世界樹ぶった斬る・後

 それから更に日々は過ぎてゆき、毎日毎日一心不乱に世界樹を切り倒そうとする男の噂は徐々に広がっていった。そして幹の傷が斧の長さを超えた頃には、その噂を聞きつけてわざわざ近隣の町から男の姿を見に来る者達まで現れ始めた。


「はぁー、バチ当たりな奴がいたものだね」

「あの男はなんだって世界樹を切り倒そうとしているのかね?」

「あいつがいつ諦めるか賭けをしようじゃないか」


 そんな事を言いながら男の姿を見物する人々は日に日に増えてゆき、やがては人集りができるようになった。


「さぁさぁ、いらっしゃいいらっしゃい! 世界樹の樹液が入った飲み物はいかがかね! 世界樹弁当や世界樹まんじゅう、お土産に世界樹クッキーもあるよ!」

 行商人はそんな彼等を相手に弁当や菓子を売るようになり、更に儲けを増やしてゆく。そして沢山の人々から好奇の目で見られようと、男は決してその手を止める事なく、世界樹を切り倒そうと斧を振り続ける。その背後には折れたり刃の欠けた斧が何本も転がっていた。

 人々はなぜ男が世界樹を切り倒そうとするのか、面白半分に議論し合った。


「きっとあいつは悪魔の化身なのさ」

「いやいや、俺はただの目立ちたがり屋だと見たね」

「いいや、多分女に振られた腹いせだな」

 人々はそんな風に好き勝手に推測しながら、男が世界樹に斧を振りかぶる姿を遠巻きに見守り、やがて男の周りは観光地のようになった。


 そんなある日の事だった。

 見物をする人々をかき分けて、顎髭を長く伸ばした役人が男の元へとやってきた。


「お前が世界樹を切り倒そうとしている男か?」

 声を掛けられた男は役人を睨み付け、威嚇するように斧を身構える。すると役人は慌てて羊皮紙の巻物を取り出し、男の前に広げて見せた。


「いいかね、これを見なさい。ここに記されているように、世界樹を意図的に傷付ける事は法律により禁止されている。今すぐやめなさい。今なら警告で済むが、これ以上続けるならお前を逮捕しなければならない」

 役人は真っ直ぐに男を見据え、毅然とした態度で言った。しかし男はその警告を無視し、再び斧を振り始める。

 役人はゴホンと咳払いをし、今度は少し良い声で、先程と同じ内容の言葉を口にする。男はもう役人の方を見向きもしなかった。


「警告はしたからな! 次は衛兵を連れて来るぞ!」

 そう言って役人がそそくさと立ち去ってからも、男は斧を振り続ける。するとその様子を見ていた見物人達は、「ここまでか」「やっぱり無謀だったんだ」と口々に言いながら散って行った。それでも斧を振り続ける男に、行商人が語りかける。


「旦那、そろそろ潮時じゃありませんかね? これまではお目こぼししてもらっていましたが、どうやらこのままだとお縄にかかる事になるみたいですぜ?」

 しかし男は聞く耳を持たず、黙々と斧を振り続ける。すると、まるで見計らったかのように斧が折れ、刃がどこかへと飛んで行った。


「ほれ見なせぇ。そもそも世界樹を切り倒すなんてできやしないんですから」

 男が世界樹に付けた傷は、とうに男の身長を超えていた。しかし遥か彼方まで城壁のように続く幹の太さと比べれば、爪楊枝の先ほどの傷である。

 それでも男は折れた斧の柄を放り捨てると、「新しい斧をくれ」と、何度も豆が潰れて岩肌のようになった手を差し出す。


「旦那ぁ、いい加減諦めなせぇ」

 行商人は根負けしたように言いながら、男に予備の斧を手渡してやるが、その顔には不安げな表情が浮かんでいる。


 するとその時、世界樹が淡い光を放ち始め、周囲の木々が騒めき始めた。そして男の頭上から、淡雪のように光の粒が降り注いでくる。

 それは、季節の変わり目毎に世界樹が振り撒く花粉であった。


「あぁ、もうそんな時期ですか。あたしゃこの花粉を浴びるのが何よりも楽しみでしてね」

 そう言って行商人は目を閉じると、両手を広げて降り注ぐ花粉に身を晒す。花粉は行商人の肌に触れると溶けるように消えてゆき、その体を幸福感で満たしてゆく。行商人の顔は穏やかで、満ち足りた表情が浮かんでいた。


 しかし、そんな行商人とは対照的に、男は苦々しげに顔を歪めて舞い散る花粉を見つめていた。そして受け取ったばかりの真新しい斧を握り締めると、いつもに増して力強く世界樹へと打ち付け始める。

 行商人にはそんな男の胸の内が理解できなかった。


 世界樹の花粉は触れた者の心を幸福で満たし、傷付いた者の体には癒やしを与える。誰も傷付かない優しい光であり、大陸に暮らし人々は悪党であろうともその恩恵にあやかる事ができるのに、なぜ男はその顔に憎しみを浮かべているのだろうか。


「旦那、良かったら今夜夕飯を家に食べに来やせんか? そろそろ日も暮れて来ましたし、今日くらいは……ね?」

 それは、一人孤独に斧を振り続ける男を憐んでの誘いであった。すると男はしばらく斧を振り続けていたが、やがてその手を止めて行商人を見る。

 そして小さく頷いた。


 ☆☆☆


 行商人の家は、町から外れた農村にある小さな小屋だった。その外観はお世辞にも綺麗とは言えず、隙間風が入り込むようなボロ小屋である。


「さぁさぁ旦那! 汚い家ですが上がってくだせぇ!」

 行商人が男を招き入れると、出迎えたのは沢山の子供達だった。子供達は皆行商人の兄弟であり、両親は既に亡くなっているために一人で育てているのだと行商人は語った。

 子供達はいつも行商人から男の話を聞かされているらしく、興味津々といった様子で男を取り囲み、物珍しそうに話しかけてくる。そんな子供達に対して、男は戸惑いながらも優しく接するのであった。


「旦那の生まれはどこなんですか?」

 夕飯が終わり子供達が寝静まった頃、行商人は男の握るカップにコポコポとラム酒を注ぎながら尋ねる。


「ここからずっと東の、林業で栄える村だ」

「するってぇと、元々木こりだったんで?」

 男は頷き、カップを口に運ぶ。


「それじゃあやってる事は今と変わらなかったってわけだ。嫁さんと子供は?」

 その問いに男は言い淀み、どこか悲しげに目を伏せる。その様子に行商人は慌てて取り繕うとしたが、男は静かに口を開いた。


「……いた」

「いた……って事は、そういう事なんで?」

 行商人が恐る恐る尋ねると、男は「あぁ」と、また頷いた。


「まぁ、人生色々ありまさぁな……。あっしも両親が死んでからは色々ありましてね、今は旦那のおかげもあってなんとか暮らしていけてまさぁ」

 行商人はそう言って笑うと、自分のカップにもラム酒を注ぎ、それを一気に飲み干す。


「しかしねぇ、だからって何で世界樹を切り倒そうだなんて考えるのか、あっしにはさっぱり分かりやせん。どう考えてもあんなものを切り倒すなんてできやしないのに」

 行商人は空になった自分のカップに再びラム酒を注ぎながら、半ば呆れたように言う。すると男は、どこか遠くを見据えるような瞳で小屋の天井を見つめながら、静かに語り始める。自らと、そしてかつていた家族の話を──。


 ☆☆☆


 かつて男は、世界樹から遥か東にある村で木こりとして暮らしていた。

 ただ毎日木を切り倒し、それを売って暮らしてゆくだけの質素な生活。そんな暮らしをしていた男も、同じ村で暮らす娘と恋仲になり、やがて夫婦となった。そして二人の間には娘が産まれた。

 新たなる生命の誕生、それは男にとって何事にも変え難い喜びであり、幸せであった。

 しかし、二人の間に生まれた娘は生まれつき体が弱く、ある病を抱えていた──。


「世界樹アレルギー……?」

 医者からその病名を聞いた時、男は自分の耳を疑った。

 世界でただ一人、世界樹の花粉にアレルギー反応を示し、その花粉に触れると肌が爛れ、花粉の放つ光を浴びただけでも呼吸困難に陥るという病を持ち、娘は生まれてきたのだ。そしてその世界初の症例には治療法がなく、それを研究する金も、知識も、男は持っていなかった。


 それでも、男とその妻は花粉が舞う時期になると娘を隠すように家に閉じ込め、その身を守ろうとした。娘は季節が変わる毎に外から聞こえて来る人々の嬉しそうな声に、「お父さん、私も世界樹の花粉を見たいわ。きっと綺麗なんでしょうね」と言ったが、男は決して娘を外に出す事はしなかった。


 そんなある日、冬から春へと移り変わる頃、男は妻が馬車に轢かれたという報せを村人から聞いて、娘を置いて家を飛び出した。「決して外に出るんじゃないぞ」と娘に言い聞かせた男は、妻の無事を祈りながら雪解けの泥道を走った。しかし男が駆け付けた時、妻は既に息絶えており、その亡骸を教会に運び込んだ男は娘に母親の死を伝えるために家へと戻る事となる。


 来た時に駆け抜けた足跡がまだ残る雪解けの道を、男は肩を落として重い足取りで歩く。そんな時、風に乗って飛んできた世界樹の花粉が空から舞い散り始めたのだ。


 光る花粉は妻を亡くした悲しみに暮れる男の心を優しく包み込んだが、その時ふと嫌な予感が頭をよぎり、男は家に向かって駆け出した。

 そしてその嫌な予感は当たっていた。

 男がドアを開けた時、その目に映ったのは開かれた窓から舞い込む淡い光と、床に倒れ伏して動かぬ娘の姿だったのだ──。


 命の灯火が消えて行く娘の体を抱きながら、男は娘の運命と己の無力さを呪った。

 何より辛かったのは、娘に何一つしてやれなかった事だった。幼い娘が外から聞こえてくる幸せそうな声を聞きながら、どれほど孤独で寂しい思いをしていたかと思うといたたまれなかった。


 世界中の人々が幸福感に包まれる中で、たった一人だけそれを分かち合う事が許されず、その不幸を誰にも理解されぬ悲しみはどれほどのものだっただろうか。そしてどんな思いで窓を開けたのだろうか。その深い悲しみは、幼い想いは、男にはただ想像する事しかできなかった。


 だから男は娘の墓前で決めたのだ。

 いずれあの世で再会した時、娘が抱いていた孤独と悲しみを分かち合うために決めたのだ。

 例え世界中の人々に疎まれようと、己はただ一人孤独に、娘の命を奪った世界樹を切り倒すという意志を世に示すと。

 人々に愛され敬われる世界樹に、ただ一人敵意を向け、斧を突き立てると──。


 ☆☆☆


 男が語り終えた時、その深い悲しみと愚かさを知った行商人は涙を溢していた。

 男の目的は世界樹を切り倒す事ではなく、今は亡き娘の抱いていた悲しみを知るためだったのだ。そしてそのためには、己が罪に問われようと構わないとさえ思っているのだ。


「旦那、あんたはバカだ」

 行商人は涙ながらに言う。

 それ以外の言葉が出てこなかった。

 パチパチと暖炉の火が爆ぜる音が、男の心を焦がし続ける悲しみを表しているようであった。

 男はカップを置くと、「食事をありがとう」と言い残して小屋を出て行く。行商人はその背中を何も言わずに見送る事しかできなかった。


 ☆☆☆


 その翌日から、行商人は男の元に現れなくなった。

 それでも男は斧を振り続け、その数日後──。


「世界樹を切り倒そうとする不届者はあの男だ! 捕えよ!」

 沢山の衛兵を引き連れて再び現れた役人により、男は捕らえられ、牢屋へと連行される事となる。

 男が後ろ指を指されながら連れて行かれる中、役人の前に立ちはだかったのは行商人であった。


「お待ち下さいお役人様!」

「何だ貴様は!? そこを退け!」

 役人は突然現れた行商人を訝しげに見る。すると行商人はこんな事を言い始めた。


「その男に世界樹を切るように頼んだのはあっしで御座います!」

 その言葉に、役人と衛兵は驚きの声を上げ、男は目を見開いた。


「出鱈目を言うな! お前もしょっぴくぞ!」

「どうかそうしてくだせぇ。あっしは自分の商売のために、その男に世界樹を切るように頼んだのです!」

 必死に訴えながら地に頭を擦り付ける行商人を見て、男は声を荒げる。


「違う! 俺は俺の意思で世界樹を傷付けたのだ! そいつは関係無い!」

 男には、自らの過去を知る行商人がなぜそのような事を言うのか理解する事ができなかった。行商人はそんな男の言葉にも耳を貸さず、叫ぶ。


「しょっぴくならばどうかあっしを! その男は何も悪くないのです!」

「お前には養わねばならない幼い兄弟がいるではないか! なぜそんな事を言う!?」

 男は行商人に向かって叫ぶ。すると、それまで地に頭を擦り付けていた行商人は顔を上げ、男に向かって言った。


「あっしには旦那の気持ちを全て理解する事はできません! でも旦那にもわからないでしょう!? 我が友が過去に囚われ、自らを責め続けているあっしの気持ちなど!」

 その言葉に、男は思わず言葉を失った。

 役人は二人を見比べてしばらく考える素振りを見せていたが、やがてまどろっこしそうに衛兵達に告げる。


「ええい、こうなれば二人共しょっ引いてしまえ!」

 すると男は役人に向き直り、地に膝をついて深々と首を垂れた。


「お役人様、どうかお願いです。私は二度と世界樹を傷付けたりはしません。だからどうか、この者だけでも許してやってください。お願いします」

 それまでとは打って変わった男の態度に役人は戸惑い、しばらく考えた後に口を開いた。


「その言葉、誠であろうな?」

「はい、天地神明に──世界樹に誓って誠で御座います。どうか、どうか御許しを」

 男は地面に頭を擦り付けて懇願する。役人はまたしばらく考え込んだ後、男に向かってこう告げた。


「良かろう。但し、もし次に世界樹を傷付けたり、私を無視したらその命は無いと思え」

 役人は衛兵達と共にその場を去り、後には縄を解かれた男と行商人が残された。


「なんと馬鹿な事を」

 男は行商人に言う。

 すると行商人は額から土をポロポロと溢しながら笑った。


「旦那、新しい斧を買ってきましょうか。次は杉でも切りやしょう」

 こうして男は世界樹を切る事を諦め、普通の木こりへと戻った。そして行商人の家で暮らすようになり──。


「あんた、いつまで寝てるんだい!」

降ってきた声に、男は目を開ける。

男を微睡から引き起こしたのは、よく見知った顔であった。


「ん……すまない。昔の夢を見ていた」

「さっさと朝飯を食べておくれよ、あたしゃ商売と子供達の世話で忙しいんだからね! あー、忙しい忙しい」

 

 男は行商人の旦那になったのだ。

 朝食を済ませた男は妻と子供達にキスをして家を出る。斧を担いでのっしのっしと歩いて行く男の頭上では、今日も世界樹が青々と茂っていた──。

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