第28話 涙の訳


「そっか。ユキ・レオノール・フォン・ガメリオン。お前は──死にたかったんだ」


納得してしまった。何故彼女が王都を目指したのか。

馬車で震えていたのは、願いが叶うと思ったからだ。


湖で一瞬顔を歪めたのは、


──死にたかったからだ。


彼女の心は耐えられなかったのだ。

家族が、友が、想い人が、そして国が滅びたというのにたった一人生かされた事に。

罪悪感に押し潰されそうになりながら、生き延びた事に安心してしまった自分が許せなかったのだ。


理性は死を望み、本能は生を望む。

その葛藤で彼女の心は壊れてしまっていたのだ。


「お前は死なない。必ず守る。俺の言葉はお前苦しめてたんだな」

「……ちが、います」


否定する彼女を見て胸が痛んだ。

こんな時でも忍が傷つかないように嘘をついたのだ。


「ならお前は生きたいのか?」

「……」


頷いて欲しかった。そうだと言って欲しかった。

だが彼女は俯き沈黙で返した。


「そんなに、死にたいのか?」


こんな事を聞くためにここに来たんじゃない。それでも忍は確認しなければならなかった。

彼女の闇を、知る必要があったからだ。


「……だって私が生きたかった未来はもうないの。どこを探しても、そんな未来は……ないんだよ。死ぬのは恐いよ。でもね、私はたった一人生き延びて、生きて生きて生きて、この先この気持ちが消えちゃうかもしれないほうが、ずっと恐いんだよ」


震える彼女の手が胸元の首飾りを握りしめている。

白く細い指は、力強く過去を掴んで離さなかった。


王都にくる前のテントのなかで、忍はユキに何をしてやれるかを考えた。

あの時はいくら考えても答えが出なかった。


そして、今、ようやくその答えを見つけた気がした。


「だから私は」

「辛いんなら辛いって言えよ!! 苦しいんならそう言えよ!! 」


「あ──」


「お前には俺達・・がいるじゃねぇか!! 勝手に独りを作ってんじゃねぇ!!笑って死にてぇ? ふざけんな。俺達がいるんだ、笑って生きてみせろよ、ユキ!!」


今度こそ、彼女の心を救えると信じて忍は手を差し伸べた。


ユキは首飾りをそっと放して、震える手で忍の手を取った。


「ごめん、ごめんなさい……私は、独りぼっちなんかじゃなかったんだね……」

「馬鹿野郎。それはケイトに言ってやれよ。あいつはさ、馬鹿みたいにお前をずっと探してたんだ」


立ち上がり、城の方角を睨みつけた。

ユキの救出は間に合ったがケイトはまだ、囚われている。


「ちょ、ちょっと待って…… ケイトって、言ったの? そんなはずないよ。だってケイトは三年前に」

「生きてるよ。お前の騎士様はよ」

「──う、そ」


ユキの瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。


彼女は戦時中、ケイトが情報を流している事さえ知らなかった。

ただそれはケイトの頼みでもあったのだ。

生存しているが、生きて戻ることが出来なかったらユキは二度、彼の死を聞かされる事になる。


だからケイトは、生き延びてもう一度と会う時まで決して知らせないでくれと頼んでいたのだ


「すぐに会わせてやるから、それまでお前は隠れてろ。場所は俺が案内してやる」

「うん……うん……!」


ユキは忍にしがみつくと、声を殺して泣いた。

忍はそんな彼女の頭をそっと撫でた。


焼死体が転がり血が飛び散った地獄のような広場の中心に立つ二人の心は穏やかだった。


忍はユキの手を取り歩き出した。


「忍くん」

「なんだよ」


なんだか嬉しそうなユキの声色に、振り向きもせずぶっきらぼうに答えた。


(ケイトが捕まってる以上スラム街やジバルさんとこはリスクが高い。と言うより俺がこの街で知ってる安全地帯なんざ城へ続く抜け道しかないんだよな……)


あまり連れていきたくはないが、忍の知る中で最も安全な場所なのは間違いない。

すぐにこの街から連れ出したい所ではあるが、そういう訳にもいかないのだ。


ふと、ユキが立ち止まり、手を引いていた忍も必然的に歩みを止めた。


「おい、なにしてんだ。さっさとこの場から……」


振り返えるがユキと目が合う事はなく、代わりに赤い液体が視界を覆い尽くした。


「──は?」


全身に血液を受けた後、晴れた視界の先で、彼女の身体の斃れるたおれる様をスローモーションで見ていた。

手に感じていた力は消え、崩れ落ちる。

その傍らには首が転がっている。


何が起きているのかわからない。


(なん、で……?)


あまりの出来事に、忍は呆気にとられて棒立ち。


ドサリと倒れた音でようやく我に返る。


「ユキッ!! なんで、どうしてだよ! ヒール!」


即座に治癒魔法をかける。

ピューピューと血液が噴き出る断面を緑色の光が包むが、この行為は一切の意味を持たない。


「ヒールヒールヒール……ヒールっつってんだろうが!!! 」


首と胴を繋ぎ、意味のない行為をひたすらに繰り返した。

ヒールは治癒魔法だ。文字通り、治癒をする魔法であり蘇生する魔法ではない。


そして、残念な事に死者を蘇生する魔法は存在しない。


「なんでだよ、やっと……やっと生きるって決めたんじゃねぇのかよ。笑って生きるんじゃねぇのかよ!!」


ユキの頬に触れると体温は徐々に失われていくのがわかる。

忍は生首をそっと両腕で抱えた。


「なんで……なんで笑って死んでんだよ──!!」


ユキの最期の表情は笑顔だった。

憑き物が取れたような、花が開いたような、太陽のような、そんな笑顔だった。


最期は笑って死のうと言う彼女の望みは、歪んだ形で叶ってしまったのだ。


「ちくしょう……ちくしょうがぁあぁああぁぁッ!!」


惨憺たる現実を理解した時、ようやく忍の喉は慟哭を許した。


「なんでユキが死ななきゃならねぇんだ? コイツが何をしたんだよ。国を滅ぼされて希望もクソもないのに、ユキは平和を願ってたんだ。復讐じゃなくて、手を取り合う未来を望んでたんだ……ユキは死ぬべきじゃなかった。こんなのはよォ、おかしいじゃねぇか……もういい、今……ここから始めてやるよ。夜なんざ待たねぇ、悪いなユキ。お前の願っていた未来を、俺の手でぶち壊す。この国の滅亡を、お前に捧げるよ」


ほろほろと涙が零れると同時に、どす黒い感情が胸の内から溢れ出し、やがて忍の感情の隅の隅まで支配する。


そんな中、カツカツと足音が聞こえてくる。


怒り狂った獣のような表情で、殺意の宿った目で顔を上げる。


そこには剣を抜いた一人の赤髪の女性がいた。

そしてユキの亡骸を見ると、無表情で機械的に呟く。


「ふむ、処刑完了だな」


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