左の空席

黒本聖南

◆◆◆

 十二月一日は映画の日、とはいつ決まったのだろう。調べれば簡単に分かるだろうが、そこまでして知りたいわけではないから、いつも通りにチケットを二席分買って、劇場に向かう。とっくに開場し、上映開始まで五分を切った。

 たとえ何度も観た映画だろうと、見逃したくはない。

 目的の場所は地下二階、エレベーターなんて待てるわけもなく、階段を駆け降りる。すれ違う奴らの足取りはゆったりとしていて、耳を澄まさなくても映画の感想が聴こえてくる。俺の観る映画じゃない。今日から公開された映画の感想、観るつもりは微塵もない。


『公開日が待ち遠しいよ』


 辿り着けば場内は既に暗く、いつか公開される映画の予告が流れている。ラスト十分、貴方は必ず涙する? 涙なんてとうに枯れた。枯れてんだよとっくにな。

 客入りは疎らで、空席が目立つ。公開されて間もなく二ヶ月、数日後には終演だ。上映回数だってこの一回だけ。来てくれるだけでありがたい。……関係者でもないくせに。

 これから観る映画は公開初日、最寄りの映画館にて最初の上映回に観た。朝の七時過ぎだったものだから早起きする自信がなくて、眠らずに映画館へと向かった。ブラック無糖の珈琲を二杯買っておいたが、始まってしまえば眠気なんて吹き飛び、終わってすぐに次の上映回のチケットを買っていた。帰ってから死体のように眠ったもんだ。

 それから休みのたびに、ずっと来てる。

 劇場スタッフが俺の顔を見てひそひそと話すようになったのはいつの頃からか。二回目以降はポップコーンも珈琲も何も買わずに、ずっと二席分のチケットを買い続けている。


『一緒に観に行かない?』

『……行かねえ』

『とか言って、僕がチケットを買えば、どうせ一緒に行ってくれるくせに』

『なら訊くな』

『ほらね』


 間もなく、本編が始まる。

 両隣には誰もいない。左の席は俺が買った。二席分買う時は必ず左の席を空ける。

 ──左はあいつの特等席だから。


◆◆◆


 河原木かわらぎとは中坊の頃からの付き合いだった。


「君の久間倉くまくらって苗字さ、何で動物の熊じゃないの? そっちの方が可愛くない?」

「知らねえよ、俺の先祖に言え」

「僕、タイムマシン持ってないから無理だよ」

「誰も持ってないもんな」

「早く実用化すればいいのにね」


 名前順の席の後ろと前。親しくなったきっかけはありきたり。性格も趣味も合わなかったが、何となく馬が合って、席が離れてもよくつるんだ。

 あいつは暇さえあればノートに駄文ばかり書いていて、酷い時には俺と話しながら文字を書き連ねていたが、覗き込めばそれなりに面白く、怒りも大して湧かなかった。


「久間倉くんって優しいよね」

「普通だろ」

「優しいよ、とってもね」


 別々の高校に行っても、俺が就職してあいつが進学しても、付き合いは途切れず、たまに会えば、短編の賞で評価してもらっただの、長編の賞に応募したら一次で落ちただの、歩きながら聞かせてくれた。

 あいつはいつも左側を歩いた。

 特に取り決めがあったわけじゃない、気付いた時にはそんな並び順になっていた。座る時もそんな感じ。

 学生の頃は金がないから、互いの家なり公園なりで駄弁っていたが、働くようになれば共に遠出するようになり、特に、映画館に行くようになった。

 趣味は合わないままだ。それでも、互いに観ないであろうジャンルに手を出すきっかけになり、意外と面白いものを観られた時は、感想に熱が入ったもんだ。


「また観ようよ」

「一回で十分だ」

「面白い映画は何度観たっていいのに」


 ほらほら、なんて映画館に引き摺られて、あっという間にチケットを二枚買われる。そんな手を何度も使われ、そのたびに同じ映画を楽しんできた。確かにあいつの言った通りだった。

 それでも、自分から二回目以降のチケットを買うことはなかったんだけどな。

 気付いた時には、あいつとつるんで十年が過ぎ、いつの間にかあいつは作家になっていた。特に賞を取ったわけではなく、拾い上げ、とか言うやつらしい。俺にはよく分からないが、とにかくめでたいことなんだろうと、祝いにあいつの好きな酒を贈った。

 二冊目を出すまでには時間が掛かっていたようだが、出てからは三冊目、四冊目と続けて発売され、そのたびに本を渡された。


「俺、活字は苦手だって言ってるだろ?」

「読まなくてもいいよ、持っていてほしいだけ」


 無邪気に笑みを浮かべながら言うもんだから、変な奴って俺も笑った。

 会社員として日々に追われる俺と、作家として文字に追われるあいつとで、親交は途切れることなく、年に数回は会い、どちらかの観たい映画を共に観に行く。

 ──あいつの一冊目の本が映画になると決まったのは、俺らが三十歳になる年だった。


「撮影も既に始まっていてね、映画ってこういう風に作るんだなって、毎度わくわくが止まんない!」

「良かったな」

「公開日が待ち遠しいよ。ねえ、一緒に観に行かない?」

「……行かねえ」


 作者が横にいる状況で観るのは、多分、柄にもなく緊張するはず。あいつの初めての映画化作品なんだ、最初の一回目くらいは静かにじっくり観てやりたい。


「とか言って、僕がチケットを買えば、どうせ一緒に行ってくれるくせに」

「なら訊くな」

「ほらね」


 勝ち誇った顔が妙に腹が立って、軽く肩を小突いたな。


「楽しみだね!」

「……ああ」


 そうして、一年。

 公開まで二ヶ月を切ったその日──あいつは死んだ。


◆◆◆


 大画面には、背中合わせに縛られた若い男二人が映っている。

 場所は、とあるマンションの一室。寝袋とパソコンが置かれただけのその場所は──犯人の部屋。二人は警察でも探偵でもないくせに、真相に近付き過ぎた。だから縛られたのだ。


『どうするつもりだ?』

『どうしようか』

『……お前、やけに落ち着いてないか?』

『君と一緒だからね』


 物語は終盤に入っていた。

 ここからどうにか脱出し、犯人の元へ行くことになる。その時犯人は、最後の被害者を手に掛けている最中で、二人はギリギリ間に合い、そして──。


『お互い得意分野が違うだろう? この縄をどうにかしてくれたなら、犯人の居場所を推理するよ』

『楽な方を選びやがって』

『全然楽じゃないから! 責任重大なんだから!』

『はいはい。……ふんっ!』


 片方が力んだ瞬間、縄は千切れ飛び、もう片方は一瞬瞼を閉じて、開けたと思えば走り出す。

 場所は小学校の体育館。


『場所は小学校の体育館!』


 何度も何度も観てきたんだ。台詞なんてとっくに覚えた。こんなことは今までなかったのにな。あいつが知れば腹を抱えて笑うんだろうが、もうどこにもいない。

 酔っ払いの運転する車に引かれ、死んだそうだ。

 病院に着く頃にはもう息を引き取っていたのだと、あいつの姉から電話で知らされた。これからだったのにと泣き崩れるあいつの姉に、掛ける言葉なんて思い付かなかった。

 あいつの死は瞬く間に知れ渡り、映画や本の宣伝によく使われた。悲劇、無念、あとは何だったか。どうでもいいから記憶に残らない。


『走るよ相棒!』

『途中でバテるなよ!』


 楽しみにしていたのに、あいつはあいつの映画を観られなかった。

 一緒に観ようと、約束していたのに。

 活字の苦手な俺は、あいつの作品なんて一冊も、一文字たりとも目にしたことはなくて、どんな話かもまるで知らなかった。

 観て、驚いた。

 ……お前、これ……俺らじゃん。

 勝手にモデルにしてんじゃねえよと、怒りたくてもあいつはもういない。

 一回目はじっくり観るつもりだったが、前の方の席だったせいか徐々によく観えなくなって、二回目も最後方の席だったせいか、途中からぼやけて観えなくなって、まともに観られるようになったのは、何回目からだったか。


 なあ、河原木。


 あれからな、お前の小説に目を通してるんだ、まだ最後まで読めてないが。

 活字、苦手なせいか、毎日ちょっとしか読めないんだ。

 あんなに映画が面白いんだから、お前の書いた小説はもっと面白いんだろうな。読むの遅くてごめん、きっと最後まで読むから。

 ……感想、どうやってお前に伝えような。


 教えてくれよ、河原木。


 いつも通りに犯人は捕まり、エピローグ。

 彼らの日常はこれからも続く。

 お前の日常は続かないのに。

 劇場内は速やかに明るくなり、整列退場の声もないから、足早に出ていく。

 今日の上映はこれで終わった。

 また次の休みにここに来る。上映が終わるその日まで、お前の映画を観続ける。


 もちろんチケットは二席分、左側は空けとくから。

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