エピソード9  サキュバス

 薄暗い窓ガラスの向こうで腕を組んでこちらを見ている看守たちをよそ目に墓場の名前を見た。胸にあるランプに照らされた墓に記された名前は新聞にあった三人の政治家の名前だった。

「スティーブ・ハインリッヒ」「ローネル・ウィンチ」「モナ・バートン」

 三人の共通点は政治家であると言うことだけではなく、財政担当だった。上部が丸くカーブした墓を上から下まで見る。発霊している場合は微かに肉が焼けた香りがするものだがすでに墓場には霊の気配が充満していることもあり墓場に触れて確かめる必要がある。老年の男と女の気だるい唸り声や恋人らしき人物の「レイア」という名前を叫ぶ声がこだましたかと思うと、犬や猫の鳴き声がした。それは小動物の声から狼の吠える声に変わり墓場の空間の中で膨張していった。

「金がない、お前たちは大丈夫か?スージー今俺はどこにいるんだ!助けてくれ」

「まだやりたいことがあるんだ!ここから出してくれ」

「俺たちは死んだんだよ、昨日も言っただろうが、いい加減諦めろ!」

「そろそろ隠れたほうがいいぞ。化け物が出てくる時間だ」

 全員成仏させるに越したことはないが比較的平穏な霊たちだ。平民の墓地はもう少しタチが悪い連中がいるかとは思うが。一旦墓の匂いを嗅ぐことにした。墓に触れてグローブに少しだけ熱を溜める。雨が降っている場合は少しの蒸発で霊の痕跡を察知することができる。降っていない場合はさらに熱を加える必要がある。

「やはり微かに腐った肉の匂いがするな。あとは髪の毛の跡がある」

 墓についた流れ落ちる水滴の膜には曲線を描いた線の跡がびっしりと残っていた。埋葬された人間はモナ・バートン。女性だった。細長い骨ばった指の後もいくつかあることが確認できた。霊と交渉することはできないが。発霊したモナ・バートンの声を聞いて情報を得る必要があるだろう。首の感染症の霊害の理由を解明できれば新しい霊のプロファイルが手に入るはずだ。

 ベルトにあるスモークケースからタバコを一本取り出して口に咥えた。平熱が高いヴェイプフェンサーは血行が良すぎる。タバコのニコチンで血管を収縮させればのぼせずに済む。それにさきほど飲んだコーヒーが脳みそを冷やすことに一役買ってくれそうだ。

 タバコの先を指で摘んでから熱を加えた。安タバコの中でも煙が多くでる「ハーベストミント」の芳醇なハーブの香りが口と鼻に広がる。ふかした煙が空気の流れに乗って顔の周りで膨らんだ。そしてゆっくりと吐くと墓石の周りに広がった。

 タバコの葉の半分がミントで調合されたヴェイプフェンサー専用のタバコは残りわずかだ。三日前にポールドの街にも売っていることは確認できている。このタバコ以外でも悪くないがハーベストミントは特別な集中力をもたらしてくれる。とにかく金が必要だ。だからこの仕事をしくじるわけにはいかない。

 昼間も調べた墓に記された情報をみてからレイピアを抜いた。持ち手に集中力を集める。手の甲に触れた雨粒が蒸発を始めた。左手でベルトについたカートリッジを装着する紫の色をした液体の入ったガラスが胸のランプに照らされた。

「まずはカモフラグランスにするか。おそらくモナだった霊は人を呼ぶことができる。尚且つ誘われた人間の意識を失わせることができるな」

 墓場には霊の跡以外に男の手の跡と墓跡の段差に尻を置いた様子があった。その尻の痕は大きく角ばっていることから男のものだということがわかる。ハーベストミントの煙を吸い込んでから吐いて地面をライトで照らすと芝生がところどころまばらになっている。サイズの違うブーツが踏みこんだ芝生の跡は交尾をする馬や牛が踵で踏ん張ってできた跡に似ている。

 墓場に座ったあとモノを咥えられた男が二人。霊の尻を後ろからついた男が二人。もう一人が死ぬ前に味わった性行為のプレイが何かはわからなった。痕跡のない被害者はキスだけで終わったのかもしれない。死んだ看守たちは首以外に外傷はなかったことから性器を食いちぎられることはなかったようだ。

 墓を見るとモナが生まれた年が1923年あの世に行ったのが1951年、没した年齢が二十八歳。生前はそれなりに経験豊富な女だったようだ。おそらく首を刎ねられた看守たちは霊と性行為に及んだのだろう。墓に触れたグローブの匂いを嗅ぐと微かに香るのはカビの匂いと発酵した果物の匂いだった。この女は本当に生前、政治家だったのだろうか?女政治家の私生活に文句はないのだが何かが引っかかる。

「牛の霊は特に悪さをしていないらしい。看守たちを殺したのはサキュバスと見て良さそうだ」

 忘れてはならないのがサキュバスになる可能性を秘めていたモナ・バートンの死因は原因不明の首が腫れる病だったと言うことだ。首が腫れる感染症である死因とは別の理由があり生前の人間性によってサキュバスになったと言うことになる。これから目の前に現れる霊体の状態が気になるところではある。

 レイピアにカモフラグランス(死香)のカートリッジを装着した。そして胸の前から鼻筋にかけてレイピアをまっすぐと構えてから拳に熱を込めた。レイピアの剣先と剣身にわずかにある隙間からカモフラグランスの蒸気がゆっくりと漂った。

 カモフラグランスの香りは酔いつぶれて寝ている女の息から漂う酒の匂いと香水が混ざった匂いがする。そしてその匂いは周囲の死臭と混ざりあって凍死体の肉の匂いに変わる。別の言い方をすれば精肉店にある冷凍庫の匂いとも言える。

 ニルはレイピアから噴き出す蒸気で自分の存在にフィルターをかけた。タバコの煙を吐き出してミントの匂いが周囲に漂ったとしても霊たちはヴェイプフェンサーに気づくことはない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る