第8話 また密室かよォ?!

 ハルがマンションのエントランスを出ると、スーツ姿の百地ももちが立っていた。

 少し幼い丸顔と元気溌剌な茶色のミディアムボブ。メイクは少し気合いが入っている気がする。美人と言って差し支えない容姿だが、褒めるのも癪なのでハルは百地の容姿にはいつも触れない。


「お待たせ、お餅」

「お餅ではありません。百地です。おはようございます」


 ここ数日、百地はハルのボディーガードとして動いていた。捜査本部の命令であるため、百地にとっては正式な勤務と言えるが、本人はヘラヘラと幸せそうに毎日を過ごしていた。

 今日も今日とて百地は登校するハルの護衛を行う。


「ハル様のお家に泊めてくれたら、もっと完璧な警護ができるんですけど、やっぱりダメですか?」


 百地がハルを覗き込むように上目遣いで言う。


「ダメに決まってんだろ。お餅は変態だから信用できない」

「変態ではありません。人よりちょっとだけ性欲が強いだけです。百地です」

「え? ちょっと?」ハルが訝しむ。


 以前、床に落ちているハルのものと思しき髪の毛を摘み上げて、ジップロックに入れている百地を見たことがあるだけに、ハルには『ちょっと』という言葉が引っ掛かった。

 百地はハルの冷たい視線を物ともせず、『ぁそうだ』とバッグに手を突っ込んだ。そして次に手を抜き出したときには、ラッピングされたハート型の箱が握られていた。


「はい。どうぞ」百地がハルに手渡す。

「あー……これバレンタインチョコ?」


 本日は晴天なり。晴天な2月14日なり。

 今日がバレンタインデーであることを、当然ハルも分かっていた。元の世界では、男子はチョコがもらえるか否かでソワソワ過ごすのが常であったが、この世界では勝手が違う。

 チョコを押し付けてくる女子から、どう逃れるか。逃れられるか否かでソワソワするのだ。あるいはピリピリだったり、ビクビクだったりするのだ。


「ですです。超本命です」


 はっきりと言い切る百地。アホとはいえ、百地は美人だ。そんな女性からこんなことを言われるとハルも少しドキドキする。


「髪の毛とか、体液とか、入ってないだろうな?」

「何言ってんですか! 流石の百地でもそんな物いれません!」

「流石の百地って……お餅も変態である自覚はあるのな」

「変態ではありません。人より少しだけ性欲が強いだけです。百地です」


 ハルは一応チョコを受け取ってスクールバッグに詰め込んだ。


「ハル様は毎年何個くらいチョコ貰うんですか?」と百地が尋ねる。

 ハルはどうでもいいことのように歩きながら答えた。「ん? 真理亜からの1個だけだよ」

「そんな訳ないですよ! ハル様程の人間国宝がチョコ一個だなんて……あり得ません」


 ハルがニヤリと笑い、そして言う。


「学校につけば分かるよ」


 二人は他愛のない雑談を交わしながら——あるいは百地のセクハラ発言をかわしながら——学校に向かった。




 ハルのクラスの下駄箱につくと、百地はバックからスリッパを取り出して履き替え、靴はビニール袋に入れてバッグにしまった。


「さてさて、いくつ入ってますかね」と百地がハルの下駄箱を前に手を擦る。普段ハルの下駄箱に大量に突っ込まれているラブレターを知っているだけに、百地は当然チョコは入っているものと考えているようだった。

 そして勝手にハルの下駄箱の小扉に手をかけた。無断で男子の下駄箱を開けようとする百地のデリカシーの無さにハルは呆れを通り越して感心していた。

 下駄箱の小扉を引く百地の手がガチッと止まる。


「あれ?」


 ガチガチガチ、と続けて音が鳴る。

 百地は困り顔でハルを見た。


「ハル様、開きません」

「だろうね」

「だろうね、じゃないですよ。さりげなくハル様の上履きの匂いを嗅ごうと思っていたのに、どうしましょう」

「キミの頭がどうしましょう、だよ」


 百地は『あ!』と声をあげて、それに気がついた。

 それはワンタッチで取り付けられる後付けの錠前だった。


「小癪な!」と百地が激昂する。

「僕はバレンタインデーの前日に、いつも下駄箱に鍵を取り付けるんだよ。こうすることで余計なチョコレートをカットできるのさ」

「塩分カットみたいに言わないでください。でも直接渡されるチョコはカットできないじゃないですか。チョコ一個なんてことはやっぱりないと思います」


 ハルはちっちっち、と指を振って百地を挑発する。百地は若干イラついた顔を見せた。


「僕に送られるチョコは、何故か謎のちぢれ毛とか赤い液体とか、そんな物が混入していることがよくあるんだよ。だから、少しでも異物混入の可能性があるチョコは、全てノーカンにしているんだ」

「しているんだ、じゃないですから。何勝手に『可能性』だけでノーカンにしてるんですか!」

「疑わしきは罰する。チョコの大原則だ。ちなみにお餅のチョコもちぢれ毛チョコの可能性はあるからノーカンだ」

「百地のチョコはちぢれ毛チョコじゃありません! てかチョコの大原則って何なんですか?!」

「その点、真理亜のチョコは最初から最後まで僕が監視してるから異物混入の可能性は皆無。いわばセーフティチョコだ」

「だからセーフティチョコって何なんですかァ?!」


 ハルが取り付けられた簡易錠前に鍵を差し込みひねると、カチリと音がした。

 勝ち誇った顔のハルが下駄箱の小扉を開く。

 勝ち誇った顔が一転。恐怖に引き攣った。


「どうしたんですか?」百地も下駄箱を覗き込む。


 そこには一通の手紙とチロルチョコが、ハルの上履きの上に置いてあった。

 そんなばかな、とハルが頭を抱える。


「鍵をかけた時はなかったのに! なんで?! また密室かよォ?! 密室チョコ!」

「落ち着いてくださいハル様。チョコだけじゃないようですよ。これ……手紙?」


 ハルは手紙を取り出し、開封した。

 中身を読む。百地も顔を近づけて来た。


『第二理科室を調べよ』


 定規で真っ直ぐに引かれた字でそう書かれていた。


「宝探し型のバレンタインチョコでしょうか?」

「チョコを押し付けられるだけで鬱陶しいというのに、自らのチョコを『宝』にするなんて厚かましい奴だな」


 ハルは下駄箱内に顔を近づけて調べ始めた。

 そして、すぐに言った。


「なるほど。そういうことか」


 一人納得して下駄箱から顔を離し、ついでに上履きを取って履き替えた。


「え?! どういうことです?! 一人で納得してないで百地にも教えてください」

「下駄箱の中、見てみ」


 百地が下駄箱に顔を近づける。すかさずスンスンとにおいを嗅ぐ音が鳴った。ハルは下駄箱の小扉を閉めて百地の顔を挟んだ。


「痛い痛い痛い痛い! すみません! 嗅ぎません! もう嗅ぎませんからァ!」


 解放された百地は挟まれていた頬をおさえてゼェハァと息を整える。


「で、何が見えた?」とハルが尋ねると、百地は頬をおさえたまま答える。

「なんか、木の板みたいのが、奥に見えましたけど」


 下駄箱内の天井から、テープで固定された小さなベニヤ板がぶら下がっていた。

 ハルが答える。


「そう。でも元々はぶら下がってなかったんだよ。下駄箱内の天井にテープで完全に貼り付けていたんだと思う。天井とベニヤ板の間に手紙とチョコを挟んでね。僕が鍵を取り付ける前にその仕掛けを仕込んでおいたんだ。上に張り付いているから、当然僕は気が付かなかった。わざわざ靴を取るときに下駄箱の天井を確認したりしないからね」

「でも、それじゃどうやって今のベニヤ板がぶら下がった状態になったんですか? 鍵がかかっていたんじゃ何もできないじゃないですか」

「テープを切ったんだよ。カッターで」


 ハルは下駄箱の天井を指差した。そこにはカットされたセロハンテープが天井に貼り付いていた。


「だァかァらァ〜」と百地が言う。「どうやって切ったんですか? 下駄箱ロッカーには鍵がかかってたんですよ?」


 ハルは下駄箱をパタンと閉めた。

 そしてカバンからおもむろに定規を取り出すと、下駄箱ロッカーの小扉の隙間に定規を差し込んだ。


「こういうことだろ? 隙間にカッターを差し込んだんだよ。で、テープを切った」

「あー! なるほどォ! クソみたいなトリックですね!」

「そのクソみたいなトリックも解けないでいたのは誰だよ」


「…………まぁそれは置いといて」と百地が話を逸らせた。


「どうして、こんな崇高なトリックを使う必要があったんでしょうね」

「トリックが出世してる」

「手紙を出したいなら、わざわざ鍵のかかってる今日じゃなくて昨日でも、おとといでも、なんなら明日でも良かったじゃないですか。それなら鍵なんてかかっていないんですし」


 ハルがその場で考え込んでいると、予鈴のチャイムが鳴った。ハルは昇降口階段に向けて歩きだす。朝のホームルームまであまり時間が残っていない。百地がそれに追従する。

 ハルが歩きながら言った。


「多分僕に見てもらうため、じゃないかな」

「だから、見てもらうのなら、今日じゃなくても良いですよね? 下駄箱ロッカーに手紙入れておくだけでいいんですから」

「いや、今日でなければ多分僕はあの手紙を見てないよ」


 百地は『よく分からない』と眉を寄せて首を傾げた。


「だって僕、下駄箱に入ってる手紙はいつも読まないで捨てるから。もしかしたら、この手紙の差出人は実は昨日や一昨日、あるいはもっと前から手紙を出していたんじゃない? だけど、一向に読んでもらえないから一計を案じたんだと思うよ」

「なるほど。こうでもしないとハル様、読んでくれないですもんね。鬼畜です」


 ハルは3階に着くと、百地に敬礼する。


「と、いうわけで。僕授業あるから、第二理科室の捜査はお餅に任せた」

「えぇ?! 百地一人で行くんですかァ?! あとお餅ではありません百地です」


 ハルは取り合わず、「どうせ暇だろ」とだけ言って自分の教室に入って行った。

 後ろからは「ハル様の鬼畜ぅー!」という百地の叫びが響いていた。




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