第14話




「元からあいつらは潰すつもりだったの」


 可愛らしい唇から零れる言葉はあまりにも似つかわしくない。ひえ、とレナは小さな悲鳴を上げる。


「証拠も証言も揃えてはいたので、消そうと思えばいつでもできたんですが……カリンの結婚式が終わってからでもいいかと、そう話をしていたんです」

「……だ……誰、と?」


 エリアスとカリン、そしてクラウドの視線が交差する。つまりはこの場にいるレナ以外は話が通じているのだという事実に、レナは最早悲鳴すら出せない。


「エリアスとカリンは一日でも早くあの連中を潰したい。俺はカリンと一日でも早く結婚したい。どちらを先にすべきかと話をして、とりあえずカリンを完全に奴らが手を出せないようにした方がいいだろうという事で、式を優先する方向で話を進めていたんだ」


 そこでクラウドは一旦口を噤む。エリアスとカリンが発する空気がとてつもなく物騒だ。


「ええと……」


 その恐ろしさに耐えかねてレナは続きを求める。クラウドは大きく息を吐き出すが、それがこの先の展開を物語る。


「奴らの標的が……レナ、貴女になったものだから」

「それはその、脅迫……?」


 グン、と室内の気温がさらに下がる。クラウドが小さく頭を振るので、ここでようやくレナは自分が脅迫だけではなく、命までをも狙われていたのだと気がついた。


「すみませんレナ。何よりも優先すべきは貴女だったのに」

「お姉様ごめんなさい……本当にごめんなさい」


 カリンの瞳からポロリと涙が落ちる。そのまま一気に滝のような涙が流れ、レナは慌ててカリンの側へと駆け寄った。


「泣かないでカリン! それに謝ることなんて何一つないじゃない! エリアス様、あなたもですよ。お二人に謝罪されるようなことはこれまでだって、これっぽっちも何もありませんから!」

「でも……一歩間違えたら……お姉様を」

「俺達の判断ミスで、危うく貴女を失う事になっていたかもしれない」


 こんなにも険しい顔をしているエリアスをレナは見たことがない。眉間に深く皺を刻み、握りしめた拳の内側には爪が食い込んでさえいそうだ。


「かもしれない、じゃないですか。こうして私は無事ですよ。エリアス様とカリンと……あと、恐れ多くもクラウド殿下のおかげで……ええ、はい……無事です……」


 ぐず、と鼻を鳴らしてカリンが見上げてくる。すっかり淑女として完璧に振る舞うようになったはずのカリンは、こうして見ると初めて会った幼子のままだ。


「俺は何もしていない。いや、何も、させてもらえていないから安心してくれ」

「……はい?」


 涙を流すカリンを慰めるのは本来クラウドの役目のはずだろうに、カリンは当然の様にレナにしがみつき、レナもまた「そうあるべき」と言わんばかりにカリンを抱きしめている。今更ながらにやってしまったな? とレナは狼狽えるが、引き剥がそうにもカリンがそれを許してはくれない。

 いやそれよりも、とレナは軽く逃避していた思考を戻す。殿下は今何と言った……と考えるのが空恐ろしい。


「ええと……殿下、は、何も……なさっていない?」


 ああ、とクラウドは深く頷く。


「俺とカリンが出会ったそもそもの原因をレナは知っているのか?」

「……軽く?」


 クラウドの問いにエリアスは少しばかり間を空けてそう答えた。軽くとはなんぞや、とレナは内心ツッコミを入れるが、それはクラウドも同じだった様で「なんだそれは」とこちらはきちんと声に出す。


「図書館でカリンが調べ物をしている時に、初めてお会いしたと聞いていますが」


 調べ物――そうだ、カリンが何かを調べていたとは聞いた。しかし、それが一体何を調べていたのかまでは、レナは知らずにいる。

 まさか、と胸元に視線を動かせば、いまだに瞳を潤ませたままのカリンが花の咲く様な笑顔を浮かべる。


「あいつらのことを調べていたの」

「噂になっていたんだよ。飛び級で王立図書館の司書資格を取った才女が、引っ切りなしに書庫に籠もっているって。あげく、閉架にまで入り込んで、隅から隅まで本を読み耽ってると聞いてしまったらもう、一目見たくなるじゃないか」


 働く事のできる年になったらすぐに役に立てるように。そんな大義名分を掲げて図書館に入り浸り、その大義通りに邪魔にならないように仕事の様子をつぶさに観察するカリンは、あっという間に司書達の心を掴んだ。元より年上には可愛がられるタイプでもあったので、司書達は暇を見つけては仕事の中身を教えてくれる。それをカリンが嬉しそうに聞くものだから、事前指導はするすると進み、クラウドが様子を見に行くようになった頃にはカリンはすっかり正規の司書の様に動いていた。もちろん、まだ就労の年ではないので労働をさせるわけにはいかず、それは手伝いの範囲を超えないものではあったのだが。


 派手な仕事ではないし、目立つ何かがあるわけでもない。そんな仕事を嬉々としてこなしている少女――しかも、随分と可愛らしい。


 クラウドに最初にそう告げてきたのは近侍の一人だった。仕事は正確であるがとにかく噂好きで、そこが玉に瑕という侯爵家の子息。クラウドは軽く笑って流していたが、段々とその少女の話が耳に入る機会が増える。さらには、どうやら書庫に籠もって猛烈な勢いで書物を読み漁っているという。話しかければ答えはある。だが、視線は一切動かさず頁を捲る手も止まらない。ちょっとした意地悪も兼ねて、あえて雑談を振ってみても、それらは変わらずににこやかに相手をしてくれるという。

 ちょっとしたホラーじゃないか、とクラウドはその話を聞いた瞬間そう思った。そして次に、ほんの少しばかりその少女に興味が湧き、ついにはクラウド自ら図書館へ足を進める。

 すでに閉館時間を迎え、職員も一人二人を残して帰宅しているそんな時間。クラウドの顔を知っている司書には黙っているよう口止めをし、そっと噂の人物の様子を窺った。

 窓から入る夕日は薄暗く、代わりに館内の明かりが灯る書庫の中。真剣な眼差しで頁を捲るその姿に、クラウドは目を奪われてその場に固まってしまった。


「ものすごく……鬼気迫っていたんだ」



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