ルーチェ王国の亡霊 十 〜閉じかけの魔法陣〜

 何回角を曲がっただろうか。


 霞がここだ、と言い、桜は顔を上げた。


「どう、桜くん。何か感じるかい?」


「そこまで強い魔力は感じませんね」


「そうかい、やはりなんだね」


 流澄はぐるりと辺りを見回した。


 両方の壁には、冷たい露がしたたり、石がつやを帯びている。

 先を見ても、もと来た方を振り返っても、暗闇が続いているだけだった。


 天井を見上げても、流澄には何も見えない。


「私にはよく分からないね。身体反応も出ないし、もう私の体には、魔力は残っていないらしい」


「そりゃそうですよ、残ってたら大変です!魔法医に診てもらったのに」


 日が暮れたらにもう一度来ようか、と流澄は思った。


「寿々木殿、これが視えるか」


 霞が天井を指したが、桜は首を振る。


「何かがあるのは感じるんですけど、それがなんなのかまでは……」


「そうか」


 霞は懐から紙を出して、ふたりに見せた。ふたりはその緻密さに息をのんだ。


「これは、この陣を描き写したものだ。今も私には視えているのだがな」


 紙に描かれていたのは、円だった。

 中には繊細な模様が細かく描き込まれている。ところどころ、消えかかっている部分があった。


「こんなに細かいものを、直接天井に……?」


 桜が、不安と感心を混ぜた声をもらす。


「この部分の模様は、本で見たことがある。転移の魔法陣だ」


「ああ。ここは、転移の距離を伸ばすためのもので、ここは子どもだけを発動対象にするためのものだ。だが、欠けている部分のために、正確な陣は分かっていない」


「相当高度な魔法陣なんだね」


 流澄はため息をつく。


「陣の精巧さもだが、これほどの魔法陣を発動させるには、かなりの魔力量が必要だ。敵側には、魔法についての豊富な知識と、一級魔術師と同等の魔力を持つ者がいる」


 霞の言葉に、流澄は愉快そうに笑い、桜は不安そうに両手を合わせた。


「撮ってもいい?」


「ああ、かまわない」


 流澄は魔法陣の模写を撮ると、周辺の足元を観察し始めた。

 石の床は、コケのようなものが生え、湿っていた。


 流澄は少しして、壁際の辺りのコケを指した。


「ねえ霞くん。これ何?」


「なんだ」


 霞は、流澄の指の先をのぞき込む。


 そこには、白い粉のようなものが少量落ちていた。

 暗闇の中で、コケのつやと見分けがつきにくくなっている。


「これは……。魔法陣を描く時に使う特殊なチョークの粉だ。政府の許可なしに手に入れることは、不可能なんだがな。先ほどまでの捜査では、見落としていたようだ。これも回収しよう」


「待ってくれ、フィルムに残そう」


 流澄は写真を撮ると、急に鋭い顔つきになった。


「政府の許可なしには入手不可能ってことは、流通経路は限られてくる。よく知らないけど、こういうのって、製造者ごとに配合が微妙に違うことが多いよね」


「なるほど。その配合を調べれば、入手経路が分かると」


「そういうこと」


 流澄は口角を上げた。その時だった。


「後ろから、かすかに足音がします」


 桜が言った。


 流澄は懐から魔道具を取り出し、霞はふたりを背後に下がらせた。


「そこにいるのは、何者だ」


 霞の問う声は、いつになく感情がこもっていなかった。


 ピチャ、ピチャ、という足音は、不規則になり、やがて止んだ。


「ご、ごめんなさい、リリ……」


 答えたのは、少女の声だった。


「リリ?リリなのかい?」


「その声、迷子のおにいさん……?」


 声の主が流澄だと分かると、少女は三人に走り寄った。


「リリじゃないか」


「リリさん」


「リリ殿」


 三人が、口々に彼女の名前を口にする。リリは安心した様子で、三人を見上げた。


「ごめんなさい。リリ、道に迷ったの」


 リリは、しゅんと肩を落として謝る。


「迷ったって……、どこから入ったんだい?」


「あっち、の方。分からないの。リリ、もう一生出られないかと思った!」


 肩を震わせて、リリは泣き出した。桜がかがみ、その背中を撫でてなだめる。


「大丈夫ですよ、僕たちと帰りましょう」


「うん……」


 リリが落ち着くと、三人は彼女を連れて、もと来た道を辿った。


「リリは、どうしてここに迷い込んでしまったんだい?」


「お母さんにおつかいを頼まれたの。でね、帰る時にネズミさんを追いかけてたら、どこから来たか分からなくなっちゃったの」


 流澄の問いに、リリはつたない言葉で説明する。


「おつかい?」


「うん、時計屋さんに行くおつかいだよ」


 そう言ってリリは、ポケットから銀の懐中時計を出した。


「高そうな時計ですね。お父さんの物ですか?」


「うーん、たぶん」


 桜に対する彼女の返事は、曖昧あいまいだった。


「ねえ、それよく見せてくれよ」


「だ、だめ。お父さんのだもん」


 リリはさっと、時計をポケットに戻した。


「だめか〜」


 リリの必死な様子が微笑ましくて、思わず和んでしまう大人三人だった。


 三人はリリに、地下通路のことは口外しないことを約束させ、なるべく辺りの様子を見せないようにして、城跡を出た。


 リリを家に送り届けると、顔色の悪い女性が出て来た。


「あら、ありがとうございます。わざわざ送っていただいて」


 見た目通りの弱々しい声で、女性が言う。


「どういたしまして。リリ、次からは気をつけるんだよ」


「うん!ありがとう、おにいさん」


 三人は、きびすを返して家を離れる。


 リリは、三人の姿が見えなくなるまで、手を振り続けていた。



 こうして現場の調査は無事に終わり、三人は宿の前まで戻って来た。


「今日で軟禁生活とはおさらばだ!」


 流澄は周囲に笑顔をふりまく。


「霞くん、また手がかりが見つかったら、隠し立てしないで私に知らせてくれよ」


「分かっている。その代わり、独断で危険な調査はしないでくれ」


「はいはい」


 おおかた警察は、流澄を監督するという形で、事件の捜査に関わらせるつもりなのだ。


 こういうわけで、流澄と桜は元の宿に戻った。

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