第39話「申代姉!」

 須久那から目を離せないから、と国主は屋敷に残り、狐次郎と申助は申代の軍団とともに富士楽へと向かう。深夜の行軍は二刻ほど続き、目的地へと辿り着いた。

 夜はとっぷりと更けている。あと少しで夜明けという時間だった。富士楽の鳥居の外で猿神・犬神連合軍は立ち止まる。


「朝になってしまうと、妖怪達は力を失います。申彦、申吉、あなたがたもです。なので、出来るだけ夜の間に戌二様を探し出し、救出いたしましょう。そして、三人の男を可能であれば生きたまま捕らえてください。いろいろと聞きたいことがありますから」


 申代が猿神族、犬神族の軍に対し指示を飛ばしている。


「私達の姿は人間には獣の姿としてしか見えません。半数は人間達を引き付けるための囮として、残りの半数で捜索と捕縛を行いたいと思います」


 富士楽の女が一丸となって御霊之神達を守ろうとされると分が悪い。人型の姿であれば見えないとはいえ、神堕としの呪符を作れるくらいなので何をしてくるかわからない。であれば、獣の姿で暴れまわって捕獲する為に動員させ、力を分散させようという魂胆だった。


 申助は兄や従兄弟達が転変して見張りの門番の所に行くのを確認してから塀を登り中に入る。

 一番戌二達が捕らえられている可能性の高い場所として朱塗りの小屋へ歩を進めた。狐次郎もついてきている。彼も申助と同じ考えのようだった。


 背後で女性の怒鳴り声とドタバタと追いかけ回す音が聞こえる。陽動作戦が実行されているようだ。大胆なものが茅葺屋根の家に入ったのか、家の中からも叫び声が聞こえてきていた。

 御霊之神達が居た朱塗りの小屋に到着する。扉は閉じており、中から閂がかけられているようだった。


「ぶち壊すか」


 申助は構える。そんな彼の肩に狐次郎の手が触れた。


「こんな所で体力を使うことねぇっスよ」


 小声で告げると、狐次郎は門番の女性に変身する。


「御霊之神様! 至急お伝えしたい事があります! どうか開けていただけませんか!?」


 そうか、と申助は納得する。狐神族の能力の一つである変身能力だ。彼はこうして最初に会った時も戌太郎に化けていた。


 中から閂を外す音がする。外開きの扉は門番が開ける取り決めになっているようで、ニヤリと笑った狐次郎は門を開いた。


 グサ、と音がして狐次郎の肩から血が流れる。突然のことに何があったのかと観察したら、五郎が槍を持って立っていた。


「なっ!?」


 人間が神を攻撃出来るわけがない。触ることも出来ないはずだ。


「なんで……」


 狐次郎が膝を付き呻く。五郎は狐次郎に槍を構えたまま睥睨した。


「匂いが、以前消えていなくなった犬神のものだったからな」


 申助は拳を握りしめる。扉を隔てても匂いを嗅ぎ取れるほど鼻がきくのは人間だと思いにくかった。


「お前……、神か妖怪か?」


 ずるりと狐次郎から槍が抜けてその場に倒れ込む。尋ねてやっと五郎が申助の方を見た。


「前に迷い込んできた女か……」


 顔を覚えていたらしい。夜這いの際には前髪で顔を隠し、国主によって変装させられていたから気が付かなかったのだろう。匂いも、あれだけ女がいる中では紛れてしまっていた。

 五郎は申助に向かって槍を構える。申助もいつでも殴りかかれるように腰を落とした。


「答えろ。神か? 妖怪か?」


「昔は神だった。……今は氏子減少により妖怪になってしまったがな」


 やはり、と申助は思う。御霊之神と兵衛はどちらかわからないが、こいつには何か力があると感じていた。特に、御霊之神を愛していると囁かれた時だ。まともに思考出来ず考え方が全て上書きされていくような気がしていた。あれは薬に加え、五郎自身にも精神錯乱をさせる力があると思えば納得がいく。


「お前も妖怪だろう。何故ここにいる?」


 五郎が尋ねてくる。今、申助は呪符の効果により妖怪にされている。申助は首を横に振った。


「違う。俺は神だ。護符によって女に見えるようにしている。その副作用で妖怪に落とされているんだ」


「ほぅ」


 五郎の瞳が、ぎゅんと見開かれる。相変わらず苦手な目だった。五郎の口角があがり、顔が歪められる。


「お前、もしかして猿神族の男か」


「……何故」


 外見的特徴で言うなら尻尾を隠してしまえば猿神族は人間と相違ない。わかりやすいのだろうかと考えていると、ひっひっひと五郎が笑った。


「やはりな! その護符を作ったのは他でもない俺だ。まさか自分で作った護符に騙されるとはな」


「は!?」


 呪符は母の弟、つまり申助から見て叔父に当たる人物が作ったという話だった。自分の血族か、と目を見開く。


「しかし……、西のほうで猿神族が妖怪になったなんて話は聞いたことがない」


 氏子の減少は確かに聞いていた。五郎は皮肉げに片眉をあげた。


「そりゃあ聞いていないだろうよ。猿神族は女でなければ居ないも同然。婿に行った時点で俺の存在なんてないものにされてしまっているんだよ」


 事実、男神の方から徐々に妖怪となっていっているが、女神が妖怪に堕ちない限り一族には認識もされていないようだった。申助は唇を噛む。同時に、やっとこれまで不思議に思っていた色んな事が線として繋がったような気になった。


「……それで、復讐のためにここで女を集めて村を作り、末社を作ると言って神をおびき出して堕としていったのか?」


 申助は声の高さを落とす。猿神族の男ということで同族意識が芽生えたのだろうか、五郎は軽く答えた。


「まぁ、そんなとこだな。だって不公平だろう? 俺は堕ちた上に見向きもされねぇのに、猿神族の女どもはのうのうと暮らしていやがる」


 申助は目を丸くした。本当にそれだけのためにこの集落を作ったのだろうか。


「じゃあなんで、犬神族まで巻き込んだ」


「合祀されてんだろ。猿神族の仲間は俺の敵だ」


 眉間に皺が寄る。ただのとばっちりで戌二達は妖怪に堕とされそうになったのだ。五郎は口の片側を上げる。


「ココに呼ぶのも最初は女神だけでよかったんだ。そのために兵衛や御霊之神……、本名は別にあるが、まぁいい。奴らを用意した。なのに来るのは男神ばかり。俺の神堕としの呪法はどうしても人間と交わらねぇと力が発動しねぇ。一時的には堕とせても、永久に堕とすには人間と交わらせることで肉体を堕とさなきゃいけねぇ。そこで女が必要になったんだ」


 五郎は槍を構え直す。


「後は石が坂を転げ落ちていくようなもんだった。一人目は婚姻が嫌で逃げてきた女だった。そいつに手引させて他にも女をいくつか呼んでもらった。皆、村での待遇に不満のある女たちだった。俺としたらもうそれでよかったんだよ。後は猿神共を呼んで堕落させられれば。なのに、女共は更に女を集めようとする。村で評判の弾き語りがあっただろ? あれを考えたのもこの富士楽の女だ」


 申助は自分の結婚式での弾き語りを思い出す。そういえば、琵琶を弾いていたのは女性だった。


「あの話は、今の境遇、とりわけ婚姻に不満を持っている女が共感しやすく出来ているからな。そうして尋ねてきた女共を取り込んでいった。気がついたら二十人を超えて富士楽なんて名前もついた。そうしたら食べていくのに困る。そこで女の一人が養蚕に目をつけた。目論見はうまくいって今じゃこの富士楽の主要産業よ」


 ベラベラと五郎が喋り続ける。


「人が集まればそれぞれが勝手な事を言う。最初はお互いの話を聞いて自治を行おうとしていたが、御霊之神の野郎、何を思ったか自分を神だなんて呼称し始め、権力を持とうとした。あいつは一番怪力だからな。殴られると逆らえねぇ。俺はあいつに離脱されちゃ困るから話を聞いてやってたんだ。そうして、たまたま村の裏に生えていた草で兵衛が薬を作って、途中からは俺も手を貸して女を操っていったんだよ。あいつらに耳障りのいい言葉を並べてな。おかげで纏めるのが楽になった」


「耳障りのいい言葉って……、性別や生まれた順番で差別されるのはおかしいとか、そういうやつか?」


 五郎は皮肉げに笑う。この村で唯一評価出来る考えだった。


「そうだよ。一番最初に言い出したのは俺だがな。あとは女達が勝手に発展させていったから乗っかったんだ」


「そうか……」


 戌二の言っていた理想郷は、偶然の産物だったのかと申助は安堵した。何から何までこいつらの思惑通りだとしたら胸糞が悪い。彼らがした洗脳は少ない。御霊之神の事を愛していること。子供は女しか生まれないと思わせること。それ以外は女性の自主性が生み出していったのだ。

 申助は尋ねる。


「でもお前も、望んでいたんだろ? そういう理想郷を。じゃないと考えも及ばない。性別や生まれた順番で差別されるのはおかしいって」


 五郎は顔を顰める。痛い所をつかれたという顔だった。


「だったら何だ」


「なのに、自分が力を持ったら赤ん坊を性別で差別するんだな」


 五郎のこめかみがピクリと動く。何のことかすぐに思い至ったのだろう。


「だったら何だ。別に俺は聖人君子じゃねぇ」


 彼の節くれだった皺だらけの手が申助に向かって伸ばされる。嫌な予感がして五郎から距離を取ろうとした時だった。


「危ない!」


 後ろから押し倒される。狐次郎だった。彼の後ろに矢が刺さっている。矢柄にびっしりと文字が書き込まれており、特別な矢なのだと察せられる。


「おい、狐次郎!?」


 自分をかばったのだとすぐにわかり、申助は狐次郎の下から這い出ると彼の首に手をやり脈を測った。まだ生きている。視線を矢が飛んできた方向に移すと女達が矢を構えていた。五郎が長々と話をしていたのは彼女達を待っていたのかと唇を噛む。これ以上矢が来ないように扉の影に移動させた。

 更に矢が飛んでくる。呪符をつけているから申助の姿は女性達に認識出来るので狙いも付けられる。

 ぐったりとしている狐次郎から手を離す。一刻も早く村の外の救護部隊の所に連れていきたい。

 申助は思いっきり足で床を蹴ると、五郎の後ろに回って彼の体に巻き付いた。じたばたと暴れる五郎を無理に押さえつけ、体を反転させて馬乗りになる。年老いた彼よりは若い申助のほうが力は強い。


「くそっ! 離せ!」


 五郎の腕が出鱈目に動き、首からかけられたお守りを引きちぎる。申助の顔を見て、目を細めた。


「お前……、申江の息子の申助か」


 呪符がなくなった事で本来の男の姿に戻って見えたのだろう。


「申彦もだが、忌々しいほど申江に似ている」


 吐き捨てると同時に五郎は狐次郎に当たりそこなった矢を取り、申助の顔に突き刺そうとした。咄嗟に避けるものの、もう一撃。ぐらついた申助に自由になったもう片方の手で腕をめがけて突き刺してきた。


「痛っ!」


 今度は避けられず、申助の腕から血が吹き出る。咄嗟に申助は腕にめり込んだ矢を抜いて、五郎の肩に突き刺した。


「うわぁっ」


 痛みに悶絶する彼をひっくり返し、手をひねり上げる。


「なぁ、なんで男の赤ちゃんを殺したんだ?」


 痛みに悶絶する五郎に尋ねる。五郎はひゅうひゅうとか細い吐息を漏らしていたが、申助がさらに手をひねり上げると口を開いた。


「この村にいる男は自分だけでいいと御霊之神が産婆に始末させていた……」


 やはりか。申助は唇を噛む。


「お前、止めなかったのか?」


「……俺にとっては人間のガキなんざどうでもよかったからな。変に御霊之神を怒らせるくらいなら無視を決め込んだ方が楽だった」


 申助は目を細める。怒りで頭が沸騰しそうだった。


「お前こそそれを止めなきゃいけねぇだろ!? 自分が性別で差別されて嫌だったんだろ!? それで性別や生まれで差別するのはおかしいって教義を作ったんだろ!? きちんと貫けよ!」


 は、と五郎が嘲るように息を吐く。


「青い事言ってんじゃねぇ、ガキが……。世の中には見てみぬふりしたほうが楽な事なんて山ほどある。お前だって猿神族の女にいいように使われてんだろ。でも、反旗を翻そうなんてしてこなかったんじゃないか? ここにいるのが良い証拠じゃねぇか。今頃女どもは指示を出して自分は村にも入らず安全な所にいるんだろ? お前は血を流しながら戦ってるっていうのに」


 申助はぐ、と奥歯を噛みしめる。申代が今何をしているかは知らないが、猿神族では女性が後方で指示を出すのが慣例である。


「あいつら女はいつだってそうだ。体の作りが違うからって、男を下に見て命令を出しやがる。申江なんてまさにそうだ」


 母の名前が出てきて申助は目を細める。


「いつだって俺を便利に使ってきた。ああ、お前もそうか。今思えば、姉のかわりに嫁がされそうになったっての、あの女ならやりかねねぇよ。そうして、申代を残したかったんだろ? 申代なら子供が産めるから」


「黙れ……っ」


 申助は体重をかけて五郎の腕をひねり上げる。ひゅ、と再び矢が飛んできた。今までは五郎に当たるかもしれないからと彼女たちは様子を見守っていたが、五郎がいつまで経っても起き上がらないものだから、申助の姿が見えていないなりに当て推量で打ったのだろう。矢は申助の耳をかすめ背後の壁に突き刺さった。五郎が目で指示を出しているのか、扉の外を見ると、弓矢を構えた女達が更に近寄っていた。このままでは至近距離で矢を放たれる。

 ざ、ざ、と足音が近づいてきた。扉まであと数歩となる。この距離で矢を放たれたら死んでしまうだろう。申助が怯むのを察した五郎の体幹に力がこもるのとほぼ同時だった。


「きゃっ!」


 弓を構えている女達が数匹の猿に掴みかかられていた。


「申助! 何をしているの! 早く捕まえなさい!」


 猿の一匹が申助に向かってキキっと吠える。


「申代姉!」


 申助は女達を引っ掻いたり噛み付いたりしている姉を目を丸くして見つめる。他の猿達も、申彦や申吉のようだった。

 女神の声がしたことで、五郎も驚いたのだろう。再び彼の体から力が抜けた。


「これ、使ってください!」


 狐次郎は自身の腰紐を申助に向かって投げる。受け取ると、五郎の両手を後ろ手に縛った。ほぼ同時に鬼火達が援軍を連れてくる。弓を構えていた女達も犬神族の兵隊によって取り押さえられていた。

 こうして、まずは五郎を捕らえたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る