指摘

「これ……は……」


 あまりの衝撃にものも言えず、手にしていたカップ麺を落としてしまう。

 そんな自分へ、田中は心底から同情するようにうなずいた。


「心中、お察しします。

 まさか、ご自分がストーキング被害に遭っていたとは思わなかったことでしょう?

 その他にも、様々な証拠品を発見しましたが……。

 それについては、あえて伏せておくことにしましょう。

 精神衛生上、あなたはお知りにならない方がよろしい」


 すらすらと語る田中であったが、精神も衛生もあったものではない。

 確かに……確かに、自分がストーカー被害に遭っていて、あの山本という男が、その犯人であったというのは驚きである。

 また、見せつけられた写真への、生理的嫌悪感も大きい。


 だが、そんなことは、今、問題ではない。


(一体、どうやってこんな写真を用意したの?)


 洋子の頭を占めていたのは、そんな疑問なのである。

 さっきの、汚らしい流し台に関しては、説明がつく。

 ネットで適当に検索すれば、そういった画像も出てくるだろう。

 だが、今の写真に関しては、事前に用意でもしていなければ、撮影できるはずもなかった。


「その……なんなんです? この写真?

 一体、どうやって……?」


「ですから、ここへ来る前に、彼のご自宅へうかがってきたのです。

 鍵はかかっていましたが、それは遺体から拝借しました」


 洋子の言葉に、田中はにこやかな笑みを浮かべながら答える。

 しかし、それは回答であって、回答ではなかった。

 写真に収められたストーカー犯の部屋……常識的に考えて、洋子の生活圏からそう遠くはないだろう。

 それはつまり、この山から車で三時間はかかる場所と言うことだ。

 洋子のように、公共交通機関を使えば、もっとかかるだろう。

 そこへ、死体発見からの短時間で行って帰ってくることなど、到底不可能なのである。


「失礼ですけど、そこの……山本さんの住所は、どの辺りで?」


「ああ、それは――」


 田中が告げたのは、想像通り、洋子が住んでいる近隣であった。


「そこと、往復してきたって言うんですか?

 この短時間で?」


「はい。

 便利な勇者の力を使ったと、そう言っておきましょう」


 マジシャンがそうするような、とぼけた仕草で田中が答える。

 まったく、話にならない。

 そんな大嘘が信じられるはずもなく、洋子の脳裏にひらめいたのは、ある仮説だった。


「そんなこと言われても、信じられるはずがありません。

 ですが、その代わりに、思いついた仮説があります」


「ほう? お聞かせ願えますか?」


 興味深そうに耳を傾ける田中へ、それを言ってやる。


「あなたが、あたしのストーカー」


「ほう……これは驚いた。

 衝撃の展開ですね」


「でも、それなら全て説明がつくでしょう?」


 やはり大げさなリアクションを取る田中へ、自説を展開してやることにした。


「その写真……あなたのお部屋だと考えれば、矛盾がありません。

 それに、こんな無名の山に、あなたがやって来た理由にもなります。

 そう思いませんか?」


「なるほど、その視点はありませんでした。

 ですが、確かに理屈は通ります。

 ただ、そうなると、少し困ったことになりませんか?」


「何がです?」


 首を傾げると、田中がにこやかな笑みを浮かべる。


「だって、もしもそうだとしたら、あなたはおぞましきストーカーと、こんな山小屋で向かい合っていることになる」


「それは……」


 そのことへ思い至らなかったことに、今更ながら驚く。

 確かに、田中の言う通りだ。

 ただ、勇者探偵を名乗るこの男は、何というか……人を安心させる雰囲気があり……。

 ストーカーであることに気づいた今も尚、嫌悪感は抱いていないのであった。

 とはいえ、近寄りがたい変人であることは、疑う余地もないが。


「不思議と、そこまであなたを嫌いになれないんです。

 おかしな妄想を抱いている人だとは、思いますけど……」


 くっくっく……と、田中が笑う。

 どうやら、何かの皮肉を込めたりしているのではなく、純粋におかしいようで、目尻には涙まで浮かんでいる。


「いや、失礼。光栄の限り……と、いうのもおかしな話ですか?

 何しろ、ストーカー扱いされているのですから」


 これもブランド物らしきハンカチを取り出し、田中が目元を拭う。


「ですが、その推理は、残念ながら外れです。

 他ならぬ私が、自身の潔白を知っていますから」


「あなたが知っていたところで、意味がないのでは?

 それに、潔白と言っていますが、先程語られた妄想通りなら、不法侵入をしていますよね?

 そちらの……山本さん宅に」


「はっはっは……!

 これは失礼。潔白というのは、大嘘でした」


 おかしそうに……本当におかしそうに笑った後、不意に、田中が笑みを消す。


 ――ぞくり。


 同時に、洋子の背筋を冷たいものが走った。

 先程までの、人懐っこさすら感じさせる態度とは打って変わり……。

 田中が見せたのは、冷たい……本当に冷たい視線であったのだ。


 この感覚は、恐怖などという安い言葉で表せるものではない。

 強いて言うならば、蛇に睨まれた蛙。

 生物として、圧倒的な優位の者から見られていると、体が訴えているのである。


「面白い推理を頂戴しましたが、ここで一度、話を戻しましょう。

 私が問題としているのは、誰があなたのストーカーだったのではなく、そちらの彼――」


 そこで、田中が部屋の隅……。

 毛布に包まれた死体を見やった。


「――山本氏が、誰に、どうして殺されたのかです」


「ですから!」


 何か……そう、何かへ反発するため……。

 半ば金切り声と化しながら、反論する。


「どう考えても、典型的な滑落事故です!

 足でも滑らせて、落っこちたんですよ!」


「……斉藤さん」


 洋子をすくませる無形の圧力……。

 それはすでに、山小屋内の隅々まで充満しており、油か何か、粘性の液体に浸っているかのようであった。

 そんな空気を生み出している人物が、自分の瞳を覗き込みながら、こう聞いてくる。


「あなた、どうして死因が滑落だと知ってるんですか?」


「あ……ああ!」


 そこで、初めて自分のミスに気づく。

 そうだ。そういえば、この男は……。


「私、遺体の全体像は、決してあなたに見せていません。

 毛布にくるんでいる間も、常に目を光らせていました。

 断言しますが、あなたが私の目をかいくぐり、覗き見ることは不可能です」


 実際問題として、自分は死体がここへ運び込まれてから、決してそれに目を向けていない。

 勇者にして探偵を名乗る男が、薄く笑みを浮かべた。


「何故、遺体の死因が滑落であると知っていたか……。

 それは、あなたが彼を死に追いやった犯人だからです。

 そうですね?」


 底知れぬスゴ味を漂わせるこの青年に対し、嘘を貫ける人間が、果たして存在するだろうか?

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