第20話 尾行

 人の話す声や食器の音が絶え間なく聞こえるカフェで私たちは窓側のテーブル席を囲っていた。窓からはハル様の学校の裏門が見える。

 尾行は良いけどさ、とハル様が言った。

 ブクブクとストローを差したアイスティーを弄びながらハル様がぶー垂れる。いつにも増して可愛い。


「なんで僕が女装しなきゃいけないんだよ」


 今日のハル様はゆったりとしたワンピースを身にまとい、頭には茶色のウィッグを乗っけていた。はっきり言って、そんじょそこらの女子の500倍可愛かった。ハル様はいつも可愛いが、今日のハル様は女としての『可愛い』だ。


「だって白石くん、そのままだと注目集めちゃうから、普通にバレるもん」と塩谷が言った。


 ハル様はどこにいても目立つ。男子なのに、美形だからだ。

 女子の美形は然程さほど目立ちはしない。結構、そこら中にいる。だが、男子となると、その貴重さは桁違いだ。世の男子の多くは小太り、あるいは『ぽっちゃりさん』なのだ。

 細身の男子、というだけでまずモテる。そこにきてハル様の場合は、『イケメン』まで加わるのだ。そうするとどうなるのか。すれ違う女子の100人に100人がハル様に振り返る、という現象が起こる。

 つまりハル様に『隠密』など不可能なのだ。だからこその女装である。

 決してハル様におめかしさせて遊びたい、などという理由ではない。決して。断じて。


「江藤だって男なんだから、男が1人増えるくらい別に目立たないだろ」とハル様が信じられないことを言う。

「ハル様、アホですか? 江藤とハル様を同列で考えるなんて」

「アホの百地にアホと言われるとは……。心外すぎる」

「『アホの坂田』みたく呼ばないでください」

 私たちのやりとりに塩谷が「今のは白石くんが悪いよ?」とたしなめる。

「なんでだよ」と不貞腐れるハル様はやっぱり可愛かった。



 午後6時20分、まだ江藤は学校から出てこない。

 とりあえず尾行しようぜ、なんて軽いノリでの計画だ。いつ江藤が学校から出てくるかなんて誰一人把握していなかった。

 かろうじて塩谷が、江藤が裏門から出勤、退勤していることを知っている、という程度だ。




 昨日さ、とハル様が神妙な顔をして脈絡なく言った。「夜中におやつ食べようと思ったら、なくてさ」


 親だと思っていた人が実の親ではなかった、くらいの調子でハル様がどうでも良いことを言った。どう考えても、そのテンションで言うことではない。


「もうこれは買いに行くしかない、ってさ。思ったんだよね。で、行ったわけ」

「何、百地警護なしで無断外出してんですか。百地、怒りますよ?」

「白石くん、夜中に一人で、なんて危ないよ?」


 出だしからくじかれて、ハル様が口をとがらせる。可愛い。

 ハル様は結局私たちの忠告には取り合わず、「でね」と続けた。


「コンビニまで歩いてると、自分の足音が響いているのが聞こえたんだ。人間って、こんなに足音たてて歩くんだ、って思ってね」

「ハル様、意外に動作が雑ですからね」

「男の子なんだから、もうちょっと考えた方が良いよ?」


 またも腰を折られ、嫌な顔をするが、今度の無視は早い。流れるように私たちを無視した。


「そしたらね。不意に気付いたんだ。足音が1つ多い、ってね。僕の足音と、もう一つ。タカタカ、タカタカタカタカ、って歩く音が聞こえるんだ」

「怖い話ですか」

「ちょっと白石くん、やめてよ」


 ハル様は「心底怖い」という表情を作って見せながら話す。もはや顔芸である。


「でも、どうせ百地かと思ってね。いやだなぁ、アホだなぁ、って振り向いたんだ」

「なんで百地だと『いやだなぁ』なんですかァ!」

「百地さん、なに『アホだなぁ』は許容してるの? 怒って良いんだよ?」


 そしてハル様は、今度は目を見張って、「そしたらね」とわざとらしい『驚愕』の表情を作って言った。


「誰もいなかったんだ」


 ごくり、と塩谷が唾を飲み込む音がした。

 何、最後の最後でガチの怖い話にしてきてんだ、この子。

 塩谷が反応に困っているじゃない。『本当に怖いけど、この流れで怖いって言うのちょっと恥ずかしい』みたいな顔で困っているじゃない。

 私たちの戸惑いも余所に、ハル様はカフェの入口を見て「あ、江藤だ」とつぶやいた。

 人の気も知らず、のんきな


 ——って江藤?!


 振り返ると、確かにいた。

 レジ前を通り過ぎて、私たちからは少し離れたテーブル席につき、不機嫌そうな顔でメニューを開いて見ていた。


「気付かなかった」と塩谷が悔しそうに言う。私もそうである。ハル様の話に集中しすぎて、学校の裏門などチラリとも見ていなかった。

 元凶であるハル様は「よくそんなんで新聞部と刑事が務まるな」とケラケラ笑っていた。

 イラっとするが、可愛い。なんだこの気持ち。イラ可愛い。


「待ち合わせかな?」塩谷が言った。

「だとしたら、はずれだな」とハル様がズズズとアイスティーを飲み干す。

「なんでです?」


 待ち合わせなら、当たりではないか。不倫相手がやってきて、万事解決である。

 しかし、ハル様はそうではないと言う。


「こんな学校の真ん前のカフェで不倫相手と待ち合わせるわけないだろ。もし待ち合わせの目的で江藤先生がここに来たんなら、相手は不倫相手ではない」


 なるほど、と塩谷が深く頷いた。

 江藤は注文を済ませるとノートパソコンを開いて何やら作業を始める。

 残務だろうか。男の割には働き者である。

 食事を取ってからも、まだ江藤に動きはなかった。

 ハル様は既に飽きたのか、スマホをいじっていた。集中してほしい。



 やがて、江藤がパソコンを片付け、席をたった。


「あ、出るみたいだよ」と塩谷がいち早く動く。

 ハル様が続く。「会計、よろしく〜」それまでスマホをいじっていたクセに、こういう時だけ判断が早い。

 私は泣く泣く五千円札をレジ台に置き、「釣りはいらねェやい!」と店員さんに告げ、急いで追いかけた。あーあ、もったいない。


 江藤は幸い交通機関を使うつもりはないらしく、一人のしのしと歩いていた。

 私たちは少し距離をとってそれを追う。

 他の通行人もちらほらいるため、然程目立っていないはずだ。


 江藤は目的地が決まっているようで、迷うことなく進んでいく。

 やがて、江藤がメルヘン通りに入っていった。あまり治安の良くない地域だ。脱法ドラッグや大麻なんかの売買も日常的に行われる危ない場所。

 ハル様は道行く人を見て顔をこわばらせ、一歩私に近づいた。そして、私のスーツジャケットの肘辺りをつまむ。


 胸がキュンと射貫かれた。

 なんだこの生き物、可愛すぎるでしょ!


「百地さん鼻血とよだれがダブルで垂れてるよ」塩谷の声で、我に返った。


 いけない、いけない。危うく妄想の世界に旅立つところだった。

 江藤を見ると、先ほどと変わらずのしのしと歩いている。

 丁度、その時、江藤が流れるような自然な動きで建物に入って行った。


 私たちは建物の前に止まる。


「SMグッズ専門店……」と塩谷が1階の階段横に設置された看板を読んだ。

 ハル様は何か気まずそうに佇んでいる。


 私はハル様も塩谷もまだ気づいていないことに気が付いた。

 仕方ない。お姉さんが少し解説してあげるか。

 私は迷える子羊たちを教え導くように優しく言う。


「可能性は2つあります」


 2人が無言で私に目を向けた。唐突になんだ、とでも言いたげな眼差し。

 ハル様に至っては、まったく期待していない目をしている。

 ハル様は目で塩谷に合図を送った。それを受けて塩谷が「な、なんの可能性かな?」と聞いてきた。


「すなわち、江藤がサドの可能性、あるいはマゾの可能性です」


 はい解散、とばかりにハル様が私から視線を外した。「なぁ、中まで追う?」と塩谷に聞く。塩谷は「うーん。流石にばれるかなぁ」と応じる。


「ちょっとちょっとォ、なんで無視するんですかァ!」


 ハル様は面倒くさそうにまた塩谷に合図を送った。さっきからなんで塩谷をけしかけてくるのか。塩谷が言う。


「SMグッズ専門店に来ているんだから、SかMなのは当たり前じゃん」



 ……。

 まぁそうだよね。分かってたから。分かった上で、ちょっとカッコイイ感じに推理してみたかっただけだから。

 私は涙を拭いた。


 江藤が出てきたのは10分程たった頃だった。手には紙袋をぶら下げている。入店時は持っていなかったものだ。

 つまり何かを購入した、ということ。SMにまつわる何かを。

 江藤は再び歩き始める。



 歩くことさらに10分。

 この当たりでは有名な高級ラブホテル『スカイセキュリティホテル』正面入り口の方へ歩いているようだった。


「今度こそ誰かと待ち合わせかな」と塩谷が興奮しつつも声を落として言う。

「スカイセキュリティホテルだなんて、さすが男性教諭。金持ちですね」


 スカイセキュリティホテルは、ラブホテルはラブホテルなのだが、そんじょそこらのラブホテルとはひと味違う。

 まず防音設備が半端ではないらしい。隣の部屋の音も廊下の音も何も聞こえない。外のクラクションの音や落雷の音すらも聞こえないという。完全な無音。

 また、最上階のスイートルームを使用する者にのみ、絶対に誰にもバレない入退店サポートがオプションでつく、との噂もある。芸能人御用達のラブホテルなのだそうだ。


 ハル様がスカイセキュリティホテルの大きな広告看板を読んで言う。「完全防音、か。SMって叫んだりしそうだもんな」


 童貞のクセに生々しいことを言う。

 実際のSMがどんなものなのか、はいくら私といえど未知の領域であった。



 スカイセキュリティホテルの正面玄関が見えてくる。

 ガラス張りの自動ドアの横に、どこか見覚えのある少女が立っていた。



「あれ? あの子」とハル様がつぶやく。


 そう時間もかからず、私も彼女を思い出した。

 前にテニス部で先輩部員に叱られていた子だ。塩谷は彼女を知っていたのか、そっとつぶやく。


「東堂ひなた」

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