第30話 恐怖体験

 弥生さんが妊娠中ということもあり、彼女のお母さんが荷ほどきを手伝いに来てくれた。弥生さんの実家は車で二十分ぐらいのところにあるらしく、時々困ったときに手を貸してくれるのだそう。


 引っ越し業者もいなくなり、ひたすら段ボールを開けていく作業。リビングで三人、黙々と作業をしている時、二階から足音がしたのだそう。


 ばたっ どたっ


 例えるならそんな音だったという。誰かがジャンプしたり、転んだかのような大きな音で、三人は同時に顔を上げた。


『今音したよね? 上の荷物が何か崩れたんじゃない』


 弥生さんのお母さんがそう言って様子を見に行った。でもすぐに戻ってきた。首をひねりながら、『何もおかしなことはなかった』と。


 気のせいかと特に気にかけず、作業を再開する。しばらく経ち、弥生さんのお母さんが荷物を二階へ運びに行った。三石さんたちはそのまま作業を続けていたようだが、少しして困ったように眉尻を下げたお母さんが下りてくる。


『ちょっと弥生、急に肩を叩くから驚いたじゃない』


『え? 何が?』


『私が荷物を整理してたら、無言で近づいて強く肩を叩いたからびっくりしたわよ』


『え……私、ずっと一階にいたんだけど』


 三人が固まる。弥生さんのお母さんは、そんなはずないと言った。


『振り返ったら、長い髪の毛をした女性の後姿が見えたわよ、あんたでしょ』


『や、やめてよ……私、二階になんて行ってないよ』


 弥生さんの様子を見て、嘘はついてないと分かったらしい。慌てて自分の気のせいだった、とお母さんは誤魔化したらしいが、気のせいなんかではなかっただろうなと、直感的に二人は思ったらしい。


 それから弥生さんは、髪を下ろさず縛ることが増えたのだそう。


 その後も、部屋のあちらこちらから音を聞くようになる。よくある家鳴りのような音から、どたどたと走り回るような音。


 さらには、人の声らしきものも聞こえる。


 二人で夜、並んでリビングでテレビを見ていた時、部屋の隅でぼそぼそと誰かが話している声がした。間違いなくテレビのスピーカーとは全く違う場所から聞こえてくる。


 抑揚のない声で、しゃがれた老人の声のようだったと。気付いた三石さんがテレビを消すと、数秒経ってその声も消えた。だが確かに、誰かが話していた。


 家じゅうひっくり返しても正体は分からない。気味が悪くなり、とりあえずネットで調べた盛り塩をしてみるが収まらない。


 そしてついにはーー


 暮らし始めて一か月以上が経った頃、弥生さんが夕方一人で家にいるとき、和室の方から人の気配を感じた。この家の和室は、リビングの一部が和室になっている形であり、障子で仕切られているのだが、そこに人影が浮かび上がったのだという。


 当然ながら弥生さんは絶叫。すぐに家から出ようと廊下へ飛び出した時、玄関に向かってうずくまる小さな背中を発見。しゃがみこんでいる子供のようだった。


 ついにその場で失神。すぐに三石さんが帰宅して発見されたので、本人にも赤ちゃんにも問題はなかったのが幸いだが、妊婦が失神してしまうのは恐ろしい。倒れ方を間違えれば胎児にも何かあるかもしれないからだ。


 それから弥生さんは一人にならないよう、三石さんが仕事の時は実家へ。共に帰宅し、ネットにある除霊方法を試してみたり、お札を買って飾ったりと、二人で様々な手を尽くしてきたが、現象は収まらず、私たちに依頼が来たようだった。



「た、大変でしたね……」


 私はつい同情の声を上げてしまった。


 だって、夢いっぱいで引っ越してきたのに怪奇現象に悩まされるだなんて。お腹が大きいというだけで大変だろうに、そのストレスは計り知れない。むしろ、二か月も耐えただなんてすごすぎると思うのだが。


 丁度弥生さんがお茶を淹れて私たちの前に置いてくれる。彼女は私の心の声を読んだように、苦笑いをしながら言う。


「これまでの人生で、こういう現象は体験したことがなかったんです。夫も、母もそうです。だから初めは、気のせいかなとか、隣の家の音かなとか、はたまた欠陥住宅なんじゃないかって思考に行ったんです。でも時間が経つにつれ、そういうものじゃないって分かってきて……」


「なるほどです……」


 私だって、今まで黒いモヤは見えていたけど、はっきり幽霊を見たりだとか、怪奇現象に遭遇したことなんてなかった。柊一さんたちと知り合ったおかげでこういう世界があるんだと知ったけれど、一生知らずに生きていく人間の方が多いと思う。


 初めは科学的に考えるのが普通か。そして時間がそれなりに経過してしまった、と。

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