第2話 誰にだって秘密はある

 彼女が自らを吸血鬼だと名乗った事は一度としてない。

 吸血衝動以外は、僕と何ら変わりない。呼吸もあれば、成長もして歳も取る。僕と同じ食事を口にするし、昼間も出歩ける。ましてや、噛みついたからと言って僕が同じ行動に出る事はない。

 医学的に言うならば、急激に鉄分が不足した場合にのみ吸血衝動に駆られる――と言う感じだろうか。

 

 彼女は、出生届も戸籍も存在する――――人間だ。

 


 ◆◇◆◇◆


 

 彼女との出会いは高校生の時だった。

 同じ高校の同じクラス。

 色白の肌。色素の薄い鳶色の髪色と瞳が特徴的で、鋭い目つきが誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。

 いつも一人で物思いに耽る姿に、声をかけるのも憚れるような……近寄りがたい空気。

 その頃まで、僕にとって彼女は『同じクラスの何時も隅にいる人』、だった。


 ただのクラスメイトよりも少しばかり遠い彼女と会話をするようになったのは、たまたま僕が彼女の出会でくわしてしまった事がきっかけだった。



 あれは、高校二年生の秋ごろ。夕暮れが差し込む誰もいなくなった教室で、彼女は荒い呼吸を繰り返し、床の上にへたり込んでいた。鞄の中身は全て床に散乱させたまま。

 目は青く染まって仄かに輝き、唇の影からは牙が見える。胸元のシャツを固く握りしめ、苦しさを紛らわせようと必死にもがいていた。

 

 見てはいけないものを、見てしまった。

 

 廊下から一歩教室へと踏み込んだ状況下。僕は驚きながらも思考は冷静ではあった。


「……真壁まかべさん、大丈夫?」


 何か、病気だろうか。彼女へと近づき屈み込んで顔色をうかがえば、青褪あおざめて苦悶に歪む表情が映り込んだ。

 僕が隣に座り込んだから、だろうか。いつもと違う仄かに青く光る瞳が、苦しげながらも目の端で僕の姿を追っていた。助けを求めてなのか、彼女の震えた手が僕の制服の袖を掴む。

 

 青い瞳が殊更何かを求めて、眼差しが強くなった気がした。


 助けて欲しいと求められているようで、僕は辺りに目をやった。

 散らかった荷物の中には、銀色の――空になった薬の包装シート。脳裏によぎったのは、彼女は何かの病の発作で、救急車を呼ぶべき事態なのかもしれないという事だ。


「真壁さん、何かの病気? 薬が切れたの?」


 出来る限り慌てずに問いかけるも、彼女は答えない。多分、答える余裕がなかったのもあるのだろうが、答えられなかったのだろう。

 その時の僕は、答える余裕が無いと判断して、ポケットから取り出したスマホで、まだ学校に残っているであろう先生に電話をかけようとした――けど。


「え?」


 一瞬だった。

 スマホに指をかけるよりも速く、彼女は僕に抱きついて――そして、気が付いた時には首筋に鋭い痛みが迸っていた。


「いっ……‼︎‼︎」


 あまりの衝撃で声をあげそうになって、咄嗟に手で口を覆う。何をされているかなんてわかっていなかった。けれども、僕は何故だか声を上げてはいけない気がしていたんだ。

 その時は彼女がをするだなんて考えていないものだから、まあ驚いた。痛みもあったが、女子に抱きつかれた経験もなかったものだから、色々と衝撃的でもあった。今では良い思い出だ。


「ま……かべ……さん?」


 痛みに堪えた僕の声音に、返事の代わりか。じゅるり、じゅるりと血を啜る音ばかりが響く。何をしているのか、なんて間の抜けた言葉は流石に出なかったけれど、頭は終始混乱していた。

 ただ、ちらりと見えた手に持ったままだったスマホは、そのままポケットに仕舞って、彼女が――映画で見るようなが、僕を殺してしまわない様に祈るばかりだった。

 



 それから身体が離れるまで、五分と掛からなかった。彼女が血の匂いの混じった濃厚な息を吐いて僕の首筋から距離を取ると、口周りはべっとりと血に塗れだ。元に戻った色素の薄い鳶色の瞳は、何やら気まずそう……というより、怯えていた。


土井つちい君……その……」


 いつもは、氷を思わせる眼差しは憂いて。けれども僕のジクジクと違和感だけが残った首筋に、彼女はハンカチを当てる手は優しかった。


「……痛かったよね……ごめん」


 目の前の申し訳なさそうな姿をして力無く項垂れる姿は、ただの女子高生だった。映画の中で見る吸血鬼とはかけ離れたその姿。僕の頭の中で巡っていた、鋭い牙やら蝙蝠男的な吸血鬼の印象は消えていた。


「落ち着いた……んだよね?」

「……うん」

「じゃあ、口元拭いた方が良い。誰か来るかも」


 僕はこれと言って彼女と親しい間柄という訳でもなかった。けれども、恐怖する相手――ましてや、嫌悪を向ける手合いとも思えずに、いつも通り……冷静だった。

 

 誰にも知られたくは無い秘密の一つや二つはあるだろう。それが彼女に取っては、だっただけだ。


「一人で帰れる? 送って行こうか?」

「あ……大丈夫……」


 僕の首の血が止まったのを確認して、彼女は自分の口をハンカチで拭う。乾いたハンカチでは、少しばかり口周りに赤みが残り、口紅を塗った様に赤く染まったままの唇が印象的だった。

 

 そのまま散らばった鞄の中身を片付けて、僕は何となしに彼女と校門まで歩いた。気まずい空気、というわけではない。が、お互い口も開かず並んで歩くだけ。

 帰る方角は同じだろうか。そんな呆然とした思考で茜色が地平の彼方へと落ちていく中で、僕は彼女へと目を向けた。

 

 彼女もまた、僕を見ていた。懐疑的な視線は僕に何か言いたげだ。と言うよりも、僕が何か口にするのを待っていたのかもしれない。


「真壁さん、家どっち? 電車? バス?」

「……すぐ、近くだから」

「そっか。本当に送らなくて大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ、僕は電車だから」


 別れ際、僕がまた明日と手を振ると、彼女も小さく手を振っていた。

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