かれていた。既視感の正体はそれだった。

 確かに、ふたりの名を冠するカフェでなら、あの二色をふたりの象徴と捉えても不思議ではない。


「なるほど。よく見てましたね」


 些細なオブジェだったが志乃はしっかり汲み取り、ブーケへと落とし込んだ。ふたりがとても喜んでいた理由を、希未はようやく理解した。


「けど、まあ……あの色は澄川さんっぽいわよね」

「そうですね。暖かい感じというか」


 希未は澄川姫奈とも、まだ数えるほどしか会っていない。それでも、彼女の笑顔からは無邪気さと柔らかさを感じていた。まさに橙色のようだと、しっくりきた。

 そのような人物が、すぐ近くにも居た。


「成海さんも、暖色のイメージがあります」


 年齢の違いはあるが、背が高く柔和な人柄という意味でふたりは似ていると、希未は思っていた。

 その意見に、志乃は作業の手が一瞬止まる。驚いた表情の後、微笑んだ。


「そう? ありがとう。私にも、ピュアな感じがあればいいんだけどね……」


 希未は志乃への印象として、純粋さが前面に出ていなくとも無いとは感じない。その要素が欲しいのだと、なんだか意外だった。


「この案件なんですけど、成海さんの描いたブーケが決め手になってるんですよ。あれが無かったら……ぶっちゃけどうなってたか、わかりません。ありがとうございました」


 納得した今、志乃に感謝した。どうしても引き受けたい仕事だったので、恩人のようだった。

 そして、不安が無いわけではないが――三月三十一日の挙式を両新婦ふたりに喜んで貰えるよう、必ず成功させなければいけない義務感がより強くなっていた。


「へぇ。のんちゃんの手助けができて、よかったわ」

「いつも、あんな風に描いて見せてるんですか?」

「ほとんど無いわよ。今回はたまたま、事前にわかりやすいイメージがあっただけ」


 つまり、志乃をあのカフェに連れて行かなければ、繋がらなかったことになる。

 サウナでの出会いから始まり、偶然が積み重なって良い方向に進んでいるのだと、希未は感じた。どこまで進められるのかはわからないが、志乃と勢いに乗っているのは確かだ。見えない何かに任せるのはバカらしいと思う。それでもせめて、この案件が片付くまでは続いて欲しいと願った。

 志乃の勝手な行動に冷や冷やしたが、それについては黙っておくことにした。むしろ――


「あたし、本当に感謝してるんで……成海さんに何かお礼したいです」


 今はそのような気持ちだった。


「その気持ちだけで嬉しいわよ。でも、そうね……また今度、ご飯でも一緒に行きましょ」

「いいですよ。……なかなか時間合わないかもしれませんけど」

「そうでもないと思うわ。私達、シフト似てる感じだし」


 確かにそうだと、希未は言われて納得した。意図して合わせたのではなく、これも偶然のひとつだ。小さな笑みが漏れた。

 希未としても、志乃と食事に行きたいと思う。割と前のめりだ。

 仕事のパートナーだが――二十八歳にして、新たに誰かと仲良くしたいという気持ちが芽生えていることに、気づいていなかった。



(第03章『青と橙』 完)


次回 第04章『花の無い部屋』

希未は仕事終わりに、志乃から食事に誘われる。

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