第6話 担当交代



 画面の中がくるくると回っている。でも、すぐに結果は表示される。五角形のグラフと共に表示された得点は87.6点。自分ではなかなか出せない数字に、碧は思わず手を叩く。


「いつもならもうちょっといくんだけどなー」という筧の声がマイクを通して、部屋中に響く。


「で、どう思ったの、碧は。昨日のネタ見せ」


 メロンソーダを一口飲んでから、聞いてくる筧に碧は小さくうなだれた。一晩経っても、受けたショックはまだ消えていなかった。


「正直、ちょっと厳しいなって思った。いや、面白くしようとしてくれるのは分かるんだけど、あそこまで言う必要ある? って」


 気を抜くと敬語になりそうな口を、碧はすんでのところで制御した。筧が小さく息を吐く。


「まあ、初めてであれだけ言われればショックだよね。でもさ、三人とも悪気があったわけじゃないから。私たちのことを真剣に考えてのことだから」


「いや、それはそうなんだけど……」


「何? やっぱ凹んでる?」


 碧はすぐに答えられなかった。テレビから流れてくるBGMが二人の合間に入りこむ。


「ALO続けていけそう? ネタ見せ、毎回こんな感じなんだけど」


 心配そうに尋ねてくる筧に、碧は小さく頷くほかなかった。


 筧が自分のためにかけてくれた時間を思うと、無理だなんて言えるはずがないし、真剣に見てくれた三人にも申し訳が立たない。それに良くなった自分たちの漫才がどんなものなのか知りたい気持ちも碧にはあった。


 筧が「よかったぁ」と、安堵の息を吐く。


「じゃあ、今日もネタ合わせを始めたいとこなんだけど……」


「どうかしたの?」


「どうする? 一回、ボケとツッコミ変えてみよっか?」


 断言しなかったということは、筧も迷っているのだろう。


 碧も同じように迷う。今の方向で突き詰めるべきなのか、それとも新しい試みをしてみるべきなのか。


 少し考えて碧が出した結論は、自分の心に嘘をつかないということだった。


「うん、私ボケやってみたい。前から筧がボケてるの見て、興味があったから」


 碧が本音を言ってもなお、筧はややためらったような表情を見せていた。提案してきたのはそっちだというのに。


 碧がそう思っていると、筧は「うん」と一つ頷いた。自分に言い聞かせているかのような言い方だった。


「そっか。じゃあ、一回変えてやってみよっか」


二人はスマートフォンを手にし、台本を開く。


役割が入れ替わったことにより、漫才を切り出すのは碧の担当になった。オレンジジュースを飲んだばかりなのに、喉が渇く。


 一呼吸おいてから「どうもー! スケアクロウでーす!」と、テレビに向かって声を出した。細かいボケのニュアンスまでは逐一確認する必要があったが、ネタの大まかな流れは既に染みついている。


 西巻が言ったように伸び伸びと、というわけにはいかなかったが、ボケのセリフは不思議と碧に馴染んだ。ボケていると笑いを取るイメージが生まれてきて、清々しい気持ちにさえなる。こんな感覚を筧は日頃から抱いていたのだと、少し羨ましくもなった。


 その筧もまだぎこちないながらも、丁寧にツッコんでいる。役割を変えただけで、漫才の雰囲気は一変した。どこか垢抜けたようだにさえ、碧には思える。


「もういいよ」


「どうもありがとうございました」。最後は声を揃えて、二人はネタを一通り終えた。


 思わず顔を見合わせる。初めてにしては上手くいったと碧は思ったが、筧は真顔だった。


「……わりとよかったんじゃない?」


 確かめるように筧が聞いてくる。空気も心なしか軽やかになったように碧は感じていたが、それは勘違いではなかったらしい。


「うん、なんかボケるのって楽しいなって思った。いや、ツッコミも楽しかったんだけど、また違った楽しさがあるなって」


「私もまだ慣れないけど、ツッコミも悪くないなって思えた。漫才で笑いが起きるのってツッコんだときだから、それをイメージしながらできるのはいいよね」


 今までにはない手応えを得ていたのは、筧も同じらしい。碧は喜ばしい気持ちになる。


 もしかしたら、いけるかもしれない。自分たちでも、お客さんを相手に笑いが取れるかもしれない。


「ごめんね。勝手にツッコミ押しつけちゃって」


 せっかく室内が良好な空気になってきたのに、筧が謝る理由が碧には分からなかった。意識的に「いいよ。気にしてないから」と答える。


 それでも、筧はまだ気が済んでいない様子だった。


「いや、ちゃんと謝らせて。私今までボケしかしたことなかったから、自分がツッコむイメージが湧かなかったんだ。碧の希望もちゃんと聞いとくべきだったね。改めてごめん」


「だからいいって。私は初めてだったんだから、どっちが向いてるとか分からなくて当然だから。二週間かじっただけだけど、ツッコミの気持ちもちょっとは知れたし。おかげでボケに生かせそうだよ」


「そうだね。ボケとツッコミを入れ替えてうまくいったコンビはプロでも大勢いるし。私もこうツッコんでほしいなって、ボケの時に思ってたツッコミをやるだけだよね」


 筧の口調は自分に言い聞かすようだった。メロンソーダを一口飲んで、気持ちを切り替えようとしている。


 ふぅと息を吐いた筧の顔は、新しい視界が開けた感慨に満ちていた。


「さ、ネタ合わせ続けよ」と持ち掛けてくる。碧にも異存はない。


 ないはずなのに、少し前から抱いていた疑問が顔を出してしまう。


「ねぇ、筧。ボケしかしてこなかったってことは、私が入学する前に組んでたコンビと何か関係あるの?」


 碧の問いかけに筧は一瞬驚いたような表情を見せる。新歓の次の飲み会で、碧は瀬川たちから二月まで筧は別の学生とコンビを組んでいたことを知らされていた。今と同じく女性コンビだったらしい。


 筧も否定しなかったものの、その時はあまり聞いてほしくないというオーラを漂わせていて、碧もそれ以上尋ねなかった。


 数秒だけ沈黙に包まれる室内。外から下手な歌が漏れ聞こえてくる分、碧はその時間を実際よりも長く感じた。


「ううん。特にないよ。さ、もう一回もう一回」


 はぐらかされた。そう碧は直感したが、かすかにただならぬ空気を放っている筧を見ると、それ以上踏み込むことはできなかった。


 筧に促されるまま、スマートフォンの電源を入れ直し、最初からネタを読み直す。


 マイクを通さない二人の声は、二〇三号室の外には少しも漏れてはいなかった。





 予定が決まっていると、時間はあっという間に流れるらしい。


 まだ時間はあると碧は思っていたが、月日は瞬く間に過ぎ去っていき、気がつけばデビューライブ当日を迎えていた。


 雨は降っていないが、怪しい雲行きは心にも反映されて、パイプ椅子を並べている瞬間から、碧は言い知れない不安に襲われていた。


「大丈夫かな、今日」


 窓に暗幕を張って、パイプ椅子を五〇脚並べ、入り口前に今日の予定表を掲示し、一連の準備は終わった。


 受付に座りながら、碧は筧に尋ねる。


 客席にはまだ一人も座っていない。まだ開場していないからだが、たとえ開場したとしても、客席が半分でも埋まる光景が碧には想像できなかった。


「大丈夫だって。知り合いにも声かけたし、チラシも今日と昨日の二回配ったでしょ。SNSでも告知したし、きっとお客さん入ってくれるよ」


「でも、チラシ全然受け取ってもらえなかったし、SNSのフォロワーだって合わせて二〇〇人くらいしかいないでしょ。それに知り合いもまだこっちに出てきたばかりの私にはあまりいないし……」


「まあ、不安になるのも分かるけどね。去年なんて四人しか来なかったし。お客さんよりも演者の方が多かったもん」


 筧が不安を煽るようなことを言うから、碧はますます心細くなってしまう。


 デビューライブの会場は、学生食堂の二階にあるステージだ。軽音楽サークルなどが時折使用しているとはいえ、大学のメインの建物からは少し離れているため、学生の認知度は決して高くない。碧だって、瀬川に言われるまで存在を知らなかったぐらいだ。


「でもさ、たとえ一人だとしても、来てくれるのはありがたいじゃんか。講義終わりの貴重な時間を使って来てくれるわけだし。私たちはその一人のために、一生懸命やるだけだよ」


 目と言葉で諭されて、碧は覚悟を決めた。ここまで来たら、もう逃げることはできない。


 碧も筧もアルバイトがあったから、毎日というわけにはいかなかったけれど、それなりに稽古も積んできた。面白いネタに仕上がった自信は、碧にもあった。あとはそれをどれだけ表現できるかどうかだ。


 机の上に置いていたペットボトルの水を飲む。開場時間は、数えるほどに迫っていた。


 だけれど、開場した瞬間から客がやってくるわけはなく、二人はしばらく手持ち無沙汰な時間を過ごすことになった。ただ座っているだけだと、せっかくの決意が揺らぎそうになる。


 だから、五分ほど経って最初に二人組の女子学生が現れたとき、碧は心の中で大きく安堵の息を吐いた。


 筧の知り合いらしく「来てくれたんだー!」と盛り上がる三人。


 「相方だよ」と紹介されて、碧はぺこりと頭を下げた。二人組は「がんばってね」と声をかけてくれたけれど、碧はプレッシャーを感じてしまう。この人たちはネタが面白いかどうかはあまり気にしないだろうけれど、見てくれる以上は恥ずかしくない姿を見せなければ。


 他の客が来ることも想定せず、話し続ける三人の横で、碧は気を引き締め直した。



(続く)

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