1-4:交易商人

 それは、値段表だった。日付、品目、そしてダンヴァース様のお屋敷という状況から、拾った紙がこの島に卸される資材の単価表だと当たりをつける。

 思わず低い声が出そうになった。


「たっか……!」


 慌てて口を閉じ悲鳴を押し殺す。

 都での相場と比べて、麦などは2倍近い値段だ。食品としてはちょっと考えられない水準で、飢餓や干ばつでも起きたのかというほど。

 布や木材類も同様で、バターやチーズは数倍の価格だ。海沿いなのに塩を買っているのは少し不思議だが、これも領地で買っていた時より数割も高い単価である。

 ピッチ、タールといった防水材へも目を滑らせていく。島では必須のはずだ。

 この分だと漁具も高いだろう。


「こんなの、買ってるの……?」

「……読めるんですか?」

「あっ」


 慌てて紙を男性に返す。

 身なりは上品で、物腰も柔らかいが、笑顔に隙がなかった。

 やはり商人だろう。それも遠隔地との交易を采配する、やり手かもしれない。

 私は引きつった笑顔で、『さて何が起こっているのか』と考える。


「ご令嬢。言っておきますが、これは適正価格なのですよ?」

「……ええ、ありえる値段です。ここまで運んでくるまでの船員の給料や、船の運航代、つまり輸送費がこの資材価格に入っている」


 応えるとたれ目が大きくなり、まじまじと見つめられる。

 単純な割り算だ。

 孤島にものを運ぶ場合、輸送費用がかかる。そして船員の給料や消耗品は、大荷物でも小荷物でそう変わらない。


 仮に1000人の島にモノを運んでくる場合、この輸送費を1000人が負担する。多額の輸送費も、大勢で割れば1人当たりの影響は減る。

 しかしこの島の人口は、ずっと少ない。

 200人前後と別れる前のハルさんが言っていた。

 だとすれば、船で運んでくる費用が、少人数に重くのしかかる。

 この辺りは交渉次第の面もあると思うけれど――


「失礼を。僕はエンリケ、この島を訪れた商人です」


 商人、エンリケさんは帽子を取ってそう名乗ってくれた。目はこちらを見定めるように鋭い。


「あなたは何者ですか? ダンヴァース様のところに、他の商人が来ているという情報はないけれど」


 私は焦った。

 帳面を読み取ったことで、ライバルと誤解されている。


「いえ。私は、最近ここに移ってきた者です」

「あなたが? ここに?」


 エンリケさんの顔に困惑が広がった。

 罪人として見るべきか、それとも訳ありの女性としてみるべきか、迷ったのだろう。


「それは、ええと……」


 応接間の扉が開いて、お父様が顔を出した。


「クリスティナ、ハルさんを探しているのではなかったかね?」


 お父様、絶好のタイミングです。

 エンリケさんは首を傾げながらも、教えてくれた。


「……手伝いの女の子なら、2階でしょう。僕らの船団長とダンヴァース様が商談をしているので」


 商談の邪魔をしては悪いけれど、かなり喉も乾いている。ハルさんになら予定を聞いてもいいはずだ。

 3人で2階へ上がり、ダンヴァース様がいる部屋へ向かう。

 長い廊下を進んでいると、短い悲鳴。何かが割れる音が続く。


「なんでしょう」


 私達は足を早めた。

 廊下を曲がると、ハルさんがへたり込んでいる。周りにはお盆と、割れた器の破片。何かに驚いて、お盆を取り落としたのだろうか。

 その正面、開かれたドアの前には、ダンヴァース様と男性が立っていた。


「船団長」


 エンリケさんの言葉に、男性はびくりと肩を揺らす。

 この人が船団長――つまり、この島を訪れた交易船のまとめ役でしょうか。黒い帽子に描かれた白羽のマークは、帳面にあったものと近しい。

 年齢は30歳を過ぎた頃。茶髪がくすむほど日焼けして、精悍な顔つきからも交易商人としての貫禄がにじみ出ていた。

 ダンヴァース様は杖をつき、静かに告げる。


「立ちなさい、ハル」

「でも……」

「驚くのもわかりますが、レディになりたいのなら、落ち着くことを覚えなさい」


 ハルさんはおずおずと立ちあがる。目元の涙を拭うと、こくんと頷いた。


「すみません。お騒がせして……」


 話が見えてこない。


「どうされたのですか?」


 尋ねると、船団長はダンヴァース様へ目配せする。


「我々の交易船が、もう島に寄らないかもしれないって話を聞かれたのさ」


 やれやれと肩をすくめる船団長。


「ダンヴァース殿には大きな恩があった。今でも感謝する商人は多い。けど、この島に航海の度に寄るんじゃ……正直、割りが合わないんだ」


 ハルさんの声は震えている。


「……でも、ギュンター様。定期船で珍しいものとか、いいお酒とか、お薬とか、漁具とか、楽しみにしてる人もいます。来なくなったら……この島、ますます人が出て行っちゃいますよ……!」


 それに、ギュンターと呼ばれた商人は肩をすくめた。


「すまないね、お嬢ちゃん。こっちも仕事なんだよ」


 話は済んでいたのだろう。

 船団長ギュンターさんは階段を目指し、私達の方へ歩いてくる。

 ぼそっと呟くのが耳に届いた。


「――仕方ねぇだろ、ここで買うモンねぇんだから。いくぞ、エンリケ」


 2名の商人は、足早に去って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る