第40話 やはり何もない

「ええ……立派な」


「うちは……で食べられなくて。よかったら」


「わあ、ありがとうございます」


 玄関先では弥生さんが何やら話し込んでいる。彼女の奥に立っている女性の姿が見えた。黒髪を一つに縛り、たれ目をした柔らかな雰囲気を持つ女性で、真面目そうな印象だ。あれが松本さん家の奥さんらしい。


 弥生さんは手にリンゴをいくつか持っていた。流れから見るに、おすそ分けで訪れたのだろう。


「こんにちは、ご近所の方ですか?」


 私の少し前に立つ柊一さんが躊躇いなくそう声を掛けた。弥生さんも松本さんも、驚きの顔でこちらを見てくる。


「初めまして、僕たちは弥生姉さんのいとこなんです。ようやく新居にお邪魔できまして」


「あ、あらそうなんですか。初めまして、松本と申します」


「県外に住んでいるものですから中々新居に来れなかったんですけど、ようやく遊びに来れまして。ネタ探しもしつつ旅行がてら」


「ネタ探し?」


 不思議そうに聞き返した松本さんに、柊一さんがペラペラと説明した。


「ええ、実は僕、ライターの仕事をしてまして。主にオカルト記事を書くことが多いんです。心霊スポットや事故物件の取材とか、霊能力がある人への取材なんかもよくしてまして。こっちにはあまり焦点を当てたことがないので、何かいいネタがないかなあと」


 隣であまりにすらすらと嘘が出てくるので、呆気に取られてしまった。さっきの新婚設定もそうだけれど、よくもまあ次から次へといろんな設定を思いつくもんだ。でもきっと、この仕事をする上で必要な能力だったのだろう。


 松本さんは感心したように頷いた。


「へえ、面白いお仕事でいらっしゃるんですね。そういった方はあまりお会いしたことないから……」


「でも、いいネタが最近あまりなくて。小さなことでもいいから、面白そうなことがあれば教えてください」


 柊一さんがにこりと笑いかける。なるほど、これでもし松本さんの家で何か怪奇現象が起きていて悩んでいたら、何かしら相談や探りがあるというわけか。


 松本さんの家にも何か起こっていたとすれば……。


「どうかしらあ、私はそういうの疎くって」


 彼女は腕を組んで困ったように笑った。そして、ずっと黙っていた弥生さんに話題を振る。


「この近くには心霊スポットだとか、そういう噂は聞いたことないですよね?」


「え、ええ……」


「ネタ探しに協力できなくてごめんなさい。何かあれば三石さんに伝えればいいかしら。そういうのとは無縁だと思うけど」


 笑顔で言ってくる松本さんは、明らかに怪奇現象に悩んでいる様子は見られなかった。もし、彼女が何かしら家で感じ取っていて怖がっていたら、もう少し柊一さんの話に食いついただろう。


 ということは、やはり三石家にのみ、霊は現れているということか。でもなぜだろう? 元々は一つだった土地を分けて住んでいるというのに。


「そうですか……不躾にすみませんでした。ありがとうございます」


「いいえ。じゃあ、私はこれで」


「松本さん、リンゴありがとうございます」


「いえいえ! お腹の子の分まで栄養取らないとね」


 松本さんは丁寧にお辞儀をすると、玄関から出て行ってしまった。扉が閉まった後、弥生さんがため息をつく。


「やはりうちの家だけみたいですね……」


 柊一さんが答える。


「そうなりますね。袴田さんの家はお話を聞けてませんが、松本家、朝日野家が何も見ていないのなら、袴田家もそうである可能性は高いかと。一度袴田さんにも話は聞いてみたいですがね」


 そう話している最中、リビングから三石さんが顔を覗かせる。


「大丈夫か? なんだった?」


「ああ、リンゴをおすそ分けして頂いたの。せっかくだから剥いて黒崎さんたちにも食べてもらいましょうか」


「そうしよう。俺が剥くよ」


「ありがとう。黒崎さんたちも、一度座って休んでください」


「ありがとうございます」


 弥生さんと柊一さんが廊下を抜けていく。私はそれを追おうとして、なんとなく振り返った。静かな玄関を見つめながら、今回の不思議な現象について考えを巡らせる。

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