第32話 童心に返る


「わぁ……」


 思わず声が漏れる。

 森の中には、ルシアンの言う通りたしかに開けた場所があった。

 色とりどりの花がきれいに咲いていて、奥には小川がさらさらと流れている。

 それだけで理想的な場所だというのに、ベンチやハンモック、そしてブランコまで!


「お気に召されましたか」


 背後から、アルバートが声をかけてくる。


「はい。理想を詰めこんだかのような場所です」


 私がそう言うと、彼が優しい微笑を浮かべた。


「それはようございました。そこのブランコはヴィンセントの手作りです。短時間で作り上げていました」


「えっ! 器用ですね!」


 ブランコがぶら下げられている太い丸太を、両脇の三角形に組まれた丸太が支えているしっかりとした造り。

 もともと丸太はあったのかもしれないけど、それでもそんなに短時間でできるものなの……?


「はい、あいつは大変器用なのです。貧民街にも同じものをいくつも作っています。子供たちに大人気です」


「そうなのですね。素敵なブランコです」


 ヴィンセントは身内には優しい……なるほど。

 最初はとにかく怖いし厄介な人でしかなかったけど、もともとは面倒見のいい優しいお兄さんなのかもしれない。

 ……乗ってみたい。あのブランコに乗ってみたい。


「アルバート卿」


「はい」


「今日の私は童心に返る予定なので、いつもと様子が違うかもしれません。だから、今日の私は忘れてください」


「承知いたしました」


 少し笑いを含んだ声で、彼が言う。


「では失礼しますね」


 そう言っていそいそとブランコに腰掛けた。

 さすがに下着丸出しで遊ぶわけにはいかないので、今日はちゃんと膝下スカートの下にスパッツのような細身の柔らかいズボンをはいている。

 あまり経験のないブランコでも、しばらく乗っているとこぎ方がわかってきた。

 た、楽しい……!


 いったいどれほどブランコをこいでいたのか。

 少し暑くなってきたので、今度は小川に入ることにした。

 ちょっとイタズラ心が芽生えて小川まで思い切りダッシュすると、アルバートがあわてて走ってついてくる。ちょっとかわいい。

 それにしても、走れるって幸せ!

 靴を脱ぎ、ズボンを膝上までまくり上げると、アルバートが赤くなって視線をそらした。

 ……純情すぎる。

 それとも文化の違いなのかな。この人、女子高生の制服姿を見たら卒倒するのでは。

 小川に入ると、思っていたよりも冷たかった。一気に足が冷える。でも気持ちいい。

 ザリガニとかいないかな、と川底の石をめくってみたけど、残念ながらいなかった。


「聖女様。川底は滑りますのでご注意ください」


「わかりまし、!」


 声をかけられて体を起こした瞬間、お約束のように足を滑らせる。

 すぐ近くにいたアルバートが、片腕で私の背中を支えた。


「申し訳ありません、私が声をおかけしたばかりに。お怪我はありませんか」


「ええ、大丈夫です。ありがとう」


 私の体勢を立て直し、腕を離す。

 こういう時は照れないらしい。

 また転びそうになっても申し訳ないので、川から出てアルバートが差し出してくれた布で足を拭き、靴を履く。

 はしゃいでハイペースで遊びすぎたので、木陰のベンチに腰掛けた。


「ふう……風が気持ちいいですね」


「はい」


「遊びに付き合わせてしまってごめんなさい」


「とんでもない。聖女様が楽しそうで私もうれしいです」


 アルバート優しいなあ。

 オリヴィアになって、最初は嫌われてたけど今ではいろんな人が優しくしてくれる。

 うれしいな。


「次は花冠を作ってみてもいいですか?」


「ええ、もちろんです。聖女様のお好きなことをなさってください。今日のことは忘れますので」


 そんなことを言われて、思わず笑いが漏れた。

 花がたくさん咲いているところまで歩いていき、しゃがみ込んできれいな花をいくつか摘む。

 そして……あれ。これをどうやって花冠にするんだっけ。

 しまった……作ったことがなかった。今さら気づくとは。


「……作り方を忘れてしまったようです。花冠はあきらめます」


 ふ、とアルバートが笑う。

 そして私の前で片膝をつき、花を摘み始めた。

 あれ? と思っているうちに、器用に花冠を作っていく。


「わぁ、お上手ですね」


「幼い頃、姉に仕込まれましたから。末っ子の私は、妹がほしかったという姉の遊び相手でした」


 お姉さんとよく遊んでたんだ。

 小さいアルバートがお姉さんと花冠を作っている姿を想像すると、かわいくて笑みが浮かぶ。


「貴族といっても子爵家、それも三男ともなると身を立てるすべを探さなくてはなりません。姉の言いなりで気弱な私を心配した両親は、十三歳になった私を騎士養成学校へ入れました」


「そうなのですね」


 ……と言っていいのかな。

 でも、オリヴィアもアルバートのことをここまで詳しくは知らないよね?

 彼は花冠を作りながら、話を続ける。


「当時は体格も他の子たちよりも劣っており、剣に関しても才能があるとは言い難かったのですが、聖力だけは強かったので聖騎士を目指すことにしました。そして聖騎士になり中央神殿に配属され、以来ずっとここに」


 なんと言っていいのかわからないので、とりあえずうなずく。

 というか、私が彼のことを知らないという前提で話しているよね。

 やっぱり気づいてるのかぁ。


「才能がなかったかどうかは私にはわかりませんが、団長になられたのはすごいですね。努力の賜物なのでしょう」


「どうでしょう。努力なら、皆していますから」


「そのように言える方こそ、努力家なのだと思います」


「……恐れ入ります」


 少し照れた様子で彼が言う。

 そうやって努力して団長になったのに、オリヴィアに苦労させられて気の毒だわ……。

 そういえば、この人もオリヴィアに誘惑されたりしたんだろうか?

 さすがに「私に誘惑されたことがありますか?」とは訊けないし、もうなかったことにするしかない。


「できました」


 彼が花冠を見せてくれる。

 めちゃくちゃ上手い。

 青と白の花のコントラストが美しくて、形もふんわりと整っている。


「とてもきれいですね。アルバート卿は器用なのですね」


「それほどでもありません。……失礼します」


 彼が、花冠をそっと頭にのせてくれる。

 日本にいる頃には考えもしなかった。

 まさか、たくましいイケメン騎士が器用に花冠を作って頭にのせてくれるなんて。

 ロマンチックすぎない? 異世界最高。


「ありがとうございます」


「その……よくお似合いです」


「ふふ、それもありがとう」


 今日一日で「やりたいこと」がだいぶ叶ったなあ。花冠は作ってもらっちゃったけど。

 あと私がやりたかったことって、学校に行って友達や彼氏を作って……くらいだっけ。

 こうして振り返ってみると、生きたい、健康になりたいという思いだけは強かったけど、夢や希望ってあまり抱いてこなかったんだなと思う。

 学校や友達や彼氏も、自分が本当にやりたかったことというよりも、それが「普通」だから憧れた。

 いろんなことを諦めて生きてきたけど、結局は先のことを考えるのが怖かったのだと思う。

 そして今も、“この先”を考えていいのかな、と迷う。


「聖女様?」


 呼ばれて、顔を上げる。


「どうかなさいましたか?」


「いいえ、何も。素敵な花冠をありがとう」


「恐れ入ります……」


 アルバートが、私をじっと見つめる。

 どうしたんだろう?

 彼の表情は、どこか不安げに見えた。


「あなたは、時折……」


 彼が何かを言いかけて、言葉をのみ込む。


「……いえ。なんでもありません」


「? そうですか」


 風が吹いて、私の髪を、花を揺らす。

 私を見つめるアルバートが、どこかぎこちない笑みを浮かべた。


「あとなさりたいことは、ハンモックでしたか」


「え? ええ、そうです」


「では遠慮なく寝転がってください。私はずっと背を向けておりますので、そのままお昼寝していただいても構いません」


「ふふ、ありがとう」


 お言葉に甘えて、もそもそとハンモックに上がって寝転がる。

 これがハンモックかぁ。思ったより寝心地は良くないけど、でも気持ちいい。


「オリヴィア様」


 宣言通り背を向けたままのアルバートが、呼びかけてくる。

 聖女様じゃなくてオリヴィア様と呼ばれたのは、たぶん初めて?


「はい」


「私は……あなたのような方にお仕えできて良かったと思っております。これからもこの命を賭してお守りいたします」


「……ありがとう」


 元のオリヴィアではなく、私で良かったと。

 そう言われた気がして、うれしくて笑みが浮かんだ。


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