第30話 聖女の祝福


 あの話ってなんのことですかととぼけてみようかなと思ったけど、時間の無駄になりそうだからやめた。


「貧民街のこと、聞いたのは偶然だったんです。散歩中、メイドさんたちが話しているのを聞いてしまって」


 王都の貧民街で、流行り病の熱病が広がっている。

 罹患した人は療養所に隔離されるが、もともと栄養状態の悪い貧民街ということもあり、バタバタと人が死んでいる……と。


 いくら聖女の力に目覚めたとはいえ、自分がそれを完全にどうにかできるなんて思っていない。

 治癒魔法は怪我は治せるけど病気は治せないということだから。

 でも、病気で亡くなっていく人たちが気の毒で、少しでも力になりたかった。

 ずっと病気に苦しんで最後には死んでしまった自分と重ねてしまっているという自覚はある。


「祝福の効果を試そうとしていたということは、貧民街に赴いて祝福をしようと思っていたということでしょう。ですが、それはどうあっても許可できません」


「……私の身の安全の問題、ですか」


「もちろんそれもあります。貧民街は治安が悪いので、大切な聖女であるあなたをそこに行かせるわけにはいきません」


「……」


「それともう一つ。特別な力……特に人の助けになる力は、慎重に使わなければなりません。聖女の奇跡は一般の人々にとっては神の力にも等しいもの。その力で人々を救えば、次も期待します。また、その話が広まれば、今回救いの手が及ばなかった人々が同様の救いを求めるでしょう」


 一度奇跡の力で命が助かったら、次も期待する。他の人も救済を求める。

 それは……そうなのかもしれない。

 飢えている人に炊き出しで支援するという現実的な行為とはわけが違うんだろう。

 馴染みのない特別な力だから、聖女の施す奇跡だから、万能を求めるかもしれない。何人でも助けられると思うかもしれない。

 そして助けられなかったら、その人の家族は期待した分よけいに絶望してしまう可能性がある。


「神殿に寄付金を寄越した貴族には祝福するのに、と思いますか?」


「いいえ……。貴族だけに無条件に祝福しているならそう思うかもしれませんが、彼らはお金という対価を支払っていますから。切羽詰まった状況でもありませんし」


 あくまでギブ&テイクであり、祝福が一方的な施しではないから、次も無条件に期待するということはないんだろう。


「……。ごめんなさい、浅はかでした」


 ルシアンが首を振る。


「それは違います、オリヴィア。人々を思うあなたの気持ちまで否定するつもりはありません。その気持ちは尊いものだと思っています」


「……」


 でも、結局何もできない。

 聖女といっても、決して万能ではなく、様々なしがらみに囚われているだけの存在でしかない。


「……オリヴィア。私は、大神官として聖女であるあなたを守らなければなりません」


「はい」


「ですが、なんでもかんでも否定し、安全のためにただ神殿に閉じ込めたいと思っているわけではないのです。あなたとて意思のある一人の人間です。できるだけ、それを尊重したいと思っています」


「はい……わかっています」


 部屋がしん、と静まり返る。

 重い沈黙に耐えられなくなり、すっかり冷めてしまった食後の紅茶を飲みほした。


「……。オリヴィア。神殿は、貧民街に清潔な水や食料を届ける支援を定期的に行っています」


「そうなんですね。国も支援をしてるんですか?」


「現王も貧民街支援を行っています。医療や環境の整備といったことに力を入れていますね。療養所もその一つで、薬も国費で賄っています」


「なるほど。支援の方向性が違うんですね」


 食料支援も環境整備も大事なことだと思う。

 貧民街の問題を根本的に解決するには、時間がかかるだろうから。


「話を戻しますが。療養所に届ける飲み水を祝福してみますか?」


「……?」


 水を、祝福?


「あなたは、物にも祝福を与えられるようですから。実際に祝福の力を宿せるかは不明ですが、聖女の力は水と相性がいいと言われています。それに、飲み水に祝福の力を宿すのなら、人々に気づかれないですむでしょう」


「……! やってみます!」


「何度も言いますが、祝福の効果は強くありません。それだけは忘れないでくださいね」


「はい」


 うまくいかなくてもがっかりするな、ということなんだろう。

 それでも、一人でも多くの病人が助かるのなら。


 飲み水が入った巨大なかめは、アルバートとヴィンセントが運んできた。

 ルシアンが二人に「他言無用」と告げ、二人は了承した。

 私はその甕に触れ、強く願う。

 どうか病気の人々が元気になりますように、と。

 ルシアンが水に祝福が宿ったのを確認し、甕は二人によって運ばれていった。



 そして、水を祝福してから十日。

 祈りの間での祈りが終わった後、ルシアンによって祝福の効果が知らされた。

 まだ十日なのではっきりしたことは言えないが、治癒までの期間が数日早くなった者が多く、死者もある程度減ったようだと。


 口の中に苦いものが広がる。


 女神像を見上げていると、後ろに立つルシアンに「泣いているのですか」と聞かれた。


「いいえ、泣いてはいません。予想していた結果ですから」


 効果は、ある程度はあったのだろう。治りが早いということは、多少の活力は与えられたのだと思う。

 でも、死の運命を大きく覆すほどではなかった。

 

「私はちょっと、聖女の万能感に酔っていたのかもしれません。死にかけていたメイを救えたから。でもやっぱり……私はあくまで人間なんですね」


「ええ、そうですね。あなたは人間で、女神ではない」


 飾らない物言いに、苦い笑みが浮かぶ。


「ですが、人間であるからこそ、人間の気持ちに寄り添えるのだと思います」


 その言葉に、振り返る。

 ルシアンはいつも通り穏やかな顔をしていた。

 人間だから、人間の気持ちに寄り添える。

 不完全な人間だからこそ――。

 ああ、この人はどうして。

 たった一言で、私の心を救ってしまえるのだろう。

 ようやく、苦さを含まない笑みが浮かんだ。


「そうですね。そう思います」


 ルシアンがうなずく。

 

「病の流行が去るまでは、祝福を続けたいと思います」


 大きな効果はなくても、それで数人でも助かるのなら。病気で苦しむ期間が短くなるのなら。

 私は、振り返らずに自分にできることをやろう。


「ええ」


「ルシアン、ありがとうございます」


「私は何もしていません」


 そんなことないんだけどなあ。

 最初は怖かったこのぶっきらぼうな言葉遣いも、今ではすっかり慣れてその裏の優しさすら感じるようになってきた。


 彼から視線をそらし、再度、女神像を見上げる。


 最初はただ、二度も死にたくないと思っていただけだった。ただ生きていたいと。

 でも、今は。少しでも長く、聖女オリヴィアでありたいと思っている。

 ここで生きていたい。何もできずに両親を悲しませただけの存在だったから、今度は誰かの助けになりたい。

 そう願ってやまない。

 女神様、どうか。

 どうか少しでも長く――。


 

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