第13話 猫の隠れ家にて②

 その時、突然アデルに顎を持ち上げられて、エレイナはびくりとした。彼女は刺すように真剣な眼差しで、まっすぐに射抜いてくる。

「今、枢機卿はロンデル伯がやったのと同じやり方で、今度は現国王を亡き者にしようとしているわ。そうなれば、第二王子のルシオールが即位する。その時に自分の地位を盤石にするため、枢機卿は自分の娘をルシオールに輿入れしようとしているの。そのあとはどうなると思う?」

 ルシオの名前が出た瞬間からエレイナの心は揺れていたが、今はもう泣きそうになっていた。この先は聞きたくない。あの天使のようだったルシオが、権力の渦にのみ込まれて形を変えていくところなど、想像したくもない。

 アデルはエレイナの顎を押さえたまま、唇が触れるほど顔を近づけた。

「先の議会で、世継ぎなくして王が崩御した場合、選挙で後継者を決めるという法案が可決されたわ。枢機卿はルシオールを殺すつもりよ。そして、その後釜に自分が座ろうとしている」

 エレイナの目から、ついに大粒の涙が零れた。

 もういやだ。聞きたくない。

 全身の力が抜けて、その場にしゃがみこんでしまいそうになる。実際、アデルに支えられていなかったら、きっと立っていられなかっただろう。

 大柄な彼女の胸にすがって、エレイナはわっと泣き出した。ショックだった。ルシオが他の女性を娶ることは、断腸の思いを抱えつつも諦めることができる。けれど、政治の駒となり命を落とすなど、あってはならないのだ。

「エレイナ……」

 抱きしめるアデルの腕に力が込められて、エレイナは一層激しく泣いた。ここが猫の隠れ家であるのをいいことに。

「ああ、エレイナ……泣いてくれるの? 優しいエレイナ、あなたが大好きよ。大丈夫。まだ何も起きていないし、ルシオール王子だってぴんぴんしてるんだから。それにきっと、王統派であるあなたのお父様方が守ってくれる。……ほら、せっかくのお化粧が落ちてしまうわ。そろそろ泣きやんで」

 アデルがハンカチを取り出して、エレイナの目元をそっと拭う。鼻まで拭かれて、ようやくエレイナは泣きやんだ。

「ごめんなさい。ドレスを汚してしまって――」

 しゃくりあげながら謝ると、アデルは優しく笑みを浮かべた。

「いいのよ。それよりお化粧を直してあげるから、少しじっとしていて」

 アデルはスカートのスリットに手を突っ込み、腰巻ポケットから取り出したおしろいをエレイナの頬にはたく。

「口紅も直して差し上げる。あなたの今日のドレスには、その色はあまり合わないと思っていたの」

 そう口にすると、彼女は一歩前に足を踏み出した。

 後ずさりしたエレイナの背中が、冷たい壁に押し付けられる。アデルの美しい顔が目の前に迫り、気づいた時にはもう唇が重なっていた。

 アデルのしなやかな唇が、優しく、かつ大胆にエレイナの唇を貪る。その手は頬にあてがわれ、もう一方の手はエレイナの腰に巻き付いている。

 エレイナはすぐに夢中になった。以前にされた時と比べて、腰が砕けそうになるほど官能的で淫らなキス。

 こんなに焦がれた気持ちになるのははじめてのことだ。触れているのは唇と、彼女が腰を抱いている場所だけなのに、なぜか身体の奥がじんじんと熱を持っているように感じる。

 アデルの舌がそっと唇の端を舐めて、エレイナの腰を震えが走った。そのはじめてのあたたかさに唇を固く閉じると、顎にかかったアデルの手に強引に唇を開かされる。

「ん……は」

 薄く開いた歯の隙間に、彼女の舌が忍び込んだ。あたたかく、艶めかしい動きをするそれは、エレイナの舌を優しく絡め取り、吸いたてる。

 広間の中央でまばゆいばかりに輝くシャンデリアも、部屋の隅にある猫の隠れ家までは届かない。それをいいことに、ふたりは互いの唇を深く、深く貪った。

 やがて唇が離れた時、エレイナの息はすっかり上がっていた。頬が熱い。胸が激しく上下して、わけもなく泣きたい気分になる。

 ふたりの乱れた唇を、アデルがハンカチで拭った。そしてポケットから取り出した口紅を、妖しく微笑みながらエレイナの唇にさす。

「私たち、同じ口紅をつけましょう。あなたの唇は私のもの。私の唇はあなたのものなの。ねえ、素敵だと思わない?」

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