第4話 ごちそうは、月に二回まで

 月に、二回。

 第一、第三金曜日の夜は、ごちそうが――私を待っている。

  

 会社から家に帰ると、先に仕事を終えた彼が既に夕御飯の用意を終えてリビングでくつろいでいた。


 おかえり、と声をかけるその姿。それを見ただけで、ご飯も食べずにそのまま首筋に齧り付きたい。彼にだけは理性を忘れて衝動に駆られそうになる。

 けれど、我慢。ご飯を食べて、お風呂に入ったらと決めている。

 正しくは、彼によって決められている、だ。

 

『僕も仕事があるから、次の日が休みの前……金曜日かな。それと、色々調べたんだけど目安は献血の四百㎖ぐらいが良いと思う。最悪六百までは大丈夫らしいから、量は僕の体調次第。後、献血は期間を二週間ぐらい空けるみたいだし、月二回が限度と思ってね』


 これが、私と彼の間にあるルールだ。守らなかったらどうなるかは、想像もしたくないのでちゃんと守る事にしている。



 

 定めたルールに則った後は、薄暗い寝室で彼の膝に乗った私は指で彼の首筋をなぞる。獲物かれを前にすると楽しくなってしまうのは何故だろう。


 彼は平気なふりをしているけれど、本当は牙が刺さる瞬間が苦手。当たり前なのだけれど痛いのだと思う。牙が刺さるその瞬間、彼の身体が強張れば直接触れている私には隠そうとしてもバレバレ。

 必死で隠そうとしているから、彼が可愛いくて敢えて言わないようにしている。


 お陰で、意地が悪いと理解していても彼を堪能したくて止められない。


 でも、少しばかり本能に勝る思考が、彼を虐めたい……もっと苦痛に悶える姿を見たいと訴えてくる。その為に、ゆっくり牙を立てて痛みを煽っている――事を彼は気付いているだろうか。


 まずは、皮膚。プツ――と開けた穴から漏れ出た血の香りが私の鼻腔をかすめて私をせめぎ立てる。……ああ、でもまだ焦っては駄目だ。

 ゆっくり、ゆっくりと牙を根元まで。生々しい肉をえぐる感触に絵も言われぬ心地になるのは、きっと彼の呻く声を聞いたから。

 小さく、「うっ」とくぐもった声が耳へ届こうものなら、私の加虐心が更に湧き立つ。


 ――可愛い……


 彼の顔が真正面から見えない事だけが悔やまれる。けれども、そんな口惜しさなど少しづつ口腔内に滴るものが思考を奪って簡単に薄れていく。


 血が、彼の生きたままの体温が、口の中に流れ込む。

 新鮮な血液に生臭さはない。ただ、濃厚なまでの彼の味が口一杯に広がって、脳が――本能がその味だけを求めるのだ。


 もっと、もっと。


 もっと血が欲しくなって、彼自身すら食べたくなった手に力が籠る。ぎゅっと抱きしめれば、彼の体温が心地よくて思考が帰ってくる。そうすると、今度は悪戯心が湧いて、彼に触れている指先をこちょこちょ動かした。

 ぴくり、ぴくりと反応する彼が、また可愛い。


 でも悪戯が過ぎたかも。彼の腕の力も強まって殊更強く抱きしめられた。

 それが、また心地良い。

 その心地よさに包まれたまま最後にゴクリと喉を潤した瞬間。


「はあ……」


 自然と、彼ごと堪能した息が漏れ出していた。


 月に二回だけの楽しみ。私は、ただただ、高揚感に飲み込まれていた。

 昂った熱は躊躇いもなく――


「もっと欲しい」


 と、口走っていた。

 二度目は慎重にならないと、彼が貧血を起こすこともある。彼も彼で、麻痺してじんわりとした熱に浮かされているのか、目はぼんやりとしている。けれども、目は私から離さない。

 焦がされそうな目線が、「……うん、大丈夫」と返せば、私は彼に飛びつくだけだった。

 さっきとは違う場所――もう少し上を選んで齧り付いた。


 今度は、大した量は飲めない。絡みつく鉄の味の一滴一滴を舌で堪能してから、喉へと流し込めたら良いのに。なんて考えても、本能が甘いジュースでも飲んでいるかのように、ゴクリゴクリと喉を潤していく。


 もうちょっとなんて、あっという間。

 ある程度が満足すると、名残惜しくも私は身体を離した。


 向き合う彼は、多量の血液を失いぼんやりしながらも世話焼き属性がインプットされた身体は勝手に動くらしい。事前に用意してあった濡れタオルへと手を伸ばして、さっと私に手渡していた。

 ぬるりとした唇にタオルを押し当てると、白い布地は赤く染まっていく。


 ――勿体無い……


 微量ではあるけど、ご馳走を残してしまった気分。だからと言って、口の周りを犬のように舐めるのは抵抗があるし、こればかりは仕方がないと言い聞かせた。


 自分の口周りが綺麗になって、彼に目を向ければ既に二つの傷口から血は止まって、痛ましい痕だけがそこにある。


「痛かった?」


 痛いに決まっている。身体に穴を空けている行為の上に、私が余計に痛みを悪化させているのだ。けれども、傷痕を見た私の本能が「もっと」と囁く。欲望が、勝手に手を操って、傷口の周りを撫でていた。 


「……今日はもう無理だよ。明日、僕が居なくなっても構わないなら、好きなだけ飲めば良いんじゃないかな」


 ヒュッ、と喉を切られるような低い声音。真実という鋭い言葉が、私を冷静へと導いた。

 時々、どうしようもなく喉が渇く。どうしても歯止めが効かずに、頭からルールが消えてしまうことがある。彼の叱咤で止まったから良かったものの、この時ばかりはばつが悪く、私は彼から顔を背けた。


 頬に、彼の手が触れる。先ほどの声色を忘れてしまえる程の優しさと温かみで、様子を伺いながらも彼を見れば、あっという間にキスされた。

 触れるだけの、それ。

 少しずつ深く絡まり、口に中に僅かに残っていたご馳走の味が、濃くなった気がした。


 きっと、では味わえない。

 この世で最も愛しい、ご馳走の味。



 終



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吸血鬼な彼女と、彼氏(餌)の僕。 @Hi-ragi_000

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