第19話 終焉

 眠たい……。

 僕は一つ欠伸を噛み殺す。

 昨日、ルナさんと本物の恋人になった。

 何度も、何度も頬を抓ってこれが夢じゃない事は確認済みだし、僕は昨日まともに寝る事が出来なかった。

 ルナさんに好きだって言われたのが信じられなくて。

 ルナさんと本当の恋人になれた事ば嬉しくて。

 

 そのせいか、僕はいつもより早く学校に来てしまった。


……ああ、早くルナさんに会えないかな。


 僕の心は浮き足立っている。

 本当の恋人になって、ルナさんとまだ顔を合わせていない。

 早くルナさんと何でもいいから話したい。

 ルナさんに会いたい。僕はいつも読んでいるライトノベルを取り出す訳もなく、ただじっとルナさんのいつも使っている席を見つめる。

 

 僕がルナさんの視線を遮るように一人の男子が立つ。


「え……」


 いきなり現れた存在に僕が視線を上げると、そこには東郷くんが居た。

 東郷くんは僕を見下し、口を開いた。


「おい、小山。ちょっと来い」

「え……えっと……な、何か用かな……」


 先ほどまで楽しみだったはずの心が一気に恐怖で震え上がる。

 彼が絡む時は大抵、良い事が無い。

 僕は席から立とうとしないで口を開く。


「僕はまだここに……」

「チッ……メンドくせぇな。さっさと来いって」

「ちょっと!!」


 東郷くんは僕の腕を無理やり掴んで、引きずるように教室の外へと連れ出す。

 僕は目を丸くした。

 腕を引っ張る力も僕の力とは比べ物にならないほど強くて、そのまま廊下を無理やり歩かされる。


「ちょ、ちょっと待って!! 何処に行くの!?」

「人気の無い所だ」


 人気の無い所!?

 そこに連れて行かれて、もしかして、ボコボコにされるとか?

 僕の頭の中には最悪の未来が想像される。

 凄く嫌な予感がする。僕は必死で足に力を込めて抵抗するけれど、東郷くんは僕をそのままあのルナさんと出会った校舎裏に連れ込まれる。


 幸いと言えばいいのか、僕と東郷くんだけで、集団リンチされるって事はないみたいだ。

 僕は校舎の壁を背に連れて行かれ、東郷くんが僕を鋭くにらみ付ける。


「お前、いつまでルナと一緒に居るんだよ」

「え……る、ルナさんは僕の友達で……」

「友達? んな訳あるかよ!!」


 そう叫びながら僕の胸倉を掴みあげる東郷くん。

 僕の心は恐怖で萎縮し、喉から悲鳴が漏れる。


「ひっ……」

「お前がルナと仲良くしてるのを見てると、虫唾が走るんだよ……てめぇ、別に付き合ってねぇんだろ?」

「つ、付き合ってる……」

「はぁ!? 嘘吐いてんじゃねぇだろうな!!」

「う、嘘なんか吐いてないよ!! ぼ、僕はる、るるる、ルナさんのこ、こここ、恋人だ……」


 言うしかなかった。

 彼を突き放すにはそれしかなかった。

 もう僕とルナさんは正式にお付き合いしていて、東郷くんが間に入る余地なんて決して無い事を。東郷くんは僕の胸から手を離す。

 それと同時に僕は地面に尻餅を付いて、軽く咳き込んだ。


「ごほっ……ごほっ……だ、だから、君がルナさんと一緒になる事は……」

「……横取りか?」

「え?」

「お前、最低なクズ野郎だな」

「ちがっ……」

「人のオンナに手を出すクズ野郎なんだな。しょうがねぇな……」


 ニタァっと東郷くんはいやらしい笑みを浮かべた。

 それは何か良からぬ事を企んでいる顔。物凄く嫌な予感がして、僕は寒気がした。


「お前のした事、全員に言い触らすか。ああ、そう。ウチの高校、恋愛も禁止なんだっけ? だったら、お前も退学か」

「え、そんな自分を棚上げして……」


 そんなおかしい話があるか。

 恋愛禁止だったら、君だって恋愛する事はできないじゃないか。

 それにそれをルナさんが黙って従うはずが無いし、周りの人たちに言い触らしたって、何も変わらないはずだ。

 それにそれはルナさんの気持ちだって蔑ろにしているクズの所業。

 僕は思わず東郷くんを睨むと、その顔が癇に障ったのか、僕の腹部を蹴り付ける。


 強烈な痛みと腹部の圧迫感を感じ、僕は涙がこぼれそうになる。


「いっ……ゴホッゴホッ……」

「大体、なんで!!! てめぇが!! ルナに好かれてるんだよ!!」


 ドン、ドン、と。

 何度も、何度も僕の腹部に蹴りが打ち込まれる。

 何度も咳き込んでも、決して止まらない。痛みだけが僕の腹部に広がり、心をへし折ってくる。


「い、いたい……」

「その痛みが、俺の痛みだ!! クソ野郎!! 人が目を付けてた女に手を出しやがって……気持ち悪い野郎だなあ!!」

「…………」


 まだ腹部の蹴りをやめる様子は無く、何度も何度も蹴りこまれる。

 僕の痛みはあまりの衝撃に感覚が失われてくる。

 

「ごほっ……ごほっ……」

「なぁ、分かるよな、小山。ウチの高校、恋愛禁止だし、お前、俺の目に付けてる女に手を出したの。俺が黙ってたら、調子に乗りやがって……いずれ、こうなるって分からなかったか?」


 噂があるのは知っていた。

 多分だけど、東郷くんはそれだけの権力を有している。

 何か学園の理事長の孫か何かだっけ? だから、それで彼に変な発言力があるんだろう。

 僕はお腹を抑え、うずくまる。

 まだ、痛い……。


「だから、お前を助けてやる方法を教えるぜ。お前、ルナを無視しろ」

「え……」

「だから、嫌われろ、ルナに。そうすりゃ、傷ついたルナを俺が癒して、惚れるだろ? 傷心に付け込めば充分受け入れてもらえるだろ? な? 協力しろよ」

「…………協力なんて、出来るわ――ゴホッ!?」


 僕が拒絶の意志を見せようとした瞬間、僕の腹部が蹴られる。

 ただでさえも、痛みが走っているのにそれを上乗せするかのように抉られる。

 そんな事、出来る訳無い。ルナさんに嫌われるなんて、したくない……。

 蹲る僕の髪が掴まれ、千切れそうになる痛みが頭に走る。


「い、痛い……」

「分かってんだろ? 次は何人でお前をぶん殴るかな? 二人? 三人? それとも周りで取り囲んでボコボコかな? 分かるだろ? 嫌だよな? な?」

「……チクってやれば」

「ああ、無駄無駄。俺が理事長に言えば全部もみ消せるから、だから、分かるよな?」

「…………」


 僕は歯を食いしばる。

 何も出来ないのかな、何も。僕はただルナさんを無視する事しか……。

 ルナさん……。

 ルナさんならどうするか、きっと立ち向かうんだと思う。

 

 でも、僕は……ルナさんみたいに強くなれない……。


 今も頭の中に芽生えるのはその最低な未来。

 僕がルナさんと絡んで、僕が集団リンチされる未来。

 ただでさえ、一人でもこんなに痛くて、辛いのに。これが何人も……。

 僕の心が恐怖で震え上がる。

 こんなの耐えられない……僕はその恐怖に負けて頷いてしまう。

 すると、東郷くんが満面の笑顔を浮かべた。でも、俺はそれを見て恐怖心しかなかった。


「そうかそうか。じゃあ、話してる所みたら、またぶん殴るからな。じゃあな、宜しく」

「…………」


 僕は何も言えなかった。

 自分が嫌になる。

 こういう時、何もする事が出来ない自分自身が。

 僕はお腹の痛みに堪えながら立ち上がる。幸い、骨とかは折れてないと思うけど、僕の心は悲鳴を上げてる。

 さっきまであんなにルナさんと会うのが楽しみだったのに。

 せっかく昨日、ルナさんと本物の恋人になれたのに。


 僕はそれを自分の保身の為に捨てて、ルナさんの気持ちまで無視した……。


 僕は最低だ……。


「ぐすっ……うえぇ……」


 抑えられない気持ちが涙となって溢れてくる。

 僕はやっぱり何も変わってない。

 ルナさんと出会う前と今とじゃ、ちっとも変わってない。

 結局、ルナさんが居なくちゃ何も出来ない。前の弱い自分のまま……。

 そんな自分が本当に嫌になる。


 少しはルナさんと出会って変われたと思ったのに。

 ルナさんは変わったって言ってくれたのに。


 こんなに女々しい自分が大嫌いになる……。


 僕は零れ落ちる涙を拭い、立ち上がる。

 それから僕はトボトボとした足取りで教室へと戻る。

 まだ朝礼は始まっていない時間で良かった。

 僕は教室に入り、自分の席に座る。まだ、ルナさんは居ない。


 僕は椅子に座って、ライトノベルを取り出す。


 そうか。僕はライトノベルを見て思う。


 やっぱり、僕はこの世界から出てきちゃいけないのか。

 僕がこの自分の大好きな世界の中から出て行ったから、こんなにも辛い思いをした。

 この世界に居れば、こんな思いをしなくて済んだのかな……。


 僕はライトノベルを開き、中身を読み進める。


 それでも頭の中はグチャグチャだ。今の僕の心と同じように。

 その瞬間、僕の視界が真っ暗になる。


「だ~れだ?」


 聞き慣れた優しい声が聞こえてきた。

 いつも僕に優しい女の子の声が。でも、僕はさっきの言葉が脳裏を過ぎる。


『話してる所みたら、またぶん殴るからな』


 背筋が凍り、腹部が痛む。

 鋭い視線も感じる。そうか……僕を監視してるんだな。 

 だから、話をすれば。またさっきの目に……。

 僕はルナさんの手を振り払い、ライトノベルを読む。


「オタク? ど、どうしたの?」

「…………」


 僕はライトノベルを読む。何も耳に入れない、何も聞かない、何も見ない。

 ルナさんと僕にはもう何の関わりもない。

 それでいいんだ。前と変わらない毎日を送るだけ。

 ルナさんは首を傾げる。


「オタク? 怒ってるの?」

「…………」


 何も答えない。答えちゃいけない。

 心苦しくても、答えちゃいけない。


「…………集中してるのかな。また後でね」


 心が痛い。苦しくて、悲しい。答えたいのに、答えられない。

 僕はぎゅっと強くライトノベルを握り締める。


 ごめん、ごめんなさい、ルナさん。僕が弱いせいで……。



 本当に……ごめんなさい…・・・。

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