第6話 バスケ部後輩・左京加奈の場合(その5)

「私、先輩が好きです。大好きです。先輩になら、私の全てをあげてもいいです。だから……」


左京加奈の顔がアップで迫って来る。

彼女の赤く、そして怪しく光る唇がすぐ目の前にある。

彼女はこのまま俺に迫って来るのか?

俺の手は、まだ彼女の胸の膨らみに接触している。

そこから柔らかさと同時に彼女の体温が伝わって来る。

俺の喉がゴクリと鳴った。

俺は、ここでついに童貞とオサラバできるのか?


「ただいま」


階下から野太い男の声が聞こえて来た。

俺が身体を硬直させるのと、加奈が俺の上から跳ね起きるのはほぼ同時だった。


「加奈、おみやげを買って来たよ。ケーキだ。一緒に食べないか?」


その声を聞きながら、彼女はプレーリードッグにそっくりなポーズで呟いた。


「なんで、パパがこんなに早い時間に……」


パパ? つまりこの声は加奈の父親なのか?


「ン、誰か来てるのか?」


加奈の父親の声に若干不機嫌な感じが混じる。

そうか、玄関には俺の靴があるもんな。

見知らぬ男物の靴があれば、親は当然不審に思うだろう。


ダンダンダン、という音と共に階段を昇って来る。


「か、加奈。早く、早くどいてくれ!」


ハッとなった彼女も素早く俺の上から移動した。

俺が上半身を起こした所で、部屋のドアが開く。


「なんだ、加奈、居るんじゃ……」


現れたメガネを掛けた、いかにも実直そうな中年男性の言葉がそこで止まった。

当然だろう。

足を投げ出し、いかにもいま上半身を起こした俺。

その隣に慌てたように座っている娘。

親なら怪しんで当然の状況だ。


「誰だね、君は」


一気に険しい目になった加奈の父親が、そう聞いた。


「お、俺は……いや僕は……左京さんと同じ部活で……」


しどろもどろに答える俺に、父親は一歩踏み出してさらに強い口調で聞く。


「同じ部活の人間が、なぜ加奈の部屋にいるんだ? しかもこんな夜遅くに?」


今はまだ八時前だから、そこまで夜遅くじゃないと思うが……

しかし握り拳で詰問してくる父親に、俺のその意見は通用しないだろう。


「すみません」


俺にはそれしか言う言葉がなかった。


「すみませんじゃない! 親が居ない娘の家に上がり込んで、君はいったい何をしていたんだ!」


段々と口調が荒くなる父親を前に、俺はどう言うべきか考えていた。

本当は「彼女が鍵を無くしたと言うので、それを届けに来た」と言いたいのだが、それを言っても納得するとは思えない。

そもそも「鍵を届けるだけで、なぜ家に上がり込んでいるのか」という説明にはならない。

だがそんな父親に怒りを感じたのは加奈だった。


「ちょっとパパ、そんな言い方をしないでよ!」


父親が悲しそうな目で娘を見る。


「だけど加奈、知らない男が留守中に家に入っていたら、親としては当然……」


「先輩は知らない男なんかじゃないわよ! 今日は私に勉強を教えてくれていたの! それで私が間違って鍵を先輩の制服に入れちゃったの! それを先輩は届けに来てくれたって訳! それをそのまま返したら悪いでしょ! だから私が『お茶でも飲んで言って』って言ったの!」


「で、でもだな、若い娘の部屋に男が入り込むって言うのは……」


「でもじゃない! 勝手に変なこと考えて、勝手に怒りだして、先輩に失礼でしょ!」


加奈は半分泣きそうな目でそう喚いた。


「そ、そうか」


父親は娘の剣幕におどおどしている。

どうやら父親っていうのは、思っている以上に娘に弱い存在らしい。

ウチの父親は雪華にそんなに甘い態度は取らないから知らなかったが。


「謝って! 先輩に失礼な事を言ったの、謝って! 出ないと私、もう学校に行けない!」


半泣きの加奈にそう言われて、父親は渋々と言った様子で「すまなかった」と俺に言った。

だがその目には、まだ疑惑と反感が浮かんでいる。


「い、いえ、僕の方こそ留守中に失礼しました。それでは僕はこれで失礼します」


俺はそう言って立ち上がると、そそくさと加奈の部屋を出て行った。

玄関で靴を履いていると、加奈が追いかけて来た。


「ショウ先輩、ごめんなさい。いきなりパパが変な事を言って……」


「いや、いいよ。お父さんの言う事ももっともだ」


「私の事、怒ってないですか?」


上目使いにそう言う彼女に、俺は優しく言った。


「大丈夫。怒ってなんかないよ。それじゃあ、また明日、学校で」


そう言って玄関を出ると、俺は止めてあった自転車に跨り、彼女の家を後にした。

左京加奈はそんな俺をずっと見送っていた。

帰り道、俺は自転車をこぎながら思った。


(もしあのまま、加奈の父親が帰ってこなかったら、俺はヤッていたんだろうか……)


(まだ彼女と付き合うという決心もなかったのに?)


そう考えると、あそこで父親が帰って来たのは、結果として良かったようにも思える。

俺は三分の一は残念な気持ち、三分の二はホッとしたような気持ちで帰り道を急いだ。



…………

「なによ、もう! パパのバカバカバカ!」


ベッドに突っ伏し枕に顔を埋めて、左京加奈は思わずそう漏らしていた。


(せっかく先輩をソノ気にさせるために、朝からベッドの上にお気に入りの下着をセットして……)


(制服も可愛くかつチラ見せするように整えて……)


(図書館では先輩の制服のポケットに鍵を滑り込ませて……)


(やっと先輩を部屋に入れる事が出来たのに、全てパパのせいで台無しじゃん!)


怒りのあまり彼女は顔を上げると、枕をボカボカと殴り始めた。


(パパなんて大っ嫌い! 最低! 居なくなればいいのに!)


そこまで思って「やっぱり居なくなると生活が困るから、単身赴任で出て行ってくれればいいのに」と思い直す。


(先輩、こんなことになって、怒ってないかな? 私のこと、嫌いになってないかな? 明日学校で会ったら、どんな顔をすればいいんだろう。アソコまで迫ったのに、もう普通の態度でなんか会えないよ……)


彼女としては策と勇気を振り絞って、今日でショウを射止めるつもりだったのだ。

それが全てご破算になるどころか、むしろ裏目となってしまった。

加奈は再び枕に顔を埋めると、水の中でもあるかのようにしばらく息を止めていた。

呼吸も限界に達した時、ガバッと顔をあげて深呼吸する。

これが加奈が気分を転換する時のスイッチなのだ。


(いや、こんな事で負けていられない。もう後には引けない、いや、引かない。少なくとも私の行為はショウ先輩に伝わったはずだ。これを機会にして、これから猛アタックしてやる! そして私がショウ先輩の彼女になるんだ!)


左京加奈は決意も新たに、そう自分に誓っていた。


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この続きは明日正午過ぎに公開予定です。

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