第2話 偽りの恋人

「はぁ……はぁ……」


 僕と如月さんは校舎裏の門を抜け、人々が闊歩する街中まで来ていた。

 普段の運動不足が祟っているのか、僕は全身に感じる嫌な汗の不快感と気だるさに身体中が支配される。


「一体全体……何が……」

「ふぅ……ここまで来ればもう大丈夫ね。ホント、ウザイんだから」


 そう悪態を吐く如月さん。顔は嫌悪感を露にしていて眉間に皺が寄っている。

 ほ、本当に嫌なんだ……。

 それから僕の事なんてまるで眼中に無いような口振りで言う。


「ホント、あいつの目はやらしくてしょうがない。ホント、キモイ!! マジで!! なぁにが、幸せにする~よ。あ~っ!? ムリムリ!!」


 そう言いながら身の毛がよだつかと言わんばかりに体を震わせる如月さん。

 ど、何処まで嫌なんだ……僕はようやく息が整い始め、倦怠感が落ち着いてくる。


「はぁ……はぁ……やっと落ち着いてきた……」

「あ、ご、ごめんね!! だ、大丈夫!?」


 ようやく如月さんが気付いたのか、僕の顔を覗き込むように見つめる。


 っ!? ぼ、僕の目の前に如月さんの綺麗な顔がッ!?


 僕は思わず大きく距離を取ってしまうと、如月さんが申し訳なさそうに手を合わせる。


「ホント、ごめん!! いきなり変な事に付き合わせちゃって!! え、えっと、名前は……あーっと……同じクラスだっけ?」

「…………」


 ポカーン、と呆けた顔を見せる如月さん。

 そ、そうだよね。やっぱり、クラスの影でひっそりとしている僕なんて誰かも分からないよね。

 僕は心の中でしょんぼりとしながら、口を開く。


「小山タクト……い、一応、同じクラス」

「あ、あ~。そ、そうそう!! もぅ、覚えてたって~」


 やだぁ~と言わんばかりに手招きしながら言う如月さん。

 その反応は絶対に知らなかったじゃん。とは言えず。

 僕は距離を取ったまま尋ねる。


「あ、あれって……告白だよね?」

「あ~、まぁ、そんな感じ。けど、もうしつこいの何のって」


 そう言いながら、如月さんは肩を竦める。


「何度も何度も何度も。本当にウザくてしょうがないんだよね。こう、意味の分からない感情をぶつけられると逆にキモくない? オタクはそう思うでしょ?」

「お、オタク?」

「うん。オタク。だって、見た目がモロオタクっぽいし。それに名前もほら。おやまたくと。略してオタク!! 良いっしょ?」


 た、確かに、そうかもしれないけどさ。

 ま、前髪で目元は隠れてるし、髪ももっさりしてるかもしてるし、オタクっぽい見た目かもしれないけどさ!!

 直接言わなくてもいいじゃん!! と心の中で思うものの、口からは出ず。


「そ、そう。それで良いんじゃない?」

「何、オドオドしてんの? 同じクラスらしいけど、全然、目立たなくて知らなかったよ?」

「……ひ、人と話すのが苦手なだけだから。も、もう、良いよね。それじゃあ」


 これ以上、こんなキラキラギャルと関わると碌な事にならない気がする。

 とりあえず、早く撤退しよう。これは戦略的撤退。

 ちょ、ちょっと残念とか全然思ってないし……。だ、だって、こんな人と話すなんて絶対に無理だから。

 僕は踵を返して帰ろうとすると、如月さんが僕の手を掴んだ。


「待った!!」

「ちょっ!?」

「巻き込んじゃったし、お礼くらいさせてよ!! ほら、近くに喫茶店あるし!! ね!!」

「え……僕はこれから本屋に行くんだけど……」

「えー、こんな美少女のお誘いを断るの?」

 

 そう言ってから、如月さんは僕の手を離し、頭と腰に手を当て、セクシーポーズを取る。

 た、確かに綺麗でスタイルも良くて、話せたら楽しいかもしれないけど。

 僕には無理だと思う。だから、僕は視線を逸らし、帰ろうとする。


 だが、如月さんは腕を掴んだ。


「はい、ダメ~。行くよ、ほら!!」

「ちょ、ちょっと待って!! ご、強引すぎ……」

「ほらほら~。お茶しようよ~」


 僕は如月さんに拉致され、近くにある喫茶店の中へと入る。

 店員さんに席を案内してもらい、椅子に座る。

 目の前には如月さんが居て、店員さんに注文をしていた。


「アイスティー二つ」

「かしこまりました」

「…………」

「オタク、何黙ってんの?」


 机の上に肘を付いて、僕の顔を見てくる如月さん。

 うぅ、直視出来ないし、全然、落ち着かない。

 僕は如月さんの顔を見る事が出来ずに俯いていると、如月さんは一つ息を吐いた。


「オタク、人と話すの苦手なの?」

「う、うん。苦手だし……そ、その……女の子とも全然話した事ないから」

「へぇ~……可愛いじゃん」

「か、可愛い?」

「ほらほら、こっち見てよ~」


 茶化すような雰囲気で如月さんが僕の顔を触ろうとしてくる。

 それに僕の心臓は一気に高鳴る。バクンバクン、と心臓が口から飛び出しそうになる。

 そんな事、露とも知らず如月さんは僕の頬、ではなく、前髪を一気に上げた。


 少しばかり暗かった視界が一気に開け、真正面に如月さんの顔が鮮明に映る。


「わっ!? な、何、いきなり!?」

「…………え?」


 すると、如月さんは面食らったような顔に変わった。

 

 え? な、何か変だったか?


 僕が困惑していると、如月さんは僕の前髪から手を離し、口を開いた。


「なぁ~んだ、意外とカッコイーじゃん。これはもしかして当たり物件か~」

「な、何、いきなり……」

「何でもない。じゃあさ、話すの苦手なら、私の愚痴、聞いてよ」


 如月さんの言葉に僕は頷く。


「それがね、聞いてよ。もうね、週一くらいなの、あの告白。もういい加減、うんざりすると思わない?」

「しゅ、週一!? そ、それは凄いね……」


 一週間に一回告白するって一体どんなメンタル強者なのか。

 僕だったら、一度断られたら間違いなく寝込む。

 店員さんが持ってきてくれたアイスティーに飲み、如月さんは言葉を続ける。


「そうなの!! 最初はさ、うわ~告白ぅ~やるねぇ~とか思ってたの!! でも、こうも続くと流石にウザイ!!」

「……そ、それだけ如月さんが魅力的なんじゃないの?」

「……ぶはっ!? ごほっ!! ごほっ!!」


 い、いきなり如月さんが飲もうとしていたアイスティーの入ったカップを机の上に置き、咽だした。

 え? だ、大丈夫?

 僕はポケットからハンカチを取り出し、如月さんに差し出す。


「つ、使う?」

「あ、ありがと……うわっ、ビックリした。マジで」

「び、ビックリ?」

「いや、こっちの話……ふぅ、落ち着いてきたわ」


 如月さんは一つ息を吐き、咳払いをする。


「まぁ、あたし自身、やっぱ魅力的だから、良く告白される訳」


 自信満々に言う如月さん。確かにその通りだと思う。

 教室の隅に居る人間というのは周りの話を良く聞いていて、噂話を耳にする。

 これはそこには居ると思われていないから、皆の口が軽くなるのだ。


 そこで如月さんに告白して玉砕した、なんて話は何度か聞いた事があるし、そういう話は物凄く足が早い。

 僕はアイスティーを飲み、口を開く。


「じゃ、じゃあ、断るのは慣れてるんじゃない?」

「そうなんだけどね。あんなにしつこいのはそう居ないからさ。ホント……どうしようか考えなくちゃいけない訳」


 そう言いながら、如月さんは机の上にだらけ始める。

 本当に困っているみたいだ。でも、僕に出来る事は無い気がする。

 すると、如月さんは僕をじーっと見つめる。


「……ねぇ、オタク」

「な、何?」

「今、彼女とか居る?」

「……え?」


 あ、嫌な予感がする。

 僕はパチクリと瞬きをすると、如月さんは身体を起こして言う。


「居ないよね。その感じだと。クラスでも居るか居ないか分からないし」

「…………」

 

 何だろう、ちょいちょいクリティカルヒットを出すのを辞めて欲しいんだけど……。

 僕の心は豆腐よりも繊細なのに。

 素直に答えるだけだったのに、僕は声は震え始める。

 

「そ、そう、だけど……」

「ちょっ!? そんなに落ち込まないでよ!! あたしが悪いみたいじゃん!!」

「悪いよ……ひ、人が気にしてるのに……」

「ご、ごめんて!! ね、許して!! この通り!!」


 拝むように謝罪の意を示してくる如月さん。

 僕は落ち込みを解消する為にアイスティーを飲む。

 口の中に紅茶の風味とミルクの甘さが広がり、だいぶ落ち着いてくる。


「……そこまで怒ってないから」

「そ、そっか。良かった……」


 ほっと胸を撫で下ろす如月さん。

 それから如月さんは真剣に僕を見た。


「これは割と冗談じゃなくてね。もう、本当に告白されたくない訳。だから、オタクに頼みたい。嘘でもいいから、私と付き合ってくれない?」

「……そ、それ、僕以外の方が」


 こういう事を頼むのは何も僕じゃなくても良い気がする。

 何ならクラスに僕よりも断然相応しい子だって居ると思うのに。

 けれど、如月さんは首を横に振る。


「そ、それは……何かあたしが嫌なの!! ほ、ほら、こうして会ったのも何かの縁って言うでしょ!! だから、オタクが私のカレシ役をやってよ!! そうすれば、アイツも諦めてくれるでしょ?」

「それはそうかもしれないけど……僕には無理だって」


 無理だと思う。

 そういう彼氏みたいなことなんて僕には出来ないし、こうパリピウェーイとか、陽キャみたいなことを求められたら、僕は間違いなく寝込む自信がある。

 しかし、如月さんはそれでも頑なに首を横に振る。


「無理じゃない!! オタクなら出来るって!!」

「む、無理じゃないって……無理だって。僕には」

「無理じゃない!! そもそもやってもいないのに、無理って決め付けるのが間違ってる!!」

「…………」


 それはそうだけど……。

 如月さんはパン、と一つ手を打ち、頭を下げる。


「本当にお願い!! こういうのを頼めるのってあの現場を見てたオタクだけなの!! 嘘で良いから!! お願いします!!」

「…………」


 僕は考える。

 引き受けるべきなのか、引き受けないべきなのか。

 考えても、全然分からない。

 引き受けたら当然、大変だろうし、引き受けなかったら引き受けなかったで、何だか後悔する気がする……。

 

 無理だって決め付けるのが間違ってる。


 僕はいつも無理だって、決め付けてた気がする。

 部活をやるのも、友達と話すのも、青春を謳歌する事も。

 全部、枕詞に無理って付けてた。


 僕でも、良い、のかな?


「……う、嘘なんだよね? その恋人関係って」

「う、うん!! う、嘘だよ!! 勿論!!!」

「だ、だったら……良いかな。流石に君と本当に付き合うとかだったら、恐れ多すぎるっていうか……色々大変だし……うん。嘘なら、こちらこそ、お願いします」


 無理だって言う前にやってみよう。

 ほんの少しでも自分で勇気を持って歩いてみよう。

 

 すると、如月さんはぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せ、僕の手を取った。


「ほんっとうにありがとう!! オタク!! にひひ、じゃあ、オタクは今日からあたしの彼氏役ね」

「う、うん!!」

「それじゃあ、早速!! 恋人らしい事、しよっか」

「え?」


 え?


「ほらほら、オタク!! オタクの行きたい所に連れてってよ、彼女をさ」

「い、いきなり!?」

「ほら、早く!!」


 如月さんは僕の手を取るなり、すぐさま立ち上がる。

 そのまま、またしても僕を引き摺るように歩き出した。


 え、え? い、いきなりすぎるって~!!

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