第6話 二人きりの実行委員

 授業後。

 僕とルナさんは夕暮れ時の教室で二人、机を向かい合わせで座っていた。

 もう今日からすぐに実行委員の仕事があり、その仕事内容は実行委員の皆さんから伝えられている。

 今日は書類整理をやって欲しいらしく、書類の山を貰ってきた。


「……ねぇ、オタク」


 僕の目の前で戦慄した様子で書類の山を見るルナさん。

 ルナさんはネイルされた爪をピっと書類に向けたまま、口を開く。


「今からあたしたち、この山を整理すんの?」

「うん。色々仕事が溜まってて大変みたいだから……重要な事とそうでないものをしっかり区分けするんだ。えっと……マニュアルはこれ。この方式で……出来る?」


 僕は去年、経験しているから書類整理自体は慣れている。

 ただ、とにかく量が多いのだ。

 辞書3冊分くらいの山が二つある。つまり、僕の分とルナさんの分。

 ルナさんはあはは、と乾いた笑みを浮かべる。


「え、えっと……が、頑張ってみるね」

「うん。僕も応援してるから。早速やってみよう」


 こういうのはやっていけば、覚えていけるはず。

 僕はそんな一縷の望みにかけていた。でも――5分後。


「……オタク。飽きた」

「え?」

「……ちょっ、マジ無理」


 そう言いながら、ルナさんは机の突っ伏した。

 その目は死んだ魚のような目をしている。

 ……やっぱり、ルナさんはこういう事が苦手らしい。


「えっと……休憩しててもいいよ? 僕が終わらせるから……」

「……オタクは優しいね」

「だって、本当はルナさん、やらなくても良かったのに。僕の為に……」


 そう、この実行委員。別にルナさんがやる必要はなかったものだ。

 こう考えたらちょっと失礼かもしれないけど、ルナさんには出来ると思ってなかったし……。

 それを無理矢理やらせてしまっているのは、結局僕が東郷くんに何も言い返せなかったから。

 あの場で少しでも言い返してたら、また結果が少し、変わってたのかもしれない。


 けれど、ルナさんは身体を起こし、書類を手に取る。


「……やっぱ、頑張る」

「ルナさん?」

「オタクはすぅ~ぐ、自分を責めるんだもん。オタクはただ、押し付けられただけなのに」

「そうかもしれないけど……言い返せない僕にも問題はあるから……」

「勇気、持てたらいいのにね」

「うん」


 そんな会話をしながらも、僕は書類整理を進めていく。

 そのペースは明らかに違う。僕が3枚進める間に、ルナさんは1枚しか進まない。

 でも、それでも良い。ルナさんが頑張ってくれたら、それで。


 僕は書類を眺め、区分けしていく。

 結構、色んな部活や団体、それに予算とかまで回してるんだ。実行委員とか生徒会って本当に大変だな、そんな事を思っていると、ルナさんは休憩しているのか、手を止めている。


「ねぇ、オタクはさ」

「え?」

「オタクは……迷惑だった? 今日の朝の事」

「え、えっと……皆に彼氏って紹介した事、かな?」


 心当たりある事をいうと、ルナさんは小さく頷く。


「あ、あの時はさ、な、何か勢いで言っちゃったっていうかさ……お、オタクの事、全然考えられて無かったかな~ってずっと考えててさ。申し訳なくなってきたっていうか……ほ、ほら、所詮、あたしたち、嘘の関係じゃん?」

「……迷惑か迷惑じゃないかで言ったら、ちょっと迷惑だったかな?」


 僕の素直な気持ちを伝えると、ガーン、という音が聞こえそうなほどショックを受けるルナさん。


「や、やっぱり、そ、そう、だよね……」

「でも、それは本当にちょっとだけ……。だ、だって、アレってルナさんが僕を守ろうとしてくれた事だから……」


 僕は思い出す。あの時の状況を。

 あの時、何か選択を間違えていたら、昼休みにでも僕は東郷くんに呼び出されていたかもしれない。けれど、あそこでルナさんが牽制をしてくれたから、好きな人に嫌われたくないっていう心理が働いて、東郷くんは何もしてこなかったと思っている。

 つまり、結果的に僕はルナさんに守られたって事だ。


 それが自分の中で情けなく思いつつも、嬉しいと思う。

 それだけじゃない。僕は書類を整理しながら、言う。


「東郷くんは良い噂を聞かないから……」

「噂? オタク、何か知ってんの?」


 これがそこに居るのか居ないのか分からない陰キャの持つ情報網だ。

 僕は一年ほど前に聞いた事のある話をルナさんにする。


「えっと……これはあくまでも噂なんだけど。東郷くんってこの学校の理事長? の息子とかで。結構、非行とかが隠蔽されてるみたいな話を聞いた事があるんだ」

「えぇ!? マジぃ!? ていうか、オタク、良く知ってるね」

「陰キャの前だと皆、口が軽くなるからね……」

「なるほど……確かにあたしもそうだったかも……」


 クラスの中で話をするとき、大抵は周りを気にするけれど、僕みたいな居るのか居ないのか分からないような奴はそもそも、言い触らさないって勝手に決め付けて話していたりする。

 でも、陰キャっていうのは誰よりも周りをよく見ていて、聞いている。

 

 だって、その輪に本当は入りたいって思っているから。


「ルナさんも気をつけて。陰キャはいつだって誰かの話を耳聡く聞いてるから」

「……陰キャ自身から聞くと、重みが違うね」

「え?」

「あ、嘘嘘。ごめんて。そんな傷ついた顔しないで、オタク」


 自称するのは良いけれど、他者から言われると傷つく。

 これもまた、陰キャの特徴だ。

 僕が落ち込んでいると、ボソっとルナさんの呟きが聞こえてきた。


「――目なんだ」

「え? ルナさん、何か言った?」

「ううん、何でもない。でも、そっか。じゃあ、あたしも気をつけよ」

「うん、それが良いと思う」


 僕はそう言ってから、自分の減ってきた書類の山を見る。

 やっぱり、ルナさんとペースが違いすぎてる。僕は椅子から立ち上がる。

 それからルナさんの机の上に置かれた紙束を持ち上げる。


「よいしょっと」

「え? お、オタク!? い、良いよ。あたしが任されたことなんだから」

「う、ううん。ルナさんは休んでて。後はボクがやるから」

「……良いの?」

「うん」


 申し訳なさそうに聞いてくるルナさんに僕は頷く。

 こういうのは慣れてる人がやれば、早く帰ることも出来るし、ルナさんだって多分、早く帰りたいって思ってるはずだ。

 僕は机の向き直り、書類整理を始める。

 すると、手持ち無沙汰になったルナさんは椅子を持ち上げ、そのまま僕の隣に座る。


「え? ルナさん?」

「……オタクが手伝ってくれるから、その……あたしにで、出来る事ってこういう事しかないからさ」

「え?」


 困惑する僕を他所にルナさんは僕の左手を手に取り、そっと身を寄せ、抱きついて来る。


「こ、これで……げ、元気とか出ない、かな?」


 僕は心の底から動揺していた。何故か、それはちょうど視線を少し下げると、ルナさんの着崩れたカッターシャツから、胸の谷間が丸見えだったから。

 それだけじゃなく、腕に包まれるような柔らかな感触まで感じる。


 い、今まで感じた事もない感触に僕の頭は一気に熱を上げる。


「る、ルナさん!? そ、その、む、むむ、胸とかが……」

「……そ、そりゃね。こうして、だ、抱きついてるんだし……」


 僕もきっと顔が真っ赤になっているんだろうけれど、それはルナさんも同じだ。

 まるで蒸気機関車のように頭から煙が出ているように見える。

 それでもルナさんは決して腕を離さない。


「だ、だって……あたしじゃオタクの力になれないし……こういう事苦手だからさ。じゃ、じゃあ、何するって……こ、こうして、その……」

「い、嫌なら無理しない方が……」

「い、嫌じゃないし!! 嫌じゃないから……ほ、ほら、オタク、速く進めてよ……」


 かーっと耳まで紅くして言うルナさん。

 何というか、いつも押せ押せなルナさんとは全然違うしおらしい姿に僕の心臓はこれでもか、と高鳴る。

 え? こ、これは何? 僕の青春は今、始まったの!?


 そんな事を考えてしまうが、僕はすぐさま書類に向かう。


 す、すぐにでも終わらせないと、ぼ、僕の心臓が持たない!!


「……オタク、凄い。それ、書類見えてる?」

「み、見えてるよ!! す、すぐに終わらせないと……」

「す、すぐに……終わらせちゃうんだ……」


 え? そ、それはどういう意味!?


 と、僕は聞く事が出来なかった。頭の中がそれどころじゃない。

 横から感じるルナさんのあったかい温もりと柔らかさ、それに、何ていうか甘い香りまで頭をビリビリと刺激してくる。

 正直、この状態が続いてしまうと、僕が耐えられなくなる。

 僕は出来る限り、全速力で書類整理を進め、最後の1枚を整理し終える。


「お、終わった……」

「……終わったんだ」


 少しばかり残念そうに、それでいて名残惜しそうに僕の腕から離れる。

 それから、ルナさんはくるくると髪先を指で遊びながら、口を開いた。


「オタク、ありがとう」

「う、ううん。僕もその……う、嬉しかったっていうか……うん……」

「そ、そっか……そう、なんだ……」


 何だかしおらしくなったルナさんはくるくると金色の髪を指で遊びながらこちらを見つめてくる。

 え、えっと……こ、こういう時、れ、恋愛漫画ならどうしてたっけ?


 今、すごくいい雰囲気だよね!?

 

 き、キスだっけ!? いや、キスは絶対に違う!!

 キスじゃなくて、キスはもっともっと仲良くなってから、じゃなくて、嘘恋人は出来なくて……。

 

 混乱する頭を整理しながら、僕は次に話す事を考え、思いつく。


「え、えっと……る、ルナさん!!」

「は、はい!?」


 ルナさんも次に話す事を考えていたのに集中していたのか、ビクリと肩を震わせる。


「こ、この後ってじ、時間とかありますか?」

「あ……あ、あるよ。オタク、デートする?」

「う、うん……。そ、その……デート、したいなって……」


 僕の言葉にルナさんは目を見開き、口元を抑える。


「そ、そうなんだ。う、うん、あたしもデートしたい。うん、デートしよう」


 ゆっくりとだけれど、ルナさんはいつもの調子に戻ってくる。

 ルナさんは一つ、二つと深呼吸をしてから、軽く頬を叩いた。


「……良し。ご、ごめんね、オタク!!」

「る、ルナさん?」

「気にしないで!! うん、あ、そうそう!! オタク!! あたし、今、ちょー見たい映画があるんだけど、一緒に見よう!! ほらほら、早く書類を届けに行ってさ!!」

「う、うん」


 何か今、一瞬、ルナさんが物凄く蕩けた顔をしていたような……。


 う、うん、多分、気のせいだよね。


「ほらほら、行くよ、オタク!!」

「せ、急かさないで……」


 うん、いつも通りだし。多分、気のせいだ。

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