第5話 オタクの宿命

 昨日、僕は夢のような時間を過ごした。


 けれど、それで何かが劇的に変わる訳ではない。


『あー、マジでだるいわ……』

『ホント、ホント!!』


 いつものように周りの喧騒が聞こえてくる。

 誰も僕を気に留めないし、声を掛ける訳でもない。

 いつも通り、何も変わらない日々。

 僕はペラリ、と昨日買ったライトノベルのページを捲る。

 

『……おい、東郷。どうしたんだよ』

『別に?』

『あのモサ男がどうかしたのか?』


 ……なんかちょっとばかり視線を感じるけれど、僕は気にしない。

 気にしないったら、気にしない。

 だ、だって、僕はちょっと巻き込まれただけだし。

 出来るだけ、本に集中して、自分の世界に逃げるように入り込む。

 そうしないと、一つの突き刺さる視線が痛いから。


 うぅ、僕、別に悪い事してないのに。


 考えてみれば、僕は巻き込まれただけ。

 しつこく付き纏う彼が悪いんじゃないか、好意は行き過ぎれば押し付けになって相手にキモがられるのに。

 彼も僕とある種、同じだ。


 僕がページを捲った時だった。


 突然、僕の視界が真っ黒に変わると同時に何かが僕の両目に触れた。


「え!? な、何!?」

「にひひ、だーれだ?」

「えぇ!? ちょ、ちょっと、如月さん!?」


 昨日、良く聞いた声が聞こえ、僕が答える。

 しかし、その返答が気に入らなかったのか、如月――ルナさんは僕の頭をグルグルと振り回す。


「ちょっと、オタクぅ~。なぁ~んで、如月さんなの!?」

「ちょ、ちょっと!? あ、頭が揺れるから!!」

「揺らしてるんだから、当たり前でしょ~。ほら、どうやって呼ぶんだった?」


 僕に目隠ししたまま尋ねて来るルナさん。

 周りの声がはっきりと聞こえてくる。


『え? 如月さん、何してんの?』

『如月さんってあの子と仲良かったっけ?』

『ていうか、あの子、誰?』


 酷い言われ様である。


『東郷、良いのか?』

『うっせぇ、話しかけんな!!』

『おぉ……こわ……』


 いや、何かブチギレてるし……。

 ああ、僕の心が震え上がると、ルナさんが僕の頭をしがみ付く。


「ちょ、ちょっと!!」

「ほら、オタク!! 何て呼ぶんだった? 呼ばないと、ずっとこうしておっぱい押し付けちゃうぞ~」

「ちょ、ちょっと待って!! る、ルナさん!!」


 パっと視界が一気に明るくなる。

 それから背中に感じていた柔らかい感触と温もりが無くなり、僕の目の前にルナさんが笑顔を見せてくる。


「せいか~い。オタク、おはよう」

「お、おはよう……」

「も~、相変わらず教室の隅っこで本読んでるの?」


 そう言いながら、ルナさんは僕の机の上に我が物顔で座り、胡坐をかく。

 いや、そんな短いスカートで胡坐をかいたら、中が……。

 僕の視線がそっちにいきそうになったけれど、気合で堪える。


 そ、それがバレたら、ルナさんに嫌われてしまう。


 ルナさんは全く気にする素振りも見せず、僕の顔を見た。


「オタク、持ってきてくれた?」

「あ、う、うん。えっと……」


 僕は机に下げていた鞄を取り出し、中身を確認する。

 一冊の漫画を取り出して、ルナさんに差し出した。


「こ、これ……僕が一番好きな作品のマンガだから。時間があったら読んでみて」

「うん、ありがとう。オタク」


 ルナさんはその漫画を受け取ると、机の上から降りる。

 すると、ルナさんのギャル仲間であろう人がルナさんに近付いてくる。


「ちょ、ちょいちょい、ルナ!! 何でそいつと仲良さげなの? ルナって東郷くんに告白されてたっしょ?」

「まぁ、そうだけど。あたしはオタクと付き合う事にしたの」

「……は?」


 え? 言うの? しかも、それが当たり前のように?

 僕が困惑していると、ルナさんが僕に近付き、腕で僕の首に手を回し、肩を組んだ。


「そーいう事で、あたしとオタクは恋人なの。昨日もデートしたんだから、ね、オタク」

「え? え?」


 ざわざわとざわつくクラスの中で、僕はただただ困惑する。

 う、嘘なのに、こんな話を大きくしても良いの?

 しかし、ギャル仲間が僕がルナさんとお付き合いしているのが信じられないのか、僕に怪訝な眼差しを向けてくる。

 それだけじゃない。男子たちの目線もそうだ。


 いや、お前じゃないだろ、と。


 しかし、その視線に気付いたであろうルナさんが口を開いた。


「因みに、これはガチだから。それでオタクに変な事しようとしたら、マジ許さないかんね」


 それは一種の牽制、なんだと思った。

 それに東郷くんは舌打ちをしていたし……。

 な、何かとんでもない事になってるような……。

 ルナさんは僕の頭を軽くワシャワシャと撫でてから、ニコっと笑う。


「んじゃ、オタク。また後でね。本、楽しく読んでなよ。読みたいんでしょ?」

「え? あ、うん……」

「ん。じゃね」


 ニコっと昨日見せてくれたのと何ら変わらない可愛らしい笑顔を浮かべてルナさんは僕の側から離れて行く。

 何ていうか、相変わらず凄い人だと思う。

 こう物怖じしないっていうか。


 教室の中にチャイムの音が鳴る。


 どうやら、始業時間が始まるらしい。僕は慌てて読んでいた本を鞄の中にしまうと、入口から先生が姿を現した。

 

 それから朝礼が始まり、先生が大事な話がある、と前置きして言葉を続ける。


「えーっと、もう早いもんで一週間後には文化祭がある。そこでこの一週間、文化祭実行委員を臨時で増やすって話があるらしくてな。各クラスから2人、選んで欲しいという事だ。

 誰か、立候補する奴は居ないか?』


 文化祭。

 学校の外の人達も招いて行われる学校行事の一つ。

 この学校の目玉の一つでもあり、力を入れている分、準備にも時間が掛かる。

 それでいつも、一週間前になると、各学年のクラスから応援要請として、人員を増やすんだよね。

 僕は苦い記憶が蘇る。


 そういえば、去年。僕は押し付けられたんだっけ……。


 実行委員ともなれば、居残りは確定する。

 多くの生徒はそれを嫌がってやりたがらない。当たり前だ。

 

 それを現すように、誰一人として手を上げる者は居ない。

 

 それを分かっていたのか、先生も一つ咳払いをした。


「あ~、お前等、気持ちは分かる。でも、これは絶対に選ばないといけないもんでな。誰か、頼めないか?」


 しーん。

 クラスの中に沈黙が広がる。

 当たり前だ。誰か好き好んで居残りをしたがるのか。

 

 僕も出来るだけ気配を消して、目立たないようにしていた時だった。

 

 一人の生徒が手を上げた。


「はい」

「お? 東郷、何だ。やってくれるのか?」

「いえ。こういうのは推薦してやった方がいいと思って」


 え? す、推薦!?

 めちゃくちゃ嫌な予感がするんだけど……。

 僕は嫌な胸騒ぎを覚え、僕の席とは対角線上に居るルナさんを見た。

 ルナさんは東郷くんに少しだけ視線を送り、露骨に舌打ちを打っていた。


 あ、キレてる。あの顔はろくでもないことすんじゃねぇよ、ってキレてる。


「小山くんを推薦しま~す。確か、小山は去年もやってたし、要領とか分かってていいと思いま~す」

「何!? 小山、そうなのか?」

「え? え? えっと……きょ、去年の話ですけど……」


 凄まれる先生に僕が答えてしまうと、クスクスと笑う東郷くんが言葉を続ける。


「経験者だったら話が早くね? ほら、小山。別に部活とかやってないだろ? やろうぜ? な? クラスのみんなや先生を助けると思ってさ」


 絶対にそんな事、思ってない癖に。

 ただ、僕とルナさんが仲良いからって、嫉妬で嫌がらせをしてるに決まってる。

 でも、どうしよう……これを引き受けたらゲームをやる時間が減ってしまう……。


 やりたくない……。


 でも、クラス中の視線が僕に集まっていて、お前やれよ、みたいな空気を凄く感じる……。


「……分かり、ました」

「おぉ!!! さっすが、小山くん!!」

「小山、ありがとうな!! じゃあ、あと一人だけど……」

「はいはいはいはいはいはあああああああああああい!! せんせぇええええい!!」


 クソデカボイスで自分の存在をこれでもか、と主張するルナさんが居た。

 それに先生はびっくりしたのか、目を丸くする。


「い、いきなり、どうした、如月」

「あたし、やる。はい、けってーい!!」

「ルナ? 君はやるような人間じゃないだろ?」


 計算が狂ったのか、東郷は眉間に皺を寄せて、ルナさんを見る。

 しかし、ルナさんは涼しい顔で先生に言う。


「だって、誰もやりたがらないんでしょ? だったら、クラスを助ける為に人肌脱ごうかなって」

「……如月、お前……成長したなぁ。良し、じゃあ、あと一人は如月な」

「え? 先生!?」


 東郷くんの計算が違う、と言わんばかりの声なんて無視して、先生は言う。


「小山、しっかりと如月をサポートするんだぞ」

「え? あ、は、はい……」


 先生はあっさりとルナさんを指名する。

 ルナさんは僕に視線を送り、ピースサインをする。

 ……ムチャクチャやるなぁ。でも、良かったのかな。

 ルナさんだってやりたい事とかあるだろうに……。


「何で……何で奴なんだ……クッソッ!!」


 東郷くんの恨み言が聞こえてくる。

 えぇ……こ、これ、とんでもない事になったりしない!?

 ぼ、僕、大丈夫だよね? すると、ブー、という微弱な振動をポケットから感じた。

 

 先生にバレないように画面を見る。


『オタク、これで放課後も一緒だね♡』

『ルナさん、本当に良かったの?』

『うん、良いの良いの。だって、オタクと一緒に居たかったし。何より、あたしの彼氏を陥れようとしたバカにはいい薬になったでしょ』


 やっぱり、ルナさんはわざと自分が立候補したんだ。

 迷惑……そこまで考え、僕は心の中で首を横に振る。

 ち、違う。僕が言うべき言葉は謝罪じゃない。

 

『あ、ありがとう……ルナさん。僕もルナさんと一緒に実行委員が出来て嬉しいです』


 ガタン!?


「き、如月!? どうした!?」


 いきなり、ルナさんが机に勢いよく倒れ、突っ伏した。

 あまりにも唐突な行動にクラス中の目と先生の疑念の眼差しがルナさんに集まる。

 ルナさんはすぐさま起き上がり、取り繕うように言う。


「な、何でもありません!! き、気にしないで!! うん、ちょっと」

「そ、そうか……じゃあ、一時間目の授業を始めるぞ」


 あ、そっか。今日は先生がそのまま授業するのか。

 僕は勉強道具を取り出すと、またしても、スマホが震えた。


『オタク、それはズルイ。バーカ♡』


 それはちょっとした悪態だったけれど、その後に来たスタンプを見て僕は目を疑った。

 それはルナさんに良く似た金髪ギャルのキャラクターが投げキッスしているスタンプだった。


 え? る、ルナさん!?


 僕は戸惑いながらもスマホをポケットの中に戻す。


 ほ、本当に心臓に悪い……でも、何ていうか……。


 ちょっと、嬉しかった。

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