第8話

 高校の時も春先になれば部活の勧誘というものが行われるが、大学のサークル勧誘の規模はただの部活勧誘の規模とは桁違いだ。こちらが初々しい大学一年であることが分かればあっという間に新人を狙う数人の先輩達に囲まれてしまう。

 テニスや登山を活動の中心にした本格的な運動サークルはユニフォームやキャンプ道具を持って体格の良い学生たちを勧誘するのに必死だ。

 一方でアニメキャラクターのコスチュームを着た女性達が何やら漫画が描かれたチラシを配って歩いているのは、おそらく漫研などの文化系サークルなのだろう。

 どちらかというと、お世辞にも体格が良いとは言えない俺は全くと言って良いほど運動系サークルの勧誘には相手にされず、声をかけられ受け取るチラシの大半は文科系サークルのものばかりだ。


 歩いているだけでいつの間にかすっかり束になってしまった勧誘チラシを眺めながら、俺は思わずため息を吐いてしまう。


(……サークル活動ね、俺には関係ないか)


 元々あまり人付き合いが得意な性格ではないことは、自分が一番理解している。高校時代もとりあえず文芸サークルに所属していたが、それはあくまで学校側からの指導で理由なく帰宅部であることが許されなかったからだ。


(そもそも、今のスケジュールだとサークルに入る余裕もないしな)


 先ほど仮組した一週間のスケジュールでは、どれだけ早く授業が終わる日でも五限までは埋まってしまっている。いくら家賃が一万五千円とはいえ、家族からの援助が無いことを考えれば空き時間はアルバイトを詰め込まなければいけないだろう。


(まあ、都合の良い言い訳だよなぁ)


 本当はただ単に人付き合いが得意ではないだけのくせに、と俺は自嘲めいた笑いを零す。

 誰かとそつなく会話をすることはできるが、必要以上に親密になることを無意識に避けようとしてしまう。新生活で新しい自分になろうとしたのに、根を変えるのは自分が思っている以上に難しい事らしい。


(そういえば、奥村先輩とは普通に話せたな)


 元々女性と話すのはあまり得意ではない。そのうえ初対面だというのに、不思議なほど話しやすい人だった。

 今までの学生生活で接してきた女子たちとはどこか雰囲気の違う、変わった性格だったからだろうか。

 そんなことを考えながら祭りのような喧騒の中を黙々と足を進め、俺はキャンバス出口へ続く進行方向を突然塞がれたことに気が付いた。ふと顔を上げれば、一見愛想の良い笑みを浮かべた数人の男女にすっかり周りを囲まれてしまっていた。


「やっほぉ、一年生だよね」

「もうサークル決まった?まだ、まだだよね?」

「うちらのサークル入んなよ、授業出てなくても単位取れる授業とか良い情報いっぱい教えてあげるよ」


 楽しそうでしょ?ときつい香水の匂いのする女性が、頼んでもいないのに半ば無理やり手の中にチラシを握らせてくる。

 スポーツやレジャー、旅行に飲み会と特定の活動に特化したわけでもない活動内容の謳い文句の中心に、仲間同士肩を組んで楽し気に飛び跳ねるありきたりな写真が貼られている。その上に大きくプリントされたサークル名には聞き覚えがあった。

 つい先ほど、教室で別れた二人が昨晩このサークルの開催する歓迎コンパとやらに参加してきたと話していたのだ。


(勉強するために大学入ったんじゃないのかよ)


 他の学生はどうか分からないが、少なくとも俺は真面目に勉強をするために大学に入ったのだ。それを一年目の入学数日から「適当にさぼれる授業」を進めてくるような人間と関わり合いになりたくない。


「結構です、俺忙しいんで」

「おいおい、大学でそんな固くなってどうすんだよ、ほら。ぱーっと遊びに行こうぜ、な?遊び方を知るのも大学の勉強の一つだぞ」


 それが当然のことだ、とでもいうように言い放った男に俺は思わず顔を顰める。


「……いや、俺金もないんで」


 こういったサークルに入れば、暇さえあれば飲み会に連れ出されるのは間違いない。ただでさえ金がなく、既に極貧モヤシ生活がスタートしているというのに、無駄な時間だけでなく無駄金まで使うなんて真っ平御免だった。


「まあ、そう言わずにさあ。少年、俺とお前の仲だろ」


 出会ってまだ一分にも満たないというのに、男は酷く馴れ馴れしい。

 茶色というよりは殆ど金に近い程髪の色を抜いた男に肩を組まれてしまえば、逃げることも難しい。一体興味のかけらも持っていない相手をサークルに引き入れて、彼らに一体何の得があるというのだろう。

 少なくとも最初は客として歓迎されるのかもしれないが、入って一月もしないうちに上級生たちの雑用を押し付けられるのが目に見えていた。


(……くそ、苛々する)


 普段であれば曖昧な愛想笑いと共に、この程度ならやり過ごすことが出来るのだ。だが、慣れない新生活と、何より件の家賃一万五千円の部屋に住んでいるにも関わらず、ここ数日全く何も起こらない生活に少しばかり神経がささくれ立ってしまっていたのだ。

 いや、本来事故物件とされる部屋に住みながら平穏に暮らせることは喜ばしい事なのだろうが、自分にとっては「何も起きない事」が問題だった。毎晩深夜零時を過ぎ、丑三つ時と言われる時間まで起きていても部屋の中でラップ音どころか不穏な物音一つ響かない。

 部屋中の電気を消し、差し込む薄暗い街頭の灯に目を凝らしながら俺は毎晩必死に部屋の暗がりに目を向け続けた。部屋の端に淀む黒い影が、幼い少女の形になりはしないかと僅かな期待を抱きながら。何も知らない誰かが俺のその様子を見れば、間違いなく精神に異常をきたしていると思われても不思議ではなかった。

 だがどれだけ待っても何かが起こる気配一つなく、気付けば毎晩気絶するように布団の上で眠りにつき、翌朝鈍い頭の痛みと共に目覚めるのが日課になってしまっていた。


そう、つまり俺は今寝不足だった。


 睡眠不足というのは、病でもないくせにひどく厄介なものだ。思考は短絡的になるし、攻撃的になる。言わなくて良いことまで口走ってしまう。

 今の俺のように、だ。


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