精神科病棟よりハッピーエンドを。

@Sora_mari

精神科病棟よりハッピーエンドを。

「お前、つまんねぇなぁ。」

 精神科、閉鎖病棟にて。

 急に現れた自称「神様」の男に悪態をつかれているのは何故だろうか。


 ガラガラと、薬を運ぶ台車の音でぼんやり目を覚ます。

 無機質な天井、クリーム色の薄い仕切りのカーテン、そして私を包む白いリネン。何度目を覚ましても現実は変わらない。ここは病院だ。

 私は現実を見たくなくてリネンの更に深くに潜る。


 どうしてこんな所にいなくてはいけないのだろう。まだ普通の病院なら納得出来る、病気を治すため、怪我を治すため。別におかしくはない、仕方のないこと。


 けれど今は納得できない。というよりしたくない。


 なぜならここが精神科の病棟だから。


 遡ること1週間前。何がきっかけだったか。よくわからない。ただ大学のこと、バイトのこと、家のこと、色々全部やりこなさなきゃいけなかった。それに疲れ果ててしまった。


 周りに助けを求めることが出来ていたら、また結末は違ったかもしれない。けれど、人を頼るのが怖かった。こんなことも出来ないのかと呆れられるのが怖かった。


 そして疲れて、疲れてたどり着いた先はODだった。死にたい、というより全て手放して眠りたかった。気づけば私は、お酒で風邪薬を一気飲みしていた。


 薬の独特の臭い、ぼんやりとする視界、言うことの聞かなくなった足、最中に飲んでいる事実が嫌になって、勢いで切ったら思いのほか深く切れたリストカット。頭がドクドク、血もドクドク。どれだけ押さえても止まらない血は私を現実に連れ戻すのには充分だった。


 どうしよう、本当に死んじゃう。


 眠りたいだけの私は酷く焦って、パニックになった。もつれた足のせいで何度も転びながら、スマホにたどり着いて、119を押した。

 冷静になると自分でやったくせに何を焦ってるんだ、と思う。けれどその時は考えと行動が分離しててどうしようもなく壊れていた。


 搬送先についた時にはもう私の意識は朧気で、医者や看護師が何を言っていたのか何が行われたのか、ほとんど覚えていない。


 覚えているのは次の日の朝、目が覚めた後に医者に言われたこと。


「安全のために精神科に入院しましょう。紹介状書くので、今から医療用タクシーを使って行きましょう。」


 まだ意識が全て帰ってきてなくてもそれはハッキリとわかった。


 精神科?なんで私が、私は普通なのに。私はおかしくないのに。


 それを察した医者は落ち着いた優しい声を私にかける。


「大丈夫。ただ、心を休めるための少しの入院だから。」


 そうして私はここに来た。

 出迎えたのは中年の穏やかな医者で、私の話をゆっくり頷きながら聞いてくれた。

 最近忙しかったこと、それがしんどかったこと、助けを求められなかったこと。私は促されるままに全て話していた。


 この人なら分かってくれる。そんな気がした。だから、入院なんてしなくていいよって言ってくれる。そう信じてた。


 けれど。

「入院は3ヶ月目処かな。大丈夫、ゆっくり休めばよくなるからね。」


 耳を疑った。


「え、入院…、しなくちゃいけないんですか。」

「そうだね。今の君の心は疲れちゃってて、また危ないことをしてしまいそうだから。それが落ち着くまで、かな。」


 その言葉に私の脳はある不安に包まれた。


「…退院したら、元の生活に戻れますか。」


 今までやってきたこと。周りのみんなが普通にやれていること。早くそれが出来るようにならなくては、私は、社会に馴染めない。周りに馴染めない。


 私の言葉に医者は困ったような顔をした。


「うーん…。今の段階だと分からないけど、少しずつゆっくり出来ることからやっていくようにしようね。」


 その曖昧な言葉は私にとってNOと言っているのと同じだった。


 あれから2日。

 私は未だ立ち直れないでいた。

 昔から何となく感じていた、みんなと同じことをしているはずなのに、やけにしんどかった。


 みんなより劣っているかもしれない。そう思いながら生きてきた。それが現実となって、私に押し寄せてくる。


 ふと病室のドアがノックされる。


「失礼します。心奈さん、お薬今日は飲めそうかな?」


 ほんわりとした声が私に向けられる。

 私は布団に潜り込んだまま、口を閉ざす。


「…今日もダメかな?」


 何度聞かれても私は口を開かない。そのうち困ったような声が布団の向こうから聞こえた。


「また、気が変わったら教えてね。」


 ガラガラ、音が遠のいていく。

 気が変わることは恐らくない。

 どうせ飲んだって意味が無いのだから。飲んで回復したところで外に出たらしんどいだけだから。

 一時的に治ったところで何も変わらない。周りより劣ったまま。社会に不適合なまま。


 大学に行く。バイトをする。家事をする。そんな当たり前ができない私は、きっとこれからも当たり前が出来ないままだから。


 だから、外に出たくなくて薬を拒否する。

 最も、ここにずっといるのも嫌だ。でもどちらか選べと言われたら、このまま何も起こらない病室で、考えることも諦めて生きる死体のように眠っていたい。


「なにそれ、めっちゃ面白くないな。」


 聞きなれない男の声がした。反射で私は飛び起きる。


 起きた視界に嘘のような姿の男がいた。白い髪で、膝下まで伸びる長い丈をした白い服を着た男が窓際に立っている。顔にはまだ少し幼さがある、18くらいだろうか。


 腕を組みながら、あまり見た事のない青い瞳でこちらを眺めている。


「…誰?」

「あ?あ、やべっ。姿見えちゃってんじゃん。…まぁいっか。上手いこと誤魔化そう。」


 男一瞬焦ったように見えたが何やらブツブツ言った後にわざとらしく咳払いした。


「そこの女よ、私は神である。」

「は?」


 自慢げに背筋を伸ばしてとんでもないことを言い出した。


「私はお前を導くためにここに―」


 何やら偉そうに話している。なんだか、妄想のようなことばかりペラペラ話している。

 私はめんどくさくなって、話の途中で口を挟む。


「君、どこの病室?看護師さんに怒られる前に帰りなよ。」


 精神科で神様とか言い出すなんて恐らく患者の1人だろう。私はそう思った。

 神様を信じるよりそっちの方が有り得そうな話だ。


「なっ、失礼な!!俺は本当に神なんだぞ?」

「へぇ。」

「信じてないな!?せっかく神様っぽい雰囲気出してやったのに!」


 さっきの堂々のした態度はどこへやら、必死に私の視界に入ろうとあたふたしている。


「ぽい雰囲気ってことは神様じゃないんじゃん。」

「そ、それは言葉のあやというやつで…。お前らがいつも持ってる神様像に近づけてやったというか…」

「じゃあ、残念ね。あいにく私神様なんて信じてないから。」


 私はそっぽを向いて布団に潜り込む。

 神様なんてアホらしい。だって、そもそも


「神様なんていたらこんな目になってないでしょ。」


 ボソリと心に溜まった暗い言葉を吐き出す。

 それを聞いた男の動きが止まったような気配がした。


「お前、つまんねぇな。」


 じくりと布団越しにため息と悪態が突き刺さる。

 私は思わず起き上がって男を睨んだ。


「なに、その言い方。」

「別に。事実を言ったまでだ。」


 男と私の間に刃物のような鋭い空気感が漂った。


「あーぁ、せっかく良さそうな人材だと思ったのに。」

「勝手に人を使おうとしないでもらえる?てか、そもそも何の人材よ。」

「はぁ。もうどうでもいっか。」


 男は疲れたように床にどっかりと座り込んだ。そしてどこかから折りたたまれた紙を引っ張り出してこちらに投げ捨てた。


「なにこれ。」


 紙を広げると、そこにはデカデカと


『第100025回!!地上ノンフィクションストーリーコンテスト!!』


 と書かれていた。


「こっちで生きてるお前らは知らないだろうけど。」


 男は頬杖をつきながら話す。


「地上の人間のストーリーを切り取ってそれを上映することが向こうの娯楽なわけ。」

「は?」


 よく分からない突拍子もない話に追いつかない私を無視して話は進む。


「結構大変なんだぜ?何十億人もいる人間から1人を探し出してそっからものによって数年か数十年だかを記録するのは。」

「へぇ。」


 気の抜けた返ししか出来ない。妄想にしてはよく出来た話だ。


「君すごいね、作家にでもなったら?」

「はぁ?今なろうとしてる所なんだよ、話聞いてなかったか?」


 明らかに男はイラついた声を上げる。


「そんなに怒らなくてもいいじゃん。」

「うるさい、お前のせいで色々台無しなんだよ。」

「はぁ?」


 理不尽なイラつきの棘を私は思わず打ち返してしまう。


「そもそも、私がこうなったのは私が望んだことじゃないし、勝手に期待されてガッカリされても腹が立つだけだわ。」


 そう言って苛立ちのあまりベッドから乗り出した時、私は異変に気づいた。


「ちょっと…なんで泣いてんの。」

「うるせぇ、こっち見んな…。」


 男はくるりと背中を向けて鼻をすすり出した。


 私のせいではないとはいえ、心が苦しくなる。彼にとって、このコンクールはそれほど大事なものなのだろうか。

先程投げ捨てられた紙をよく見てみると下の方には『フィクション部門も大募集!!』と書かれているのが目に入った。


「ねぇ、あんたはノンフィクション部門で応募したかったのよね?」

「そうだけど、なに?」


 男は余裕がなさそうなぶっきらぼうな声を出す。


「フィクション部門じゃダメなの?そしたらまだ可能性はあるんじゃない?」


 あぁ、私はどうしてこの見ず知らずの男の、しかも自分のせいにしてくる理不尽なやつを慰めようとしているのだろう。


「それじゃ、ダメなんだ。」

「どうして?」

「俺、文字が書けないんだよ。」


 その声は弱々しく今までないほど心を締め付けた苦しい声だった。


「さっきは神様とか言ったけど、俺、ただの天上に住んでるだけの存在なんだ。」


 どんどん声は小さく続いていく。


「俺たちみたいなやつって、本当の神様とかそういう上の存在に言われた仕事をやるためにしか必要とされてないようなもんだから。…俺は、文字を書く分野の仕事のために生まれてないから書けないんだ。勉強しようにも権限がないから資料ももらえないし…。」


 私はかける言葉が見つからなかった。文字なんて私には当たり前のように教えられて当たり前のように出来るものでしかなかったのだから。


「簡単な文字は読めるようにはなったけど、自分で文章を書くには知識が足りないし、応募要項の資格も俺の生まれた分野じゃ取れない。」


 そう言われて紙をよく見るとフィクション部分の下に小さく

「*なお、文書生成分野、もしくは文書管理分野のもののみ応募可とする。」

と書かれている。


 いつしか小さく丸まってしまった背中を見る。


 彼にとって、いや私がそこの住民だったとしても残酷な規則の世界だ。


 自分の望んでもいない環境に置かれて、やりたいことからは遠く引き離される。そう思うと彼に親近感が湧いた。

なりたくもない性格で生まれてやりたいことをやろうとしたか壊れてしまう。そんな自分と酷く重なった。


「…苦しいよね。」

「分かったような口を聞くな。」


 意図せず漏れ出た言葉に鼻声の鋭い言葉が刺さる。


「お前は夢叶えれる条件は充分あるくせに。」

「私が?」


 男は静かに頷いた。


「俺らと違ってやろうと思えばいくらだって方法はあるし、学んだり実際試せる機会だっていくらでもあるくせに。」


 チクリと胸が痛くなる。確かに、彼に比べればそうかもしれない。けど、実際そんな簡単な話じゃない。


 私だって、自分を変える勇気があったら先に進みたいよ。


 でも、それが出来なかったから私はここにいるわけで――。


 俯いているとパチンと音がした。

 前を向くと男が両手を頬に当てていた。音から察するに自分で頬を叩いたのだろう。


「でも、俺はお前みたいにつまんないやつにはならないからな。」


 おもむろに私の方を向いたその目は赤く充血してはいるものの光があった。


「俺は絶対夢を叶えるんだ。どんな手を使ってでも。」


 光が眩い。

「こうなりゃこれからお前の気が変わるまで毎日通いつめてやる!覚悟しろよ!」


 頬には涙の跡が残る。それでも男は光を失っていない。


 どうしてだろう。私よりは遥かに苦しい状況にいるはずなのに。


 私より先ゆく道は険しいはずなのに、どうして光を真っ直ぐ見れるのだろう。


「いいか!?また明日も来るからな!」


 キラキラ、キラキラ輝いているのを目の前にした私は心がきゅっと光の方に引っ張られたような気がした。


「なんだよ、なんか言えよ。」

「…どうして諦めないの?叶わないかもしれないのに。」


 私は自分の心がゆっくりと浮いていくのを感じた。ゆっくり、弱気な心と戦いながら。


 私を見てため息を着く顔にはもう涙はない。


「どうしてって…それが俺のやりたいことだから。」


 男は彼自身も中で何かと戦っているかのようにゆっくり言葉を放った。


「例え、叶わなくても、もがいた結果は残るだろうから。」


 その言葉に私の心にストンっと何が落ちた気がした。


「とにかく、俺はお前のストーリーがハッピーエンドになる兆しが見えるまで来るからな!」


 男は私のベットに置かれていた紙をもう一度手に取って大事そうに折りたたんだ。


「わかったよ、待ってる。」


 なんだか頭がスっとしたような気がして、私はようやく彼に微笑むことが出来た。



「心奈さん?」


 急にドアがノックされる。

 男は小さい声でやべっと呟いたのとドアが開くのはほぼ同じくらいだった。


「声がよくしたけど、電話でもしてたかな?」

「いや、そこの…」


 男のいた方に目を向ける。

 けれども、そこには何も無かった。


「…そう、電話してたんです。」

「そっか、大丈夫ならよかったわ。」


 隠れる場所はどこにもない。それでも私も看護師さんも見つけられないというのなら、つまりはそういうことなんだ。


「あの。」


 私は立ち去ろうとした看護師さんに声をかけた。

「この時間の薬、まだ飲めますか?」


 彼が夢に向かってどうしようもなく前向きなのを見てしまったら、私ももがきたくなってしまった。

 どうせなら、彼の望みを叶えてあげよう。


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