第26話 一時避難



「では、本日の交流ライブの成功を祝しまして、乾杯!」


 DUALの主務がビールジョッキを手に持って、高らかに告げる。それを合図にあちこちで気の抜けた声と、グラスを突き合わせる音が発生した。


 碧も筧や隣に座ったDUALの見知らぬ男子学生と、ウーロン茶が入ったグラスを突き合わせる。


 テーブルの上にはシーザーサラダと、山盛りのフライドポテト。


 交流ライブの打ち上げは、高田馬場駅近くの居酒屋で行われていた。三大学合わせて五〇人以上いるから、二階を丸々貸し切っている。


 話し声がいたるところで生まれていて、ここまで大規模な飲み会を経験したことがない碧は、少し肩身が狭くなった。


「上野さんだったっけ? お笑いは大学に入ってから始めたの?」


 隣の男子学生は髪を根元まで金髪に染めていて、碧には少し不得手なタイプだった。それでも何とか話を合わせる。交流ライブの「交流」には、打ち上げまで含まれているのだ。


 男子学生は時折ボケてきたけれど、ステージの上と違ってあまり面白くない。


 でも、碧は努めて微笑んでみせる。男子学生は三回生だと言っていた。もしかしたら来年もまた一緒に交流ライブをするかもしれない。ここで関係を気まずくしてしてはいけないという、意識が碧には働いていた。


 後ろでは会話に参加しながらも、筧が目を光らせているのが分かる。想像したくないけれど、いざという時には間に入ってくれると思うと、碧は少しだけ安心できていた。


 打ち上げ開始から一時間ほどが経った頃、碧はトイレと言って席を立った。それは本当に一階にあるトイレに行きたかったからもあるが、止むことのない話し声が少しうるさく感じられたからでもあった。


 トイレを済ませ、碧はそのまま店員に断って、いったん店の外に出る。


 金髪の男子学生はもう別の席に移動していたが、それでもALOの五人での打ち上げに慣れている碧に、五〇人を超す大規模な打ち上げは、肌に合わなかった。


 ドアを開けると車が行きかう音が、すぐに耳に飛びこんでくる。でも、二階のうるささに比べればまだマシだ。


 向かいのインド料理店のネオンが眩しい中、碧は入り口の横でイヤフォンをつけている平川を見つけた。スマートフォンを耳に当てていて、誰かと電話をしているようだ。


 平川も外に出てきた碧にはすぐ気づいていたけれど、ひとまずは電話を優先していた。


 盗み聞きするのは悪い気がして、一歩二歩距離を取る。碧もスマートフォンを取り出して、気にしていませんよと言うようにSNSを見始めた。


「上野、どうしたの? 外に出てきて。もしかして上野も一時避難?」


 イヤフォンを外して聞いてきた平川の言い方がおかしくて、碧は口元を緩めてしまう。


 平川の方から距離を詰めてきて、居酒屋んい漂う酒の匂いとは違う柑橘類の香りに、碧の胸は小さく跳ねた。


「何それ、一時避難って。平川はこういう打ち上げ、っていうか飲み会苦手なの?」


「まあ得意ではないね。だってサークルの中じゃ、私は一回生で一番年下じゃん。だからお酌したり、料理を取り分けたりとか、気遣わなくちゃいけなくて。そういうの正直、面倒くさいよね」


 平川は幼い子供みたいに笑った。碧も「そうだね」と、微笑みながら返す。


 ALOの打ち上げでも、最初のころは自分が気を回して動かなければと必死だった。筧や戸田に「そんな気回さなくていいよ」と言われ楽になったが、DUALは人数も多い分、上下関係はALOよりも厳しいのだろう。


 平川と新倉は一二を争うくらいウケていたのに、上級生はプライドが高いなと碧は感じた。


「ところでさ、平川。今誰に電話してたの?」


 失礼だと分かっていたが、碧は聞かずにはいられなかった。平川の口から、「ハルト」という名前が聞こえてしまったからだ。


「ああ、弟だよ。今、高三で受験生なのに来ちゃってさ。そんな暇あったら勉強しろっていうの」


 平川の言い方は自然だった。本当のところは知る由もないが、これ以上詮索するのもよくないだろう。


 碧は本当に弟なのだと、自分を納得させた。


「私さ、上野になんて言えばいいかな」


「どういうこと?」


「いや、私がさ『面白かったよ』とか『腕を上げたね』とか言っても、なんか上から目線みたいじゃん。『私はもっとウケてたけどね』って、驕ってるみたいじゃない?」


「平川さ、それを口に出す方がよっぽど驕ってるよ。いいよ、そんなこみいったこと考えなくても。素直な印象や感想を口にしてくれれば」


「そう? じゃあ、正直に言うね。今日のスケアクロウ、面白かったよ。ネタもよく練られてたし、上野も筧さんも思った以上に舞台慣れしてた。いまやり直せば、大学生会の一回戦なら通ってたんじゃないかな。私はもっとウケてもいいと思ったよ」


「本当に?」


「本当だって。大学は違えどタメなんだからさ、ここで気遣ってもしょうがないでしょ」


 平川の言葉や態度に、裏表は見られなかった。碧も素直に喜ばしいが、その反面割り切れない気持ちも抱いてしまう。


 平川たちが碧たちよりウケていたのは、誰の目にも明らかだった。今さらそこをごまかす気にもなれない。


 碧は「ありがと」とだけ答えて、曖昧に微笑んだ。それがぎこちない笑いであることは、自分でも気づいていた。


「うん、上野はもっと自分に自信を持ってもいいと思うけどな。今のままでも全然悪くないし、もっと稽古を重ねていけば、KACHIDOKIでもいい戦いができると思うよ」


 平川からしてみれば、前向きな励ましの言葉なのだろう。でも、碧には少し残酷な響きを持って聞こえた。


 いい戦い。善戦。それじゃあ全然足りない。


 目に見える結果こそが、今の碧には一番必要なものだった。


「それっていい戦いはできるけど、それ止まりってこと? KACHIDOKIで優勝するまでには、至らないってこと?」


「いや、別にそういうことは言ってないじゃん。なんでそんな飛躍させんの? 上野はそんなにKACHIDOKIで優勝したいの?」


 平川に言われて、すぐ首を縦に振ることは碧にはできなかった。


 もちろん優勝はしたいが、今日でさえ平川たちの半分もウケなかった自分がそんなこと言うなんて、身の程知らずにもほどがある。


 結局、碧は筧のように強い決心を持てないのだ。全てはKACHIDOKIで優勝するためにやっているはずなのに。


「ねぇ、上野さ、そんな焦る必要はないと思うよ。新倉さんも言ってたけど、上野たちがKACHIDOKIに出場できるのは、何も今年だけじゃないんだから。来年だって再来年だってある。それにたった一年しかお笑いをやってない自分が、並みいる先輩たちを抑えて優勝するなんて、それこそちょっと非現実的だと思わない? よっぽどの天才なら話は別だけど、上野たちはそうじゃないでしょ?」


 それは自分にも言えることではと碧は思ったが、自分たちは例外だという自信があるのだろう。平川の顔は飄々としていた。


 もちろんお笑いをやっている時間の長さを競うわけではないから一概には言えないけれど、それでも碧には痛いところを突かれたという感触があった。


 自分たちは夢を現実にするだけの努力ができているだろうか。KACHIDOKIに出場する他の学生芸人が、自分たち以上にお笑いに時間をかけているとしたら?


 碧は心の中でかぶりを振る。いくつも生まれてくる不安要素に屈したくはなかった。


「でも、別に優勝を目指すのは自由でしょ。一年目とか関係ない。一番を獲るつもりで臨まないと、優勝っていう結果は得られないよ」


「上野、昼の筧さんとまったく同じこと言ってるって、気づいてる? どうしてそんなに今年にこだわるの? まるで今年を逃したら、もう後がないって言ってるみたい」


 思いがけず図星を指されて、碧は口をつぐんでしまう。居酒屋から聞こえる話し声が、深く刺さってくるようだ。


 黙ってしまった碧を見て、平川が「えっ、マジで?」という反応を示す。碧には申し開きをする余裕もない。


「えっ、もしかして上野にとっては、今年のKACHIDOKIが最後なの?」


 さばさばしていた平川の顔に、かすかに戸惑いが滲みだす。


 碧は否定したかったが、平川に筧のことを打ち明けてもいいのか迷った。ALOだけの秘密にしておきたいという思いと、平川なら何か答えにつながることを言ってくれるかもしれないという期待がぶつかる。


 少し悩んだ末に碧が出した結論は、平川の口の堅さを信じることだった。


「ねぇ、平川。これは他の誰にも言わないでほしいんだけどさ」


 碧の前置きに、これから重要な話をすることは平川にも伝わったらしい。一つ頷いた表情は、浮かれた打ち上げの空気から離れた、真剣なものだった。


「筧がさ、来年の三月で藍大をやめるかもしれないんだよね」



(続く)

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