第45話 「神様、この度はどうもお世話になりました」

 木戸の隙間から白い光が差し込んでくる。

 服がないものだから起き上がれば肌寒い。戌二が以前訪れた時に置いておいた着流しを出してくれた。袖を通し、今後どうするかを話し合おうと口を開いたその時だった。

 がらん、がらんと鈴の音がして、申助はびくんと木戸の方を見る。戌二も同様に外の気配を伺った。


「神様、この度はどうもお世話になりました」


 治郎兵衛の声である。


「……本当にこんな古い神社に申助と戌二がいるの?」


 トメの声もする。木戸の隙間から外を覗くと、治郎兵衛とトメが並んで立っていた。治郎兵衛は自信満々に頷く。


「ああ。俺がここでお前が戻ってくるようにお願いしたら、神様の声がしたんだ。多分あれが申助様だと思う」


 実際に二柱の姿を見て言葉を交わしたトメと違い、治郎兵衛は申助の転変した姿と声しか知らない。なのに、ここに申助達がいることを疑っていないような口調の治郎兵衛に苦笑が漏れた。

 治郎兵衛は再び小堂に向き直ると両手をあわせる。


「おかげさまで無事に俺はトメと暮らすことが出来ています。まだ少し衝突することはありますが、なんとか意見をすり合わせられていると思っています」


 トメは治郎兵衛の隣で何かを言いたげにしていたが、反論はしなかった。つまりそういう事なのだろう。


 富士楽の火事の後、急ごしらえで長屋を修理し、女性達の治療体制を整えた。申助は治郎兵衛に連絡し、治郎兵衛は嫁が神隠しにあった者たちで希望するものを集め、富士楽に通って治療を手伝った。薬が抜けてくるに従い、女性達は夫を受け入れ、対話を行おうとする者や、なおも拒絶をする者に別れていった。戻らなかった女性達は引き続き富士楽で養蚕を営み、自分たちの力で暮らしていくのだという。


 トメはというと、村に戻り再び治郎兵衛達と生活を続けているらしい。トメは最初は治郎兵衛を嫌がっていたが、治郎兵衛が献身的に看病をしたため、次第に心がほぐれていったようだった。


 けれど以前のようにしとやかな女を演じることはもう辞めたようで、己の身に降りかかる理不尽や差別について毅然と立ち向かうようになったのだとか。それはトメだけではなく、富士楽から戻った女性全般にそういった傾向が見られ、また彼女達が養蚕により資産を手に入れた事で村や家庭においての発言権は増したらしい。


「最初は戸惑いましたが、今の本音を語ってくれるトメの方が一緒に居て楽しいと思うようになってきました」


 治郎兵衛はふにゃりと笑う。トメは後ろで居心地悪そうにそっぽを向いた。彼女の目尻は赤くなっている。


「そこで、今回は神様達にお願いがあって参りました。俺達の村の守り神になってもらえないでしょうか」


 ば、と申助と戌二は二人の方を向く。治郎兵衛が続けた。


「稲荷の神社があったところに、申助様と戌二様をお祀りしたいのです。よければぜひ、俺達の村に来ていただけませんか」


 つまり、ハリボテの稲荷の神社だったところに住んでもいいという提案である。それも、村人という氏子付きで。

 バタン。木戸が開かれ風が舞う。申助が扉を開けたのだ。治郎兵衛もトメも一瞬目を瞑ったが、布団も二柱の姿も彼らの目には映らないようだった。声も届かない。


「……これは、いいって事なんだろうか」


 治郎兵衛がトメに尋ねる。申助は呪符がないので話しかけられずもどかしかった。


「いいんじゃない? ダメなら扉は開かないわよ、きっと」


 トメは小堂の中に入り、転がっていた石ころを手に取る。御神体にしてしまうつもりだろう。そんなもんかなぁ、と治郎兵衛は首を傾げる。


「それで十分だ。ありがとう」


 思わず申助は声をかけていた。移転をする際に必要なのは神社という箱そのもので、御神体は実はそこまで重要ではない。ここに居て欲しいという氏子の願いがあり、神が了承して神々は氏神として定着出来るのだ。

 治郎兵衛はハッとした様子で小堂の中を見る。目があったような気がした。けれどそれ以上話しかけられることはなく踵を返すとトメについていく。

 申助は戌二を見た。彼は口を開けて驚いていた。


「行くか?」


 答えがわかりきっている質問を戌二に尋ねる。

 戌二も申助に視線を移す。彼の瞳が嬉しそうに細められた。

 

 





 こうして、かつて犬猿の仲を体現していた二柱は小さな村に移り住み、その土地の氏神となった。離脱をする際に猿神族と犬神族は反対の意を示したが、申助も戌二も強く抵抗をした。今や彼らは昔のような傀儡ではない。国主や須久那も申助と戌二の味方につき、最終的に申姫や戌太郎が折れる形で彼らは独立を勝ち取った。治郎兵衛に提案されてから、実に三か月後の出来事だった。


 更に時代が下り、獣神達の位は徐々に引き下げられていった。神の地位を奪われ、あるものは眷属に、あるものは妖怪に姿を変えた。戌二と申助はというと、国主の眷属として地位は落としたものの生きながらえる事が出来た。けれど寿命には抗えない。二柱は眷属となって十年ほどで姿を消した。


 消滅する最後の瞬間まで喧嘩はしつつも彼らは仲良く暮らした、と後に国主や須久那が述懐している。

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犬猿異類婚姻譚 箱根ハコ @HacoFukuro

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