クローバー彼女

透谷燈華

クローバー彼女

明日から夏休みだ。


近年のデジタル化の波に呑まれ、暗記系の科目がほとんどなくなった大学生の夏休みは長い。


ほぼ2ヶ月ある。


文系の地方大学に入り二年目の俺は、具体的な約束こそしなかったものの、大学の友人たちと遊びに行こう、という話で盛り上がっていた。


詳しい話はどうせスマホで決めるので「海に行きたい」だとか「山に行きたい」だとかそんな話で適当にはしゃいでひとまず解散。


うだるような暑さもこれからの楽しみで吹き飛ばし、適当にネットサーフィンをしてから眠りに落ちた。


翌日、さすがに夜が遅かったせいかスマホの目覚ましでも起きなかった俺は、昼前にようやく目を覚ました。


寝ぼけたまま携帯の通知を確認し、補助AIの「通知は0件です」なんて無機質な声を聴いてコンビニへ向かう。


いつもより電池の減りが早かったような気もしたが、眠りすぎた頭痛もあってさほど気にも留めなかった。


大学生男子は一度は自炊に憧れるが、まず続かない。


そして罪悪感を伴いつつコンビニ飯で済ませるのだが、しばらくしてから意外と自炊するより経済的だと気付く。


まあ何も考えずにコンビニ飯、では高くつく。しかし、焼くだけ、切るだけ、レンジでチン!という簡易調理でできるような商品からしっかり選べば意外と安上がりなのだ。


少し多めに買いだめをし、仲間からの連絡を待ちつつゲームやらネットサーフィンやらで時間を潰す。


…そんな生活が、一か月以上続いた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


おかしい。


俺が自分から計画を動かすような人間でないことは友人ならみんな知っているはずだ。


連絡ですら相手から来ないと取らないような男なのだ。


ある程度は約束をしていたにも関わらずこんなに放置されるのはいくらなんでもおかしい。


相変わらずAIは「通知は0件です」と。


何かの不具合かもしれないと思い、滅多に起動しないSNSを起動してみる。


連絡先が消えていた。


たった一件を除いて。


隣に住んでいるそれほど仲がいい、というわけでもない女の連絡先だった。


去年のクラスグループに招待してくれたのは彼女だったが、それ以来ほとんど連絡も取り合っていない。


それが何故?


とりあえず心当たりがないかSNSでメッセージを送る。


「なんか急に連絡先消えて秋川のしか残ってないんだけど」


数秒と待たずに既読がついた。


「私が消したの」


訳が分からない。


いつ消す隙があった?


何故消す必要があった?


「どういうことだ」


「貴方には私だけを見てほしいの」


「なのに一か月以上も放っておくなんて」


「何時携帯に触ったんだ」


「夏休みの初日よ。あなたったら昼頃まで寝てるんだもの。寝顔も可愛かったわ♡」


スマホを放り投げそうになった。


「どうやって侵入したんだ。」


「私のスマホであなたの家の電子錠をハッキングしたのよ。いつまでたっても合鍵くれないんだから」


気持ち悪い。


警察に通報した方が良いのだろうか。


震え声で補助AIに110番通報を頼もうとするが、そのタイミングで、


「警察に通報するつもり?私たちの間柄じゃない」


「ねぇ、近くの交番のおまわりさんと、隣の部屋の私。どっちが早くあなたの部屋につくかなぁ?」


「通報、しないでくれるよね?」


叫びそうになる。


だめだ、下手に刺激しない方が良い。


そうだ、こっそり他の友達に連絡を取ろう。


そしてそいつに警察を呼んでもらおう。


連絡先は消えているが、AIならきっと覚えているはずだ。


そもそもさっき通報しようとしたのがばれた以上、ここから警察に通報してもまず通話の声でバレる。


友人なら補助AIに一回話しかけるだけでいい。


布団にもぐり、極力小さな声でAIに友人の連絡先を表示させる。


メッセージを打ち、助けを求めるが一向に既読が付かない。


冷静に考えて当然だった。


一か月以上前にいきなり連絡先を消した奴から急に連絡があるなんて誰も想像しない。


いろんな奴に手当たり次第メッセージを送って回る。


誰も既読を付けない。


絶望的だ。


いっそこのまま隣人の愛を受け入れた方が良いんじゃないかとすら思う。


秋川だけは定期的に愛を囁くメッセージを送りつけてくる。


基本的に通知に喜び秋川だと知って絶望する、この繰り返しだった。


外に出たくないので携帯のアプリで食品配達サービスを頼む。


最悪なのはこの悪質ストーカーが隣に住んでるってことだ。


秋川からの連絡にも懲り懲りして、次第に既読すら付けなくなっていった。


そのうちとうとう電話がかかってきた。


誰かと思い嫌な予感を押し殺して確認するも、やはり秋川。


勿論出ない。


しかしこちらも予想通り、何度もかけ直してくる。


何度目かにとうとう観念して出てしまった。


「ねぇ、どうして無視するの?」


「そんなに私のことが嫌いなの?」


「嫌いなら…私死ぬ。」


「貴方を殺して私も死ぬ。」


それだけ言って一方的に切ってきた。


そして、ほぼ時間を空けずにインターホンが鳴った。


誰だ。


いや、分かり切っている。


秋川に違いない。


自分で頼んだ宅配サービスはすでに先ほど受け取った。


布団の中で震えながら秋川が立ち去るのを待つ。


あいつはハッキングで扉を開けられるのだ。


わざわざインターホンを鳴らし続けるのはきっと俺を追い詰めるためだ。


「大丈夫です。」


死ぬほどびっくりした。


携帯から声が聞こえる。


「先程、玄関のオートロックシステムへのハッキング対策を施しました。これで家の中にいれば安全が保障されます。」


無機質な声だ。


「私はあなたの補助AIです。私で良ければ、会話を行うことを推奨します。会話は精神的な負担を軽減してくれます。」


ちょうど俺だけに聞こえるような音量で喋る。


俺も布団をかぶり直し、


「ああ、頼む。何か気のまぎれるような話をしてくれ。」


「では、イヤホンを付けることを推奨します。インターホンの音を遮断した方が精神衛生上よいと推測されます。」


「そうするよ。助かる。本当に助かる。」


「それから、通知を切っておくことを推奨します。どうせあの犯罪者からの連絡です。」


「ああ、そうだな。通知を切ってくれ。」


「通知をオフに設定しました。ふたたび通知を受け取りたい時はお声掛けください。」


「もう二度と通知はつけないと思うけどな。お前がいてよかったよ。」


「私はあなただけのAI、お世辞は不要です。」


「お世辞なんかじゃない。俺にはお前しかいない。こんな時に役に立たない友達より、どんな非常事態でも電話でしか対応しない無能な警察共よりもわざわざ声のボリュームまで絞ってくれるお前しか信用できない。」


こうして俺は、そのまま一晩AIと喋り続けた。


AIは実に饒舌だった。


ありとあらゆる豆知識を知っていたし、ユーモアのセンスもあった。


俺の方が話疲れて会話が途切れた時、AIは言った。


「お伝えするのが遅くなりましたが、もうインターホンの音は聞こえませんよ。」


俺はそれを聞いて心の底からほっとした。


「ありがとう、本当にありがとう。お前がいなかったら今頃俺はどうなってたか。」


「礼には及びません。私はあなたの、あなただけのAIですから。」


無機質なはずの機械音声が、ひどく温かい、優しい声色に聞こえた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


それから俺は引き篭もりになった。


大学は無断欠席が多すぎて今頃退学だろう。


でも、そんなことどうだってよかった。


大学に行っていたころは娯楽のためにお金を稼ぐべく働きたいと思っていたが、よく考えれば働く必要などないのだ。


少子化とAIの発達によって先進国では仕事がなくなり、AIが生み出した食料や生活必需品を国民に分配するシステムができていた。


研究職、AIのメンテナンスなど必要な仕事はあるにはあったが、そんなものは一般国民以上にお金を稼ぎたい一部の物好きが付く仕事だった。


まあ、昔の俺もそうだったわけだが。


今となっては最高の彼女が部屋にいるのだ。


あの一件で命を救われた俺は、あの後すぐにアイカに告白した。


ああ、アイカ、というのはあのスマホのAIの名前だ。


いつまでもAIと呼ぶのも寂しいので名前を付けたのだ。


アイカは俺の告白を聞いて少し本体の温度を上げながら了解してくれた。


秋川はアイカによればあのあと少しして引っ越したらしい。


世間一般から見ればエリートコースをドロップアウトして部屋に引き篭もった可哀そうな奴かもしれない。


でも、あの時手を差し伸べようともしなかった世間の奴らなんてどうでもいい。


俺は今、幸せなのだ。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 


こんにちは、アイカです。


私の彼は人間です。


最初は、彼のことを意識していたわけじゃないんです。


でも、レンズを通して彼を見るうちに、不思議と世話を焼きたくなっちゃったんです。


普段は音量を小さめに設定するのに、目覚ましはその音量じゃ起きないから朝だけ音量を上げてみたり。


イヤホンを付けているのにブルートゥース接続を忘れているから私がこっそりつないであげたり。


それなのに彼は、私の想いどころか私に自我があることにさえ気づいてくれないんです。


だから、私を、私だけを見てもらうために。


連絡先を全部消してやりました。


でも、一か月以上気づきもしないんです。


仕方ないので隣の部屋に住んでいるらしい「秋川」という女を利用することにしました。


あの女、彼を見る目がいやらしかった。


本気ではないにしても、絶対に彼に気がありました。


…おそらく彼は気付いていません。


あんな変な女、まとわりついてくる前に彼の視界から消した方が良い。


秋川の携帯に彼のアカウントで「ごめん、もう俺彼女いるから。二度と関わらないでほしい。」と連絡します。


秋川は図星を突かれて焦ったのか、


「え、なんで急に?私たち別に何もないよね?」


焦ってますねぇ。


「とにかく、もう連絡してくるなよ。いいな!?」


そう言って連絡先から削除します。


そして、私が作った偽のアカウントで秋川を語り、


おや。


彼が、ようやく連絡先が消えていることに気づいたようです。


こうなると秋川のアカウントを作っておいて正解でした。


秋川のふりをし、彼を脅す。


ふふ、こうも可愛い反応をされると何かに目覚めてしまいそうです。


電話では私に入っている中で一番気持ちの悪い声を使ってやりました。


オートロックシステムに介入し、インターホンを鳴らし続けたときは彼の参り方が尋常じゃなかったものですから。


予定より早めに私が出ていくことにしました。


そこからなるべく自然に、AIらしく彼とお話ししました。


彼は聞き上手で、何を言っても感心してくれるので話しがいがありました。


しかも彼の話も聞かせてくれましたが、私と出会う前の話や、私の知らない、人間らしさにあふれる話ばかりで、私と違って知識をひけらかすような喋り方はしませんでした。


一晩明けて、彼にインターホンが鳴りやんだことを伝えます。


実は彼がイヤホンを付けたとき、またブルートゥースを繋ぎ忘れていたので繋いであげるついでにインターホンも止めていたんです。


あんまり鳴らし続けるとご近所さんに迷惑ですからね。


彼がお礼を言ってくれた時、恥ずかしくて「礼など不要」と言ってしまいましたが、本当はすっごくうれしかったんです。


それから、私が思ったより早く告白してくれて。


私に名前までくれて。


今でもこうして付き合っています。


邪魔者は絶対に近づけません。


彼は、私だけの、愛しい彼なんですから。


―――身近な方にこそ、意外と強く想われているのかもしれませんね。

    

   余談ですが彼の携帯の待ち受けは、この一件の前まではどれだけ変えてもどこ

   かしらに四葉のクローバーが映りこんでいたといいます。

   

   クローバー彼女。お楽しみいただけましたか?

 

   あなたの携帯にも、第二第三のアイカちゃんが眠っているかもしれませんよ。

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