第34話 交点

 真理亜がソファで本を読むハルに覆い被さるように、ハルを優しく押し倒した。


「本当にいいんだね、ハルくん」


 真理亜の目はとろん、ととろけて頬は上気している。荒くなった真理亜の呼吸が、熱を持ってハルの顔に吹きかかる。甘くなまめかしい香りがした。

 ハルは答える。


「良いわけねーだろ、どけよ」真理亜を足の裏で押しやった。何が『本当にいいんだね』だよ。脈絡もなく唐突に押し倒してきて、何言ってんだコイツ。


「あー待って。それ、そのぞんざいに剥がされる感じ、良い❤︎」と蹴られているのに何故か真理亜は喜んでいた。変態である。真理亜が百地みたいになっている。なんか嫌だ。


 ハルは必死に蹴ったが、進撃の真理亜には勝てず、やがて真理亜が降ってきた。真理亜は仰向けのハルに再び覆い被さり、高速で頬ずりしだす。


「だって、ハルくん私のこと好きだって言ったじゃーん❤︎」

「言ってない」

「言いましたー。ハルくんからキスしてくれたし。これまで手も繋いでもらえず我慢させられてきた分、これからはたくさんイチャイチャさせてよォ」


 釈放されてから真理亜はずっとこの調子だった。

 今までキスやハグはおろか、手を繋ぐことすらしてこなかったハルと真理亜だったが、今回の件でキスをしたことをきっかけに真理亜がスキンシップに積極的になっていた。昨日も、裏表共に「YES」のクッションを買ってきてリビングに置いていた程だ。「生理の時、どうすんだよ」と浮かんだ疑問を口にしたら、返ってきたのは「死体が平気なんだから血くらい大丈夫でしょ?」といった狂気の返答だった。



「ねっ? もう一回、いいでしょ?」と真理亜の顔がハルに近づく。艶々と照明を反射した真理亜の唇につい目がいく。ハルは理性の鎧が外側からポロポロと剥がれていくのを感じながら、目を閉じた。

 もうあと1ミリで真理亜に触れる、という距離まで近づいた時、ピンポーン、と音が鳴った。

 真理亜の顔が跳ねるように離れた。


「真理亜」とハルが気まずそうに呼ぶと、真理亜は赤らめた顔で「そうね」と苦笑して、ハルの上から退いた。





 インターホンカメラには、私服でカメラに手を振る百地警部補が映っていた。


「なんだ、お餅か」

『お餅ではありません百地です』とインターホンカメラが喋る。

 ハルはエントランスのセキュリティドアを開いてやり「良いから早く上がって来い」と百地を招き入れた。



 リビングに入ってきた百地に真理亜が「何しに来たのよ」と睨みつけた。イチャイチャタイムを邪魔されたからか、あるいは初めから仲が悪いのか、真理亜の言葉には棘があった。ハルは呆れながらも、百地にお茶を出してやる。

「真理亜さんに用はありませんー。ハル様に会いに来たんですー。あ。ありがとうございますハル様」百地はお茶を受け取りながら、真理亜に中指を立てた。可愛い顔して、ジェスチャーがエグい。

 お前ら仲良くしろよ、と言うハルの言葉は聞こえていないようだった。


「あなたね。ハルくんはわ・た・しの婚約者なんだよ? 人の男に色目使わないでくれる?」

「違いますー、ハル様は百地と結ばれる運命なんですー」


 真理亜がハルに鋭い目を向ける。『こう言ってるけど、実際のところどうなのよ!』とでも言いたげな目だ。運命のことを聞かれても困る。占い師にでも聞いてくれ。ハルは結局「別に遊びに来るぐらい良いだろ」と百地のかたをもった。


 悔しがる真理亜の周りをしばらく小躍りしながら回っていた百地だったが、唐突に「あ、でも真理亜さんにも用があったんでした」とカバンに手を入れてまさぐりだした。

 取り出した物を見て真理亜の顔が青くなる。


「これ、押収品。返さなきゃなんで持ってきたんですよォ。はい、『コブラ』のSMプレイ用拘束具」テーブルの上にボトッとSMプレイ用の拘束具が置かれた。

 誰も言葉を発しない。ただ視線は一様に『コブラ』のSMプレイ用拘束具に注がれている。

 部屋の温度が2度くらい下がった気がした。


「拘束具……」とハルが真理亜に目を向ける。

「いやー、これは私のじゃなくてー、そのォ」真理亜がダラダラと汗をかいて口ごもる。

「真理亜さんの大切な物だって聞いてたんで厳重に保管してましたよォ」と百地が悪い顔で補足する。

「真理亜の……?」ハルは一歩真理亜から後ずさる。

「違う違う違う! 違うの! 聞いて! こ、こ、これは、その……そう犯罪心理の研究で昔買ったものでェ」と真理亜が捲し立てる。目が泳ぎまくっている。

 すると百地がスマホを取り出して、何やらつらつら読み上げだした。「コブラ拘束具LZ32-BLは昨年発売されたLZ31をより使いやすく改良した最新モデルで、そのレザーの質感は——」

「——やめてェェエエエ! 論破しないで、お願いィィイ!」真理亜はもはや泣いていた。

「百地。それは警察の方で捨てといてくれ」とハルが汚物でも持つように拘束具を摘んで、百地に渡した。

「ダメよ! 15万もしたんだから!」この期に及んで真理亜はそれを奪おうとするがそれより早く百地が回収した。

 後に残ったのは真理亜の涙と、ハルの蔑みの目だけだった。




「押収品を還付するってことは、もう事件は終結ってことだよな?」ハルが自分と真理亜、2人分のお茶を持って来てテーブルについた。

 百地もテーブルにつき、先ほどハルが持って来た茶を啜る。「そうですね。真犯人も出頭してきましたしね」


 ハルの視線が自然に下がる。

 覚悟はしていた。塩谷がどんな選択をしてもハルは口を出すつもりはなかった。

 仮に塩谷がそのまま沈黙を貫いていれば、あるいは真相は闇の中だったかもしれない。携帯電話のキャリア会社に照会をかけて得られる情報は通話記録が主たるもので、アプリを使ったやり取りまでは分からない。携帯電話の本体があるというのならば解析もできようものだが、本体は塩谷が隠し持ったままだった。警察署の会議室で話した時は、指揮を下げてもいけないから「逮捕は時間の問題」とは言ったが、実際塩谷に辿りつくのは難しかったかもしれない。


 だが、塩谷は出頭した。

 それが市川への贖罪からなのか、僕が秘密を暴いたからなのかは分からないが、とにかく塩谷は自らの意思で警察署に出向き、全てを自白した。


「塩谷はどうなりそう?」

「そうですねー。未成年とはいえ殺人ですから。検察官送致されて、刑事裁判は免れないでしょうね」


 少年院へ送って、はいお終い、とはいかない。それは分かってはいたが、言葉にされると胸が苦しくなった。

 黙りこくったハルを見て、百地が励ますように言った。「でも、ハル様のおかげで、真理亜さんはもとより東堂ひなたも釈放になりましたよ!」胸の前でグッと両手を握る百地に、ハルは笑みで答えた。

 ハルの覇気のない笑みにまだ足りないと思ったのか、百地はまだ続ける。「例の弱み売買のサイトも閉鎖されましたし!」


 結局、あれは西田が運営していた闇サイトだったようだ。弱み売買サイトは西田が死亡し、管理するものは居なくなったため、放っておいても別に問題はなかったが、いつ模倣サイトができるか分からないため、『強制閉鎖』を実施して闇サイト断絶の姿勢を示したようだった。







 不意に頭に手が乗せられた。「もう、こんなこと起こらないといいね」と真理亜が言った。ハルは「うん」とだけ答えた。

 西田の悪行が、塩谷の殺意に火をつけ、その火は大きく燃え広がる最悪の結果となった。

 西田に脅されていたのが市川じゃなかったなら、こうはならなかったかもしれない。塩谷と市川の友情の崩壊がこの事件を歪な形に変えた。







 —— 崩れない『友情』なんてないよ







 塩谷はあの時そう言った。

 確かにそうかもしれない。どんな仲であっても、相手を傷つけ、誤解し、すれ違い、互いに違う道を行くことだってあるだろう。

 誰だってそうだ。どんな親密な仲だって仲違いする可能性はないとは言えない。僕と真理亜だって、いつそうなるかは分からない。

 塩谷はもう市川と顔を合わすことは出来ないかもしれない。仮に市川の意識が戻っても、その時、塩谷は刑務所の中だ。

 塩谷と市川はそれぞれ別の道を歩き始めたんだ。

 その道はどこでどう曲がり、どこに繋がるかなんてまるで分からない。未知の世界だ。だけど、この先2つの道が絶対に交わらないとも限らないはずだ。

 






 ハルは、2人の前に伸びる道がまたどこかで強く結びつくことを切に願った。

 崩れない友情なんてない。

 だけど、崩れたらまた積み上げれば良い。

 そうやってより固い絆を紡いでいくもんだろ。

 その時は2人が笑ってるといいな、とハルはまだ見ぬ未来に想いを馳せた。





 不意にインターホンが鳴った。

 来客の多い日だな、とハルが立ち上がってインターホンカメラの前に向かった。

 画面を見て、自然と笑みが漏れる。

 時雨姉さんが居心地悪そうにカメラの前に立っていた。むすーっとした表情が可愛い。


(約束、守りに来たか)


 真理亜と時雨姉さんの交点はどうやら、この部屋のようだ。

 ハルは真理亜に内緒でセキュリティドアを開いた。

 


——————————————————


【あとがき】

 これでこの物語は完結です。最後まで読んで頂きありがとうございました。

 レビューまだの方、是非、お星様を僕にください。笑

 待ってます♪





























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