第13話

「あ、そういえば今日先輩のご友人に会いましたよ」

「友人?え、誰だろう」

「神永さんです。神永小百合さん」


 その名前に一瞬奥村先輩は訝しむように眉を寄せた後、「ああ!」と思い出したように手を叩いた。


「先輩、単位やばいって聞きましたよ。もしかして、授業ちゃんと出てないんですか?」


 隣からじとり、とした視線を投げかければ露骨におろおろと慌てだす姿が目に映る。先ほどとは完全に形成逆転の構図だ。


「いや、その……出たくないわけじゃなくて、出れない理由があってぇ」

「毎晩こんな夜更かしばっかりしてるからですよ、必修の授業は大体一限ですからね。神永先輩、これ以上は代講しないっていってましたから、本当に単位やばいなら卒業できませんよ」

「あう……、善処します……」


 まだ入学して一週間程度の新入生に叱られたのが応えたのか、がっくりと肩を落としうつむく姿に俺は思わず苦笑いを零す。学生たちは卒業すればこの街を離れていってしまう者がほとんどだ。つまり今年三年になった彼女は、予定通りいけばあと2年で卒業してしまうことになる。

 もし彼女が留年すれば、少し変わり者の先輩が隣人である時間が増えることになるが、そこは彼女の前途ある未来と学費を考えしっかり2年で卒業してほしいところだ。


「あ、そうだ。あと……」


 もう一つ言付かっていた、タイトルを出来れば言いたくない漫画の件を伝えなければと口を開いたところで、奥村先輩の言葉が俺の言葉を遮った。


「ねえ、小百合に会ったんだよね。あの子のこと、どう思う?」


 今日一番真剣な表情で顔を覗き込まれ、俺は思わず喉から出かかった「借りていた漫画」の話を飲み込んでしまう。


「どうって、そうですね……変わり者だなって」


 正直、神永先輩に対する第一印象は「変わり者」その一言に尽きる。見た目だけでいえば普通の女子大学生だが、それを上回る変わり者だったのだから仕方がない。

 だがどうやら奥村先輩はその答えが不満だったようだ。違う違う、と首を横に振りもう一度問いただすようにこちらに顔を寄せてきた。


「あの子のこと、女の子としてどう思うって聞いたの!」

「えーっと……それは」


 まさか奥村先輩からそんなことを聞かれるとは思わず、俺は一度口を閉ざし答えに悩んでしまう。女性の外見に対して下手なことを言えば、不興を買ってしまうことになるかもしれない。

 こういう時、高校時代に彼女がいた経験があればうまいことも言えるかもしれないが、残念ながら年齢=彼女いない歴の俺には現状をうまく切り抜ける言葉を思いつけるはずがなかった。

 脳裏に思い浮かぶのは、大学を出た後に路地裏で出会った神永先輩の姿だ。女子大生にしては少しボーイッシュな格好に、色白の肌、ぱちぱちと瞬きをする大きな目。春風に揺れるアッシュブラウンの髪。奥村先輩によく似たその姿を一言で言うならばこうだ。


「可愛かったと、思いますよ」


 口が裂けても本人を前にして「貴方に似ていて」とは言うことができなかった。この答えが正解ないのかわからず、俺はおずおずと奥村先輩へと顔を向ける。

 果たして女性の前で、他人の女性の事を「可愛い」とほめるのは正解だったのだろうか。それとも、今からでも「もちろん、先輩の方が可愛いですよ」と何か一言付け加えた方がいいのだろうか。


「ふふ、そっか。そっかぁ!」


だが、返ってきた返事はまるで自分自身が褒められたとでもいうように喜ぶ声だった。


(……そんなに、二人は仲が良いのか?)


 女性同士の友情というものに、俺は今までの人生で全くかかわることがなかった。だからこそ同性同士というのはもちろん友情もあるが、それ以上にやっかみや嫉妬の方が強いと思っていたのだが。

 二人の容姿がまるで双子のように似ていることを考えると、もしかしたら俺が想像する以上に二人は仲が良く、髪型や恰好などあえて二人で似るようにそろえている可能性も高い。そうだとすれば、神永先輩がなかなか学校に来ない奥村先輩のことを心底心配しているというのも頷ける話だ。


「あ、あれ。もしかして間宮君、小百合に惚れちゃったりした?ダメダメ、駄目だよ!あの子ああ見えて彼氏いるから!小百合はだめだけど、もし彼女募集中なら私にしておけば?今フリーだよ!」

「な……何言ってるんですか!」


 一体俺の言葉をどう解釈したらその考えに行きつくというのだろうか。突然突拍子もないことを提案してきた奥村先輩に、俺は今日一番の大声をあげてしまった。

 夜の街に響く俺の声に応えたのは、奥村先輩の声ではなく俺の左隣の部屋のベランダの窓を叩く鈍い音だった。

 ガン、と明らかに敵意をにじませた音と共に揺れた隣室の窓に、俺は思わず体を強張らせる。音がしたのは俺の隣室、一〇一号室のベランダだったからだ。


「あちゃ……起こしちゃったかな。怒られちゃったね」


 ベランダの窓が開き、直接如月が姿を見せることはなかったが、明らかに先ほど響いた音は「煩い」という苦情の現れなのだろう。思い返してみれば、今は深夜二時過ぎなのだ。苦情の伝え方に悪意がないとはいえないが、明らかにこんな夜更けの時間にベランダで騒いでいた自分達の方が悪い。

 とはいえ、奥村先輩もなかなかの声量で笑い声をあげていたというのに、あえて俺が声を上げた時に窓を叩くというところに差別を感じてしまう。


「怒られちゃったし、今日はもう寝ようか」

「そう、すね……」


 僅かな名残惜しさはあるが、これ以上奥村先輩とどんな顔をして話を続けたらよいのかわからない。夜の闇に紛れて見られていないことを願うが、俺の顔はまるで湯上りのように赤くなっていることだろう。


「あ、さっきの事前向きに考えておいてね!」

「……っ、揶揄わないで下さいよ!」


 俺は逃げるように言い放つと、赤く染まった顔を隠すために足早に部屋の中へと逃げ込んでしまった。だからベランダの窓を閉める瞬間、風の音に紛れるようにして消えてしまった声に気付くことができなかった。


「冗談じゃ、ないのにな」


誰にも気づかれることなく呟かれたその言葉は、春の風に紛れ夜の闇の中へと静かに消えていった。



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