スカイブルーの水林檎

梨本モカ

スカイブルーの水林檎

 空が青くなくなったのは、いつの頃からだったろう。

 夕焼けはオレンジだとか、夜は暗闇に星が瞬くとか、そういうことじゃない。

 この頃では、空は青でもオレンジでもなければ、白や灰色の雲に覆われることもなく、どんな夜でも真っ暗になることがない。もちろん、だからといって赤や緑や黄色になるというわけでもない。

 じゃあ、どうなったのかといえば――ぼくはうんざりした気分で空を見上げた。目に飛び込むのは多種多様な広告の群れ。何かを宣伝し、何かを紹介し、何かを売ろう、買わせようという、けばけばしい色彩。昔のテレビなら少しくらい流れることのあったセンスのいいCMのような洒落た広告なんて、ひとつもない。

 天気予報によれば、この地域の今日の天気は晴れ。でも、そんな情報に意味はない。この街の天気はただひとつ、この広告模様だけ。


 空一面を覆う広告なんてものを、どんな技術が実現しているのかはよく知らない。同じようなことが別の街でも行われることになった、というニュースで簡単に説明していたところによると、無数の小型ドローンが空気中にスクリーンを作り出してどうたらこうたらなのだけれど、難しくてよく分からなかった。

 正直なところ、理屈はどうだって構わない。ぼくはとにかく、奇妙な空の下で暮らすことに辟易していた。少なくとも、ぼくが子どもだった頃には、普通の空が見えていた。それから十何年かの間のどこかで始まったことなのだと思う。

 なんとも、うんざりすることだ。

 一応、街から十分に離れれば広告に邪魔されずに空を見上げられる。とはいえ、どの方角であれ車で十時間は走らなければならないので、気軽な息抜きとはいかない。

 そんなに嫌ならよそに引っ越せばいい、とは自分でも何度も考えた。しかし、この街には生まれてこの方、ぼくの全人生がある。いずれは両親の経営する青果店を継ぐつもりで勉強してきて、今は従業員として働いている。

 青果店というと個人経営の小さな店を思い浮かべがちかも知れないけど、うちはなかなかの規模の会社として手広くやっている。外国の珍しい果物などを扱うことも少なくなく、それ相応の知識も必要だった。

 苦労してここまでやってきたというのに、青空が見られないからといって全て投げ打つようなことができるだろうか。


 小さい頃は空を見るのが好きだったことを覚えている。よく晴れた青空も、鈍い色の曇り空も、雨の降る暗い空や、すっかり灯りの消えた夜空だって。

 その全てをぼくから奪った広告の群れがなぜ現れたのかは知っている。一言で言い表すなら、インターネット広告の代わりだ。広告収入がネット企業を支えてビッグテックが世界経済を左右して、しかし利用者は広告を嫌がる。あなたが見下ろすスマホの画面の代わりに、あなたの見上げる空に広告を。と、そういう解決策だった。

 もちろん、そんな極端な話がいきなり実現することはなく、様々な調整や検証の末に、実証実験が行われることになった。その舞台に選ばれたのが、よりによってこの街だったというわけだ。

 ほかの人がどう思っているのか聞いてみたことはないけれど、みんな、あまり気にならないのだろう。定期的に取られる住民アンケートの統計では、空の広告は概ね好意的に受け止められていた。大抵の人にとっては、画面上のわずらわしさが軽減されるのは喜ばしく、頭上高くがどうなっていても気にならない、らしい。

 ぼくは違う。この十数年、真綿で首を絞められるように、ぼくの心はじわじわと閉塞感に押し潰されつつある。つい最近まで、自分がそんな状態になっているという自覚はなかった。でも、仕事で手痛い失敗をして落ち込んでいたとき、海外旅行の広告に映った青空が目に入ってしまった。知らず知らずのうちにぼくは涙を流し、それからは気持ちが沈む一方だった。


 ここしばらくは仕事にも身が入らず、売り物になるかも分からないおかしな果物を色々と発注してしまった。それが続々と届き始め、ともすれば注文したことを覚えてもいない品々に、これはまた怒られそうだと思いながら検分していると、ひときわ奇妙な果物に気がついた。

 なんというか、それは青かった。

 例えばブルーベリーなど、青い果物自体は普通に存在する。が、大抵は紺色や紫のような濃い青だ。目の前のそれとは違う。林檎そっくりの形状をしたそれの青さは、言うなれば空の青さだった。

 品名を確認したぼくは、思わず、えっ、と声を上げていた。この果物は水林檎というらしい。マングローブのように根が海に浸かる樹になる果実で、海面上昇によって従来の作物を育てられなくなった国で開発された新しい品種ということだった。理屈は分からないが、水林檎の青さは海の青さを吸い上げたものなのだろう。

 しかし、とぼくは思い直す。海の青さは空の青さだ。つまり水林檎の青さは空の青さだと思っても構わないだろう。

 水林檎の果実を目の高さに持ち上げて、しげしげと眺める。正直に言えば、あまりおいしそうには見えない。食べられるものであることは間違いないものの、食べてみたいと思わせる外観ではなかった。

 思案していると、何かの用事で現れた上司に見咎められた。売れそうにないものを大量に仕入れたことをなじられること数十分、トイレに行くと言って逃げ出し、そのまま会社を抜け出した。


「持ってきちゃったなあ」

 ぼくの手には水林檎。見上げれば広告で、背後に待つのは説教。とてもじゃないけど顔を上げていられない。ぼくは足下を見ながら歩き始めた。

 これからどうしよう。最終的に謝らなければならないことは決まっている。そもそも、今夜、家に帰りたければ両親に頭を下げなければならない。要するに、どうがんばっても、あと何時間かでつらい時間がやってくるのだった。

 一時間もすると歩き回るのに疲れ、公園のベンチに腰を下ろした。習い性のように空を見上げても、やはり目に入るのは広告ばかり。

 保険と投資と家電の新製品。カードローンに弁護士相談にスーパーのタイムセール。わけが分からないくらい雑多な広告群が頭上を埋め尽くす。この全てを消し去ってしまえたら、どんなにかいいだろう。この閉塞感を吹き飛ばしてしまえたら、どんなにかいいだろう。

 ぼくは爆弾の広告を探した。そんなものは存在しないと知りながらも、そうせずにはいられなかった。

 そのうちに目が痛くなってきて、ぼくは目を閉じた。手に持ったままの水林檎を鼻に近づけて匂いをかぐと、普通の林檎と変わらない甘い香りがした。きっと、味も普通の林檎と似ているのだろう。

 本当にそうだったら、ぼくにとっては救いになる。見た目のせいで最初の受けが悪かったとしても、何とかして味を知ってもらえさえすれば、不良在庫にせずに済むだろう。しかし、ぼくの頭は空想の中へと漂っていってしまい、そんな現実的な期待からは遠く離れたことを考えていた。

 この水林檎こそが爆弾だったなら。この、空の青さをそのまま映したかのような水林檎こそが。

 そうしたら、街で一番高いビルの屋上に行って、この手に持った水林檎を空高く投げ上げよう。水林檎は憂鬱を切り裂くような鋭い直線を描いて飛んでいく。それだけでも胸のすく光景だけど、軌跡の頂点に達した水林檎は盛大に爆発する。きっと、小さな果実に凝縮された空の青色をいっぱいに撒き散らして、空を覆う広告なんか青く塗り潰してしまうんだ。

 それはとてもうつくしい眺めに違いない。ぼくの心の閉塞感だって、爽快な青空の下では生き永らえられない。水林檎の爆発が、何もかも解決してくれる。

 ぼくは心の底から愉快な気持ちになってきた。


 ぼくは目を開けた。空は相変わらず広告に覆われ、ぼくの手にある水林檎は何の変哲もない果物だ。すぐに憂鬱が首をもたげ、閉じ込められるような心地がはじまった。

 逃げ場を求めて、シャクリ、と音を立てて果実をかじる。空の色のそれは、名前のとおり水そのもののように瑞々しかった。高級品種には及ばないまでも、なかなかにおいしかった。見た目で敬遠されそうな気がしていたのも、むしろ物珍しさで売れるんじゃないかと思えてきた。

 それはそれとして、皮の下の果肉の色を今の今まで気にかけていなかったことに気がついた。当然のように白っぽい色だと思い込んでいたけど、目の前に現れたその色は、皮と区別がつかないくらいだった。

 水林檎の果肉の色は、ぼくのどうしようもない閉塞感を晴らしてくれる青空そっくりの爽やかな青だった。

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