第35話

「みつけた」


 ポソリと、ディーテにだけ聞こえる声量で、ランジュは呟いた。


「え……」


 あまりの眩さにチカチカと明滅する視界。キリキリと軋む脳が、どうにも思考を邪魔して仕方がない。


 ディーテの全身はカタカタと痙攣していた。そもそも、おのれが憧れてやまない存在に横抱きにされているという状況自体、そう簡単に受け止められる事象ではなく。


 何とか、自らの姿を、ディーテでない別の姿にするので精いっぱいで。アルテアと考えた姿ともやや異なる、慣れ親しんだオディット態に翼が生えただけの姿を保つことしかできないでいる。


 ランジュは、ディーテが呆然としているのをいいことに、ニコニコと微笑みながら、クルクル空を舞った。地上から上がるランジュのコールにも構うことなく、クスクスと上機嫌に笑っていた。


「ランジュさま……あの、ぼく、自分でとべますので……そのようにお手を煩わせるわけには……」


「だめだよ、死にかけてたんだよ。間に合ってよかった。ボクが来るまで、よく頑張ったね。えらい、えらい」


「ヒェ……」


 ランジュは愛おしげな顔をしてディーテの頭頂部にキスをした。その時点で、ディーテの瀕死の思考回路はついにショートしてしまった。


「ねえ、きみ。名前は? なんて呼べばいい?」


「ヒッ、あ、その、ランジュ様に覚えていただけるほどの者では……」


「おねがい、教えて。だめ?」


 眉をハの字にして、トロリと首をかしげるランジュ。その暴力的なまでの美に脳をタコ殴りにされたディーテは、強烈な多幸感に全身が痺れ、理性がドロドロに溶けていくのを感じた。


「ディーテ……ディーテでございます、ランジュ様……」


「そう、ディーテ……ふふ、ディーテね」


 恍惚を帯びた瞳が、ディーテの肉体をグズグズにする光線のように、甘く降り注ぐ。ディーテは至極冷静に(しかしてイカレきった頭で)、自分は死んだのだと思った。


 こんな現実はありえない。きっと、死ぬ前に女神様が見せてくれる素晴らしい幻覚に違いない、と。


「ねえ、ボクと、ユニット組もうよ」


 そんなディーテに追い打ちをかけるが如く、まるで、周囲にも聞かせるような声量で、ランジュは言い放った。


 ザワ……一斉にどよめきが伝播する観衆。ユニットと言ったか、誰が、あのランジュが?


 周囲の何も寄せ付けぬ、孤高の最強、ランジュが、ユニットを。


「は……?」


 フフン、と、なおも上機嫌そうなランジュ。目を見開いて狼狽えるディーテの瞼にも、愛おしげにキスしてみせる。


「なっ……ちょっと、ランジュ様!!」


 絹を裂くような甲高い叫びに、ランジュは気だるげな顔をして、ディーテを横抱きにしたまま振り返った。その様子も癇に障る様子で、口角をひきつらせながら、叫んだ声の主、ミュスカが詰め寄る。


「ランジュ様、おそれながら……! そのフリルは、先程、この私を誘惑するような破廉恥な行為をした不届き者です! 貴方様には相応しくない、ふしだらなフリルなのです!」


「だからなに? キミがボクの判断に口出しをする理由になる?」


「え、ええ! なりますとも! 私にあんな不貞を働いたのです、そのスケコマシには責任を取ってもらわなければ、フリルとしての沽券にかかわりますわ!」


「フウン、責任ね。どう取らせようっていうのかな、かわいいヒヨコちゃん」


「ですから……! その、私を傷物にした責任を取って、その者は私とユニットを組まねばならないと申し上げております!」


「ちょっと、ミュスカ? きみ、自分で何を言っているかちゃんとわかってる? いったん落ち着い、て……」


 ヒッ、と、先程までの勢いが嘘のように、ミュスカは委縮した。ランジュがミュスカに浴びせかけた覇気は、ともすれば、先程の厄災よりもよほど恐ろしいものだったのだ。


「面白いことを言うね。ボクが見出したパートナーに、キミが手を出そうって? それ、どういう意味か、分かって言ったんだよね。いい度胸してるなぁ」


 自分が誰に喧嘩を売ったのか、存分に分からせてあげる……そう言って、ランジュはディーテを片腕に担ぎ、逆の手にメイスを顕現させた。


 駄目だ、このままではミュスカが殺される……そう悟ったディーテは。


 三十六計逃げるに如かず。ランジュの腕からすり抜けるように浮上し、翼の生えた白馬に変容して、そのままアパートメントへ逃げ帰ったのだった。

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