三人の孤児

@MomoFragil

three orphans

「不平不満を吐くような現状を長々と維持し続けてるのはお前自身なんだよ」


そいつが僕につけた名前は「maquis」。その名の通り第二次世界大戦中のレジスタンス組織の一員であることを表していて、僕は孤児院にいる戦争孤児の年長者でもある。灌木地帯に逃げ込むという意味を予言していたのは、孤児院が軍の襲撃を受けた昨晩のことである。


僕たちはてんでんばらばらに散っていき、戦火の中を生き残った者はごく僅かで、とある空き巣にたどり着いたのはたったの三人だった。そうして、僕たち「三人の孤児」の命辛々の生活が始まった。


一日目。僕は心中を図ろうとしていた。産んだ親を憎むほどのペシミスト、アンチナタリズム。毒親や敵軍に殺されるくらいなら、一緒に死んでくれる相手がいることが僕の長年の夢だった。それを孤児院にいた時ユキナちゃんに打ち明けると「プライドは一丁前なんだね」と言われたのを思い出す。その彼女を今、絞め殺そうとしている。

ユキナちゃんのことは好きじゃない。違うよ、大好きなんだよ。暴力を振るうといつもの傍若無人な所がなくなって、自分しか知らない彼女の苦しむ姿が見れたからだ。

動機は独占欲だったのか、否、そうとも言えない。


「ごめん、本当にごめんね」


自然と口から謝罪の言葉が出ていた。


「謝ればいいと思ってるでしょ」


「だからさ、言わせないでよ。君の親は育て方を間違えたね」


その憎まれ口から発せられる言葉を絞るように、馬乗りになって彼女の首を絞める。僕より不幸な人間には幸せになってほしいからだ。情けでしか愛される理由がない僕には不幸自慢が唯一の取り柄なんだ。

枝を束ねた程度にしか太さがない喉は簡単に潰れて、カヒュ、と音がする。次第に動かなくなったのを悟って、もう一人の孤児の元へ向かう。

スインくんは、その場から逃げようともせず、完全に受け身の体勢になっていた。信じたいものを信じればいいと言われて、信じるより、その人が信じるものに「従いたい」と言うほどの他人任せだ。それはいつだって変わらないのだろう。

護身用だったポケットナイフを彼の腹を目掛けて突き刺す。傷口が広がるようにナイフの柄を回転させると、普段は全く無口な彼から呻き声を聞くことができた。

後は、自分だけ。天井からぶら下がったハングマンズノットを首にかけた。


二日目。いや、二日目?僕が目覚めたのは、一日目と変わらない自室のベットの上だった。明日は訪れないと思っていたのに、季節も変わっていて、ユキナちゃんもスインくんも居る。夢だったのか。いや、彼らに夢だと思わされていたとわかった。ユキナちゃんの首にチョーカーのような包帯が巻かれていたことと、スインくんのお腹を執拗に殴ると、傷口が開いて赤い染みが広がったからだ。そういえば自分も喉に圧迫感があるし、恐らく死にきれなかったのだろう。死活に関わる劣悪な環境下で、彼らが生き残るならまだしも、なぜ独りよがりな行動をした自分まで助けられているのだろう。僕はこう見えて必死だった。身体の自由がなかった昨今、死ぬのが時間の問題なら、死に方ぐらいは自分で選びたかった。

ユキナちゃんの言う通りだ。一人では死ねないような人間は、人を殺めることすらできない。


また別の異変に気づいた。玄関から赤ん坊の声がする。玄関に置かれたバスケットの中から赤ん坊の喚き声がする。どうしたらこの家を孤児院と間違えて置いていくものかと、肉親の仕打ちには同情できなかった。今の食糧難の状態で分けられるものと言ったら、赤ん坊であっても腹の足しにならない昆虫のみ。スインくんが昆虫採集と物乞いに出掛けるのを何事もなかったように後をつけても何も言われないのだから、彼の無抵抗主義には驚かされるばかりだ。いつもと違う点といえばスインくんが持つそのバスケットだった。奴隷商人であっても赤ん坊と金を引き換えてはくれないだろうし、売春もできないので、またこの子は何処かに捨てられるのだろう。

ただ、物乞いはしても僕たちは自分以外の誰かを売ろうとはしない。


「スインくん、ここにいたんだ。じゃあ」


しかし彼だけは自分は男だからと身売りをしようとするので、こうして邪魔をして我が家に帰している。別に他人がどうしようとどうだっていいが、境遇が似ている僕たちはどうも他人事のように思えない。とはいえ僕も、自分の身を顧みない。

スインくんを家に帰した後、人通りの多い道端で長袖を捲り、ナイフを前腕に沿わせる。長袖の下には、慣れすぎて傷口が繋がっていて、筋肉の組織が見えている痛々しい自傷痕がある。金を払う代わりに深く傷をつけられたこともあったが、別にあるようでないような身体だ。どうだっていい。むしろ彼らの役に立てているなら、この傷が何も出来ない自分の唯一の勲章であるように感じられる。働けば稼げるのだがそこまで生きようとするほどの生命力はない。

この傷を見せるとおずおずと治療費を出してくる偽善者もいるが、スインくんが稼いだ金だからと言って、食費に当てている。かといって一食分の食事にもならないのだが。

今日は赤ん坊がいてもあまり金額に差は無かった。


赤ん坊を階段から落っことした日。スインくんは澄んだ顔で家の前に死体を埋めた。その表情を見て、仮に自分が死んだ時もこうして埋められるのかと肝が冷えた。死後に他人に悲しまれるほど徳を積んだ人間でないことは自覚していた。


「ほら、クモだよ。触れてご覧」


昆虫採集の際にふと見つけた、てんとう虫みたいな見た目をした目ヤニぐらいの大きさの蜘蛛。僕にとっては赤ん坊より価値がある。


「それはセアカゴケグモです。致死性の毒を持っているので触らないように」


ばれた。三人共有の本から得た知識を昆虫採集する人間が知らない訳がない。僕は蜘蛛に触れられない。自分の死に涙ぐんで後追いする人間が現時点で思い当たらなかった。


夜な夜なユキナちゃんは外を放浪する。夜廻りしているスインくんがカンテラを持って彼女を引き戻すのだが、女子供が夜分遅くに一人にされて眠れるわけがない。探していた彼女は玄関先にいて、赤ん坊を埋めた場所から出た芽を眺めていた。そんな大人に成りきれない子供らしいところが好きだ。それを口に出して伝えようとする。


「⬛︎ね、⬛︎そ、⬛︎み、⬛︎す」


拍子抜けした弾みで忌み言葉を浴びせていた。褒めようとしても汚い言葉しか知らない訳で、ただの暴言になってしまう。


「頭弱いよね、君。社会に出てもやっていけないよ。病気だね」


「え?えへへ、ありがとう」


褒め言葉として受け取っている相手。間違いではない。僕みたいに学がなくて、馬鹿で、見捨てられないそんなところが好きなのだ。


「マキのことは妹のように思ってるから」


年上の自分が妹と思われているのが気に食わない。


「君って殴り甲斐のある顔してるよね」


綺麗な整った顔だってこと。でもそれを歪ませるのも好きで、一発殴ってもヘラヘラしているのが苛ついて、後に完膚なきまでに慰み者にした。

何度も殴っても、スインくんが彼女を治療してくれるので、いつも生殺しで痛ぶることができた。きっと受動的に育った僕たちは「止める」という選択肢が思いつかない。報復が怖くて気付こうともしなかっただろう。

苦し紛れの抵抗に僕の腕に爪を立てたので、思わず涙が溢れる。ばれていたのか。この口の軽い伝書鳩は後でスインくんに言いつけるだろう。


最近あの子が、スインくんがいつも以上に一言も喋らなくなった。孤児院にいた時の彼は合唱団のソプラノとして賛美歌を歌うのが得意で、今でも木に登って一人で歌うのが日課だ。それすらなくなってしまったので、驚かして無理矢理に声を聞いてやろうとする。


「わっ」


半目だった目が大きく見開いて、真顔からの表情の変化にこちらが驚いてしまいそうだったが、一番驚くべきはその声だった。


「声、低くなった?」


これが噂に聞いた変声期で、彼にその時期が訪れたのだと理解した。歌わなかったのは、ソプラノが歌えなくなってしまったから、と考えるのが妥当だろう。


「…」


「神父さまお墨付きのソプラノが歌えなくなって落ち込んでる?別に、僕は低い声の方が好きなんだけど」


柄にもなくフォローをすると、腕を強引に引っ張られて救急箱のある書斎に連れていかれたので、これは仕返しされる。


「痛かったら言ってください」


「分かったよ」


椅子を持ってきて向かい側に座り、捲った腕を差し出す。そうするとさっきの意趣返しとばかりにわざとピンセットで組織ごと血餅を摘んだりするので、痩せ我慢をしたが、それからさらに痛みが増した気がした。


「痛い」「ねえ、わざとやってるでしょ」


彼が元から不器用とはいえ、医者の真似事に付き合うのもストレスの限界だ。まあ後でこの縫合とも言い難いガタガタした糸を簡単に引き抜いてしまえばいい。彼は医者のように笑顔を見せたつもりだったが、そのあまりの歪さと不敵さを兼ね備えた笑みに笑わずにはいられない。


「相変わらず下手くそ」


艶いた顔をしながら呟いた。


ユキナちゃんが徘徊から帰ってこなくなった。嫌な予感がした。どうして彼女を「殺さない」確信があったのだろう。間接的に「自死」に追い込む可能性を想定できていなかった。彼女はゲヘナに飛び降りていた。

この空き巣を「終の住処ならいいな」と言っていたが、そういう遺言じみた意味合いだとはまさか思わない。これこそ夢なんじゃないか?


「法で守れない命があるように、医療で癒えない傷があるように、私は貴方の味方です」


それを言ったのはスインくんだ。駄目だこの子は。僕が崖から突き落としたと思って匿うつもり?


「生かしても碌な大人にならないよ」


誰に向けて言ったのかが自分でも分からない。夢がもはや願望の領域に達したのか、呆然と立ち尽くしていると崖の下に居た遺体が動き始めた。


「ユキナ」


「あっ、おはようー」


スインくんが呼びかけると霧の濃い場所にいる人影が手を振っているように見えたので、彼女は生きていたようだ。とんだ人騒がせ。次に殴る時はもっと手厳しくしないと、と思う。


「my sister!」


「そういう仲じゃないよね」


ユキナちゃんに呼ばれて、今日は珍しく食事がある日に起きれたのだと気づいた。テーブルの上にあるのは薄っぺらくて虫が挟まったサンドイッチ。いつもと違うのはそれが一切れしかないこと。

三等分?浅学な僕たちにそんなもの思いつかない。全員が議席に着くと誰が一番体重が軽いかという議題で持ち越しになった。

「そりゃあもう、君でしょ」

僕はユキナちゃんを指差した。骨と皮しかないような四肢。絵心がない僕でも棒人間さえ描けば彼女を模したものだと言える。


「脂肪のが軽いって」


意外なことに、二人の指先が僕に向けられていた。脂肪分が多いとでも言いたいのか。いや、この中で一番体重が軽いのは誰かという話であるなら体脂肪率が高い人間は除外されるのでは?

そうして二人がかりでこの不味いサンドイッチを無理やり食わされた。とても食えたものじゃない。口から虹が出そうだ。


「おびやあか」


冷やかしを入れられて、これは少ない量の食糧を譲り合うという優しさではなく、ゴミ以下の代物を押し付け合う卑しさだったのだと思った。

吐き出すと食べる前よりもお腹が空いた気がして、また反吐が出そうだった。


最近は一睡もできていない日が続く。それは今夜も同じだった。玄関前に人の気配を感じたので、ユキナちゃんかスインくんだと思って放っておいていたら、男性の低い呻き声がした。ベッドから起き上がって視認できたのは軍服を着た男だった。僕たちにとって危害を加えてくる「大人」という存在が傷だらけになっているのを見るのは初めてだった。怖気ついて失禁したまま身動きを取ることができない。


「マキ」


カンテラの光が見えて、それは、変声期によって低くなったスインくんの声だと分かった。それに続いたユキナちゃんも瞬時に状況を理解し、二人して男を担ぎだした。


「助けるつもり?」


とどめを刺そうとしないのが不思議で仕方がない。傷が治ったら、腹いせに僕たちを的にして銃を撃つに違いない。止めどない思考が次の男の一言で遮断された。


「ありがとう」


今まで自分たちの身を守るために何人もの大人を殺してきた割れた瓶、皿は危ないからと男に捨てられた。それは、もう僕たちに身を守るための道具が必要ないことを意味していた。

この空き巣の家主だという男はPTSDというものに悩まされているらしく、夜分遅くにナイフで殺してやろうと意気込んだ僕は、それに悶え苦しめられている男の姿をみて他人事とは思えなくなった。

スインくんは背後に隠れて奇襲を仕掛けたが、男はいなくなった彼を探そうとするし、それを見てスインくんは男の靴を隠して外出できないようにする。


「ここにありました」


仕方なしにマントの裏に隠されていた靴をさも見つけたかのように差し出す、この悪戯の様子を眺めるのが堪らなく愛おしい。

ユキナちゃんは男の看病に疲れて眠るようになったので、夜な夜な徘徊することも無くなった。

小さな大人は大きな子どもと出会い過ごしていくうちに、互いに過去の傷を舐め合う。


「身請けの書類です」


それは僕たちを再び孤児院に送る片道切符だ。男はサインせず、僕たちは準備する荷物すらなくなっていた。

これは、僕たちが「三人の養子」になるまでの話。

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