第44話 反応

「あ、のさ」


 情けない裏返った声が響いた。ピクリと少女の肩が動く。


 それでも引き下がれない僕は、必死に平然を装って言う。


「き、君、生きてる人に悪戯しないで。ちゃんと眠りなよ」


 自分からこんなふうに声をかけたのは初めてだった。でも、この子のせいで万が一ともや君が死んだら、他にも人が死んだらと思うといてもたってもいられなかった。星野さんに付き合うにつれ僕も度胸がついたのだろうか。


「よくないよ、生きてる人を巻き添えにするのはよくない!」


 少女がゆっくり振り返った。今度は真顔で、あのまんまるな目で僕を見ている。ごくりと唾を飲み込みながら、ここで引いては負けだと思った。


 久しぶりに、僕は渾身の力を込めて睨みつけた。元々僕の睨みは一瞬怯ませるぐらいの力しかないけど、相手は子供だし、驚いて病院から出て行ってくれないかかと期待した。


 少女はその目でじっと僕を見ている。こめかみを汗が伝った。どれほど時間が経ったのか、どちらも視線を逸らさない中ようやく少女が閉じていた口を開いた。


 隙間だらけのその歯の向こうから、子供とは思えないしわがれた老婆のような声がした。




「ばーか」





 気がつけば、少女は消えていた。


 はっとした僕は必死に周りを見渡すが、もう足音も、変な気も感じなくなってしまった。全身の力が抜けて壁にもたれこむ。


 だめだ……とんでもないものだった。あれは人の生に引かれて自分の方に引き摺り込む大変やばいものだ。多分少女もそれをわかって、楽しんでるから厄介だ。


 ともや君のベッドに今日いたということは、彼を気に入ってるのだろうか。だからともや君は退院できないんだろうか。このままだともしかして、死、なんてことも……?


 どうすればいいんだあんなの。放っておけるわけがない。そうだ、あの住職さんに相談を、


「あなた、あれが視えるのね」


 突然背後から声が聞こえて驚き振り返る。そこにいたのは一人の看護師だった。


 ワンピースの形をした白衣を身にまとい、頭にはナースキャップをかぶっていた。五十歳ぐらいにみえる中年女性に、僕はたじろぐ。


「え、あ、あ、の」


 看護師は遠い目をして、どこかを見ながら言った。


「あなた視えるんでしょう。あのとんでもない女の子が」


「え」


「私もそう。ずっとずっと前から気づいてる。

 あの子は命を引き摺り込むほどの者なんだって」


 僕は戸惑いを覚えながら看護師を見た。ちょっと気の強そうな表情は、頼りになる師長さん、みたいなオーラを感じる。意思の強そうな目は少し特徴のあるつり目だ。


 看護師さんはふうとため息をついた。


「私はあの子をなんとかしたくて、もう何年も探してるの。でも私の存在に気がついているのか、あの子は逃げ回って全然姿を表してくれない。あなたは見えたんでしょ?」


「あ、は、い……」


「以前何度もお祓いを頼んだ。でも頭のいい子みたいで、危険を察知するとうまく隠れるみたい。何度も除霊は失敗してる」


「そんな」


「……あの子が行く先々で容体が安定していた患者が死ぬ。なんとか止めたくて、私はずっと探してる」


「なんとかって、できるんですか?」


 僕はつい大きな声で尋ねた。僕みたいな存在じゃまるで追い払うのは無理そうだったのに、一体どうやってやるんだろうか。


 看護師はふふっと小さく笑った。


「地獄に送る。あの子を地獄に送ってやる」


「…………」


 地獄、という場所が本当に存在するんだろうか。


 僕はどう答えていいのかもわからず黙り込んだ。もしあるのならば、この世の人間の命をもてあそんでいる行為は地獄にふさわしいとは思う。でも一体どうやって? この人にそんな力が?


 看護師はすっと背筋を伸ばし、僕に言った。


「私は水谷っていうの。もし今度あの少女を見つけたら、すぐに私を呼んでね」


「え」


 水谷さんはひらりと簡単に手を振ると、僕の返事も聞かずに背を向けて階段を登り出す。


「いや、呼ぶってどうやって」


「大山くん!」

 

 聞き慣れた声が耳に届いた。凛とした綺麗な声はもちろん星野さんのものだった。


 階段の上から彼女が降りてくる。不服そうに僕を見ていた。


「急に走っていくから驚いたよ。どうしたの急に」


 星野さんはやはりまるであの子に気がついていないようだった。僕は無理矢理笑って何か誤魔化そうとも思ったが、残念ながらそんな余裕はなかったらしい。出てきたのは弱々しい自分の声だった。


「凄いもん見た」


「え? なになに、どんなの!?」


「このままじゃともや君も死ぬかもしれない」


 顔を輝かせた星野さんだが、流石に笑みをすぐに消し去った。眉を潜めて僕を見る。


「どういうこと?」


 普段なら。こんなオカルトマニアに霊の話なんかしない、したって喜んで飛びつくのが目に見えているからだ。それでもさっき見たあれは、僕一人の心の中にしまっておけるレベルではなかったのだ。


 ついに自分から、星野さんに話してしまった。


 死をもたらすかもしれない、とんでもない少女のことを。



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