第2話

 そう決意を新たにし、新天地として大学近くで一人暮らしをするための家を探し始めた矢先、俺はかつて住んでいたこのアパートを見つけてしまった。もちろん意図してこの街にある大学を選んだわけではない。完全に偶然が重なった結果だ。

 正直、母が多少残してくれた財産が多少あるとはいえ、俺は若くして天涯孤独の身だ。奨学金を使って大学に進学したものの、決して金銭的余裕があるとはいえなかった。

 となれば、一人暮らし用の家を探す際に最優先項目として「家賃の安さ」を設定するのは当然のことだろう。


 幸いにも、俺はセキュリティに気を遣わなければいけない女性でもなければ、趣味や内装に気を使いたい性格でもない。貧乏学生の一人暮らしとして、最低限の生活が出来る程度の広さがあれば、住む場所は何処でも構わなかったというのが正直な話だ。

 だからこそ、安さを最優先に家を探す中で見覚えのある外装のアパートがヒットし、その上家賃が破格の一万五千円であることを知った時の俺の驚きはとても言葉に表すことなど出来やしない。

 賃貸物件で例えば誰かが命を絶った場合、その部屋がいわゆる事故物件になるというのは有名なことで、今では子供でも知っている事実だ。

だが、まさかかつて自分が暮らしていたあのアパートが取り壊されることもなく、そのままの姿で事故物件として貸出されているなど夢にも思っていなかったのだ。

 幼いころ家の外に出た記憶は殆ど残っていないが、かつて自分が住んでいた頃のこの町はまだ近隣に大学はない何の変哲もない住宅街だったはずだ。だが、どうやらこの数年の間に随分と様変わりしたようだ。数年前から学生数を増やし続けた大学が、この辺りに点在する空き地を買い取り真新しいキャンバスを新設したのだ。

 そのため、多くの学生たちが一時の住居を構えることになったこのあたりの賃貸物件の家賃は、以前に比べて大きく跳ねあがっていた。特に学生向けのアパートは新旧含めてどこも最低家賃は五万円以上に設定されている。多少築年数がたっており、満足なセキュリティなどついていないぼろ安アパートでも最低価格は四万円を切ることは無い。

そのなかで、1LDKで一万五千円という家賃は明らかに破格の安さだった。

 たとえそれが、幼い少女が一人命を落とした曰くアリの心理的瑕疵物件だとしてもだ。


 そもそも、事件が起きてからすでにかなりの年月が経過している。ただ悲惨な事件が起きた、という理由だけで今もなおこの破格の値段でアパートが貸し出されているはずがない。

 ネット上のありとあらゆる噂が集まるとされる掲示板を検索すれば、余程有名な事故物件なのか、直ぐに某区アパートというスレッドに溢れる程の投稿が、何十スクロール分も投稿され続けてた。投稿されている内容は、どれもいわゆる怪談、オカルトじみた内容ばかりだ。

 匿名での投稿など真偽の疑わしいものばかりだが、その投稿者の中には実際に契約して住んでみた、という信憑性の高いものもいくつか目に付いた。


「この部屋だけは絶対にやめた方が良い」

「一週間住めた奴は勇者」

「金のために命を捨てるな」

「ここはまじでガチのやつだから、遊び半分で住むな」


 俺には到底信じられない話だが、事故物件で起こる不可解な現象を好みあえて事故物件を契約する人間は決して少なくないらしい。話題性に事欠かず、その上破格の値段で家を借りる事が出来るのが魅力なのだという。

 個人的な偏見も多少含むが、怪奇現象が起こる事を前提にそれを楽しむために事故物件に住むことを選ぶ人間は頭のねじの一つや二つ外れてしまっているに違いない。少なくとも、俺より先にこの家に住もうと足を踏み入れたやつらは、皆そういった変人に属する部類の奴らなのだろう。

 そんな変わり者の彼らが意気揚々と入居を決め、三日も立たずに家を飛び出すまでの赤裸々な告白が時折書き込まれ、掲示板を賑わせていたのだ。入居者の告白は全て一貫しており、誰もが申し合わせたように最初に書き込むのは「少女の人影を見た」というものだ。

 最初はおぼろげな黒い霞のような姿をした少女の影が、夜になると必ず部屋の中に現れるのだという。それだけではない。まだ温かい季節にも関わらず、真冬のように気温のさがった部屋の中で「出ていけ」と警告を鳴らすように染みだらけの天井や壁がミシミシと異音を立て始める。

 それだけなら良いが、最初は黒い霞のようだった朧げな少女の影は日を増すごとに色濃くなり、数日後には眠りにつく家主の首を絞めるように、横になった体の上を這いずり上ってくるのだという。

 部屋の中にかつて部屋で命を落としたはずの「誰か」の影や姿を見るというのは、事故物件の階段の中でもある種お決まりの流れだ。だが、ただ「見える」だけではなく半ば実体を持ち、家主の命を脅かせるとなれば話は別だ。面白半分で次々に入居を決めた者達は、これまでの所誰もが一週間以内に転居しているというのだから、彼らが感じた恐怖は並大抵のものではなく、それこそ命の危険を感じるほどのものだったのだろう。


 事実、契約の際に再三にわたり担当者から「本当にこの物件で大丈夫なのか」と念を押されてしまったほどだ。本来であれば、例えその部屋で誰かが亡くなっていたとしても、間に一人でも入居者を挟めば次の契約者に事故物件であることを伝える義務はなくなるはずだ。

 それでも、あえてこちらから尋ねる前に「何かが起きることが前提」で話をしてきた、ということがこの物件がどれ程の代物であるかをありありと物語っていた。

とはいえ、俺の方も事故物件であることや、多少なりとも危険があることは承知の上だ。一体今までどれだけの人間がこの部屋に冷やかし目的で足を運んだのかは分からないが、少なくとも俺には「何かが起こることを目的にこの家に住もうとした」彼らと違い明確な理由で「この部屋に出る霊」に会う目的がある。

 部屋に出るという黒い影の姿をした幼い少女の霊。

 それは間違いなくかつて共に過ごしたあの少女、りんちゃんのはずなのだ。

 まだ霊という存在に半信半疑なところはあるが、それでもこの部屋に出る霊がかつて短い時間を共に過ごした少女であるならば、俺は彼女に会いたい。それが一方的な自己満足とはわかっている。だが、それでも今も何処かで一人隠れている少女を見つけ、出来る事ならばこの部屋から解き放ってあげたい、そう思ってしまったのだ。


 自分が本当の意味で、過去と決別し新しい未来を歩む一歩を踏み出すためにも、だ。

 だが、現実はそう甘くはなかった。


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