第14話 コミックソニック



「ね、ねぇ、筧ってさ、大学生会やKACHIDOKI以外にも、外の舞台って出たことあるの?」


 いつも同じ壁の方を向いているから、向き合っている状態が、碧にはどことなく気恥ずかしかった。とっさに話を逸らしてしまう。


 初めてのN-1出場に、ここまで来てもなお不安を感じていた。


「うん、あるよ。五十鈴大学のDUALとか西方大学のMOSESとか、他のお笑いサークルとの交流ライブにも、去年は呼ばせてもらったしね。あと去年のN-1にも私は出たよ。まあどっちもあまりウケたとは言い難いんだけど」


「えっ、筧って去年もN-1出てたの?」


「去年の大学生会も私は一回戦で敗退しちゃったしね。大体今年と同じような流れだよ」


 そう言いながらも、筧はアイスを食べる手を止めない。去年のことはなんとも思っていないかのように。


「その、去年のN-1の結果はどうだったの?」


「一回戦敗退。もう笑っちゃうぐらいウケなくてさ。そう考えると、決勝とかに進んでる人たちって凄いよね。本当、バケモンだよ」


「そっか。じゃあ、明日はリベンジしなきゃだ」


「うん。去年から成長してるってとこ、審査員の人たちに見せよう。私と碧、二人で」


 力強い筧の言葉には、自分の中の不安を押しこめようという意図もあったのだろう。碧もわざわざ「うん」と、声に出して頷いた。


 自分たちは面白い。シンプルな思いこみを、碧は何度も心の中で唱えた。


「ところでさ、筧、去年のN-1はなんて名前で出たの?」


 それは会話を途切れさせないために、碧がなんとなく口にした疑問だった。


 でも、その言葉を聞いた瞬間に、筧の動きがほんの一瞬だけ止まったのを、碧は見てしまう。アイスを口に運ぶ手もどこかわざとらしい。


「コミックソニック。私がお笑いと漫画が好きで、そのときの相方が音楽が好きだったから、そういう名前になった」


 わずかに表情を翳らせた筧に、碧は気づく。これは広げてはいけない話題だ。


 いつだったか、カラオケボックスでネタ合わせをした時も、筧は前の相方についてあまり話したがらなかった。


 なんてことを聞いてしまったんだろう。


 だけれど、碧はすぐに他の話題を思いつかなかった。頭では、前の相方のことが気になって仕方なかった。


「いいよ、そんなに黙らなくて。別に大喧嘩したとかじゃないし。その人は今も普通に大学に通ってるしね。碧が心配することじゃないよ」


「でも、もう会ったりとかはしてないんでしょ……?」


「まあ、学部が違うからね。去年のKACHIDOKIが終わって向こうがやめてからは、一回も会えてないかな」


 さも当たり前のように言う筧が、詮索を拒んでいるように碧には思えた。あっさりとした物言いに、心理的な距離を取られたようだ。


 二人の別れ方は、筧には積極的に振り返りたい類のものではないらしい。


 碧は筧から目を逸らせなかった。アイスを食べる手はいつの間にか止まってしまっていた。


「いいよ、そんなに心配そうに見てこなくても。もう過ぎたことだから。それよりも今は、私は碧との漫才に集中したいかな。ほら、アイス食べたら、ネタ合わせ再開するよ」


 筧はアイスを食べ進める。感覚を使い続けることで気を紛らわすみたいに。


 碧も少し溶け始めたアイスを掬う。美味しさではごまかしきれない、緊張の味がした。





 翌日。N-1グランプリ一回戦の本番の日。碧は朝の七時に目が覚めてしまった。緊張が碧を布団から起き上がらせたのだ。


 とりあえず筧に簡単なラインを送ってみる。返事どころか既読もつかなかったから、まだ眠っているのだろう。


 碧は知らない人に見られても平気な服に着替えて外に出た。近くのコンビニエンスストアで、適当にパンでも買って食べようと思った。


 一人でボケの最終確認をしたり、SNSを見たりして、碧は集合までの時間を潰す。とはいえ、何をしていてもいまいち身は入らない。


 一回戦は昼から夜まで、今日だけでも一五〇組以上が出場する。筧によると、二回戦に進めるのは六組に一組といったところらしい。


 大学生会よりも倍率は低いとはいえ、それでも落とされる人の方が多いことに、碧は冷静にはなれなかった。胸の奥を直接手で触れられているかのようだ。


 今日ネタを披露する三〇〇人以上の出場者も、同じ風に感じているのだろう。


 ソワソワしながら何度もスマートフォンを見る。でも、時間は思ったようには進んでいなかった。


 一二時を過ぎると、碧はいよいよいてもたってもいられなくなる。もう会場では最初のブロックが始まっているのだ。


 どんなネタなのか。ウケてはいるのか。


 考えれば考えるほどじっとしていることはできなくて、碧は部屋を飛び出して駅に向かう。


 駅への道を歩いていても、電車に揺られていても、碧は速まる鼓動を抑えることができなかった。周りにいる人すべてが冷静で、心が激しくうねっているのが自分だけなように見えた。


 N-1一回戦の東京会場であるスザックスカルチャーホールは、渋谷にあった。


 渋谷には以前、碧は好きなミュージシャンのライブを見に来ていたが、たかが一回では雑多な雰囲気には慣れない。


 ハチ公口を出ると、平日の昼間にもかかわらず、駅前広場は碧の地元では考えられないほど混雑していて、テレビでしか見たことがなかったスクランブル交差点は、性別も年齢も人種も違う大勢の人が、他人に興味なさげに行き交っていた。


 人のるつぼと言ってもいい光景に面食らいながらも、碧は途方に暮れる。筧との待ち合わせ時間までは、あと二時間以上もある。


 時間を潰せる場所はいくらでもあったが、碧は自分が何をすればいいのか分からない。


 スクランブル交差点を渡って、センター街に入ってみる。でも、いくつものテナントが入ったビル群に、歓迎されていないと感じてしまった。


 渋谷の街を、うろつくという表現が正しいほど歩き回り、なんとか知っていたコーヒーチェーンに入って時間を潰すこと二時間あまり。ようやく碧は、スザックスカルチャーホールの入り口に辿り着いた。


 スマートフォンの時計を頻繁に見ながら、筧を待つ。


 もちろん落ち着くことなんて、碧にはできない。今まさに一回戦が行われている。ライバルたちが次々とネタを披露しては、点数をつけられ、舞台袖に下がっていく。


 そう思うと、心拍数は上昇の一途を辿った。


 待っている途中、入り口から何人かの人が出てくるのを碧は見ていた。おそらくは一足先にネタを終えた出場者たちだ。


 彼ら彼女らがどんな顔をしているのか知るのが怖くて、碧は目を背けてしまう。やってやろうと意気ごんで来たはずなのに、弱気が顔を出してしまっていた。


 筧がやってきたのは、待ち合わせ時間の一〇分前だった。


 Tシャツにジーンズという飾らない格好は、緊張なんてしていないように思える。でも、早めに来たということは、筧も緊張しているのだろう。


 軽い挨拶を交わす二人。でも、まだ中には入れない。一回戦は人数も多い分、受付は楽屋入り直前まで待たなければならなかった。


 Iブロック後半の二人の受付時間は一五時二〇分。今は、ようやく一五時を過ぎたところだ。


「私たち、一回戦突破できるよね?」


 二人とも言葉数は少なかった。スマートフォンを見ているのも限界で、ふと碧は声を漏らしてしまう。


 道行く人々は、誰も自分たちに関心を持っていないように見える。この建物の上階で、N-1の一回戦が行われているなんて、誰一人として知らないみたいに。


「大丈夫だって。この日のために何度も練習してきたじゃん。碧は自分のこと信じてないの?」


「そりゃそうだけど、でも倍率は六倍~七倍って、決して低くはないでしょ」


「まあ、現実を言ったらね。でも碧、考えてみて。今日の出場者は、多くが私たちと同じアマチュアなんだよ。アマチュアってことは、人前で正式に漫才を披露するのが、今日が初めてって人もいるわけ。その点、私たちには既に二回舞台に立った経験があるでしょ。そう考えると、少しは気持ちが楽にならない?」


 ならない。そう碧は直感したが、正直に筧に言えるはずもないから、ただ「そうだね」と頷くほかなかった。


 確かに自分たちは舞台からの景色を知っているけれど、同時に舞台に立つ怖さも知ってしまっている。そもそも他の出場者に自分たちよりも面白いネタをする人たちが多くいたら、有無を言わさずおしまいだ。


 舞台に立った経験は、何の励ましにもならないと碧は感じてしまう。デビューライブのときだって、こんなに緊張しなかった。


 舞台への怖れは、出番を重ねるにつれて増していた。


「まあ、そう言う私も、ちょっとソワソワしてるわけなんだけど。どうする? もう中入っちゃおっか?」


 急かすように聞いてくる筧。でも、スマートフォンの時計は二人が落ち合ってから、一〇分も過ぎていないことを伝えてくる。


 「さすがにまだ早いんじゃないかな……」と碧が言うと、いったん二人の会話は途切れた。


 いたたまれなくて、ただ通り過ぎる人と車を呆然と碧は眺める。そんなことをしても、時間は一秒ずつしか進まないというのに。



(続く)

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