1-5:魚の可能性
商人達が帰った後、ハルさんが私とお父様を小屋に案内してくれた。
すでに2人分の寝床が用意されており、他は小さな竈と、水桶くらいしかものはない。一瞬、都での暮らしが懐かしくなるけれど――考えてみれば、もう私物だってほとんどなくしたのだ。
広い家は不要だし、むしろ再出発には丁度いい。
「……どうですか?」
不安そうに上目遣いするハルさんに、私とお父様は揃って口角を引き上げた。
「ありがとうございます!」
「気に入ったよっ」
そう言って小屋に足を踏み入れた瞬間、靴がじゃりっと音を立てる。
「あああ、すみません! ハル、何度もきれいにしてるんですけど、ちょっと日が空くとすぐに砂が……!」
「平気だとも、なぁクリスティナ!」
「え、ええ!」
「あ、虫……」
ハルさんがさっと箒で地面にいた甲虫を放り出す。
…………家の周りに、虫除けの香草を植えようと私は固く決意した。
「――よしっ! 気に入っていただけてよかったです」
ハルさんは胸を撫でおろした後、にっこり笑みを結んだ。
「お夕食はハルがお持ちします。それまで、こちらでおくつろぎを!」
大きな船の来航で、今夜の島は賑わうらしい。
人が200人ほどの場所に、交易船が4隻ついたとなれば、その船員は100名くらいはいるだろう。つまり人口が急に1.5倍になったというわけで――賑わうのも納得だ。
島にとっては貨幣の獲得機会といえるかもしれない。
この島は、まれにしか来ない交易船で、かろうじて王国の経済にしがみついている。
ハルさんの家は食堂をしているようで、11歳の彼女も兄達と一緒に手伝うようだ。『こんな小さな島に、食堂――?』とも思ったけれど、これにもハルさんが応えてくれる。
「竈がない家もあるので。一カ所で一度に煮炊きした方が、材料も無駄がなかったりしますし、いつの間にかウチが食堂になったんです」
……なるほど。
知れば知るほど、痛感する。故郷の男爵領とも、妃候補として過ごした都とも違う場所なのだ。
ハルさんが帰った後、疲れがどうっと襲い掛かってくる。
物思いに沈むうちに日が暮れて、あちこちにランプが灯った。
魚の臭いがかすかに漂ってくる。
「
ランプは、やはり魚から搾る油を利用しているらしい。
お父様はちょくちょく外に出て、早速、島へ自己紹介と、情報収集を始めていた。数ヶ月に一度の交易船を迎えて、島は盛り上がっている。
お父様はどこか人を安心させるところがあり、お酒の席に紛れ込むことはものすごく上手かった。おそらく、島についても何か聞き出してくるでしょう。
「……私達、どうなってしまうんでしょう」
1人になって、ベッドで足を抱えてみる。質素な部屋だが、すきま風はないし、シーツは白い。
修繕がされたらしい家屋に、ハルさんや領主様の配慮をヒシヒシと感じた。
それでも不安定な立場はどうにもならない。
窓から聞こえる波の音に、暗い海。島はもう夜闇に囲まれている。
そのうちお父様が帰ってきて、どっかと椅子に腰を下ろした。交易船で賑わう島にうまく溶け込んだようで、顔が少し赤い。
水を一息に飲んでから、お父様が話し始めた。
「もともとは『楽園島』と呼ばれていたそうだよ」
「楽園――」
「発見された当初は、確かにそうだったのだろう。気候もいいし、昔から細々と人は住んでいた。しかし――」
お父様は言葉を切る。
「もう150年以上も前に、島で流刑者の受け入れが始まった。囚人を受け入れる代わりに、国から銀貨を得れば、麦を買え、生活が豊かになる。勝手な想像だが、豊かになって人口が増え、逆に流刑がなければやっていけなくなったのではないかね」
「それで、今も作物を買っているのですね」
「ああ。イモや野菜は育てているようだけどね」
ダンヴァース様が領主でなければ、もっと大変なことになっていた気がします。
「今の領主様は、すごい方だよ。島に異国の作物を導入して、農業を立て直した。交易船がやってきて必要物資を売ってくれるのも、領主様が交渉したらしい」
ずっと謎だったことの答えも、見えてきた。
私は口を開く。
「お父様、最初に見た時、漁をする船が少なかったでしょう?」
「あ、ああ……」
「おそらく、魚は捕ろうと思えば、捕れるのです。ただ、それを遠くに売るための手段も……大きな船も、保存加工に必要な素材も手に入らないのです」
たとえば『塩』。塩漬けは最も一般的な保存手段だが、大量の塩が必要になる。
それに保存用の『樽』。食品を保管するなら、新品の樽が必要だ。
煮詰めるなら『燃料』。島の木々は限られている。
都では簡単に手に入ったものでも、この島では輸送費で途端に高くなる。
だから事業で利益を出すことが難しく、交易船にとっては魅力のない島となった。結果、唯一定期的に訪れていた交易商人から、見放されようとしている……。
私は、来るときに見た港の様子を思い出した。
住民は自分達の島を『こんな島』と呼んでいる。
「この島の、今の規模よりも、もっと大きな事業にしないと……」
大量に買えば安くなる。
でも……そんな方法があるのだろうか?
大勢の人を一つの事業の中にまとめ上げる、そんなやり方が。
ふいに、よい香りが鼻をなでる。
「お待たせしました!」
ハルさんが戻ってきてくれた。手には編みカゴ。
一つだけの丸テーブルに、せっせとお料理を並べてくれる。
「都の方々のお口に合うかはわかりませんけど……」
とろりとした赤みを帯びたスープ。香草と野菜が敷き詰められた大皿には、大ぶりなニシンが乗っていた。
パンの代わりがイモのようで、ほくほくと美味しそうな湯気を立てている。
全能神へのお祈りを捧げてから、私とお父様は食器を手に取った。
「では……!」
何口か食べ、すぐに私はお父様と顔を見合わせた。
美味しいのだ。
ニシンは、温かい脂が口の中でほどけて、爽やかな香りが広がる。滋味深い味で気づくと飲み込んでしまった。
男爵領であった臭みのあるニシンや、カチカチになった燻製とは大違い。
カゴを抱えたまま、ハルさんは指を立てる。
「ニシンは、この島だと春を告げるお魚ともいわれています」
「春を……?」
「はい。特に、タマゴを抱いてるニシンは本当に美味しいんです」
お父様も私もコクコクと頷いた。
赤いスープは、貝や魚が野菜みたいにゴロゴロ入っている。海のおいしさを島の野菜が吸い取って、これまた口に運ぶと優しい甘味が広がった。
「ど、どうです?」
緊張気味のハルさんに、私とお父様は即答した。
「美味しいよっ!」
「ええ! とってもですっ」
『楽園島』の名は本物だ。次はぜひ、パンとも合わせてみたい。
呟いてしまう。
「でも、こんなに味が違うなんて……」
「とれたてのお魚ですからね。保存法によっても、味はかなり変わってきます」
魚は、この島の大事な資源だと思っていた。だけど、今はもう一つ気付いている。
都では、新鮮な海魚を食べる機会は少なかった。
というより、王国は領土のほとんどが内陸だから、民の大部分がそうだろう。
新鮮さが失われれば、味が落ちるのは道理。多くの人にとってご馳走とは肉のことで、魚は『仕方なく食べる』人気がない食材だ。
領地が海沿いだった私でさえ、いつしか味よりも戒律や保存食というイメージが強くなっていた。
でも、新鮮な魚を正しく下処理すれば、こんなに味が変わる。
脇役なんてとんでもない。
魚って……実はすごく美味しい?
「うん」
間違いない。
これは、『いいもの』だ。
「クリスティナ様?」
「い、いえ!」
慌てて手を振って、考える。
……この島が儲からない? 本当に?
ハルさんはため息を落としていた。
「ハル、嬉しいです。気に入っていただけて」
誇らしさと寂しさが混じっているような気がした。
「島のこと、島の人は嫌いなんです。でも私は……おじいちゃんが好きだった島が好きです。だから、今日みたいに賑やかな日が続くといいんですけど」
ハルさんは赤毛のおさげを振って、笑った。気丈だけど、無理しているとすぐにわかる。
「し、仕方ないかも、ですねっ」
私はスープに入っている野菜をすくい上げた。
「あ! それ、領主様の菜園でとれるやつです。『金のリンゴ』とか言われてますけど、実は野菜なんですよっ」
やっぱりダンヴァース様、只者じゃなかった。
この島に売れるものがないなんて、とんでもない。きちんと売れそうなものを育てている。
私は目を細めた。
「これ、島では?」
「それが……領主様は召しあがるんですが、みんなあんまり食べないんです。気味が悪いとか、毒があるんじゃないか、とか」
王都でもまだ珍しい野菜である。遠くの土地から持ち込まれたばかりで、真っ赤な見た目から警戒されることもあった。
ただし栄養は豊富。
「ぴったりですね」
呟く私に、ハルさんは首を傾げた。
手のひらでお料理を示す。
「交易船の人達にお出ししたことは?」
「な、ないです。ダンヴァース様は召し上がりますけど、誰も食べない割りにポンポン実がなっちゃうので、困ってます」
私は寂しげなハルさんに笑いかけた。
「ハルさん。もしかしたら、交易船、ずっと来てくれるかもしれませんよ?」
「……え?」
島に魅力があればいい。
それなら、買いたい気持ちにさせればいいのである。
「どうせ、ゼロからの出発ですもの」
島に、都の経験が少しは役立つかもしれない。私は領主様の館を訪なうため、立ち上がった。
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キーワード解説
〔魚油〕
ニシンなどは脂が多い魚であり、煮詰めた後に圧搾すると、油をとることができる。
照明や食材として使用される場合もあるが、魚の臭いが強かった。
搾りかすはカルシウムとビタミンが豊富な肥料になる。
〔イモ〕
島にあるのはジャガイモ。原産国は海の向こうだが、ダンヴァースが持ってきたようだ。
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