第9話 トイレの花子さん vs LGBT②

『ティアマト水洗』は日本でも有数の、巨大水洗トイレ博物館ミュージアムだった。古今東西、世界中のトイレが集まっているというこの施設は、駅近くの原っぱにでんとそびえ立っていて、ぼくの通う小学校の2倍くらいの大きさがあった。


 建物の中は薄暗かった。

 駐車場は鎖で閉ざされたままだ。入り口には『本日閉館日』の看板が立てかけてあったが、ぼくらが近づくと、自動ドアがすぅーっと勝手に開き始めた。ぼくといるかちゃんは顔を見合わせた。お互い入れ替わってるから、何だか鏡を見ているような、妙な気分だった。


「……どうする?」

「行くしかないでしょう。ここまで来たら」


 まるで魔界への誘いのように、ドアは大きく口を開けてぼくらを手招いている。ぼくといるかちゃんは恐る恐る『ティアマト水洗』の中へと足を踏み入れた。


 館内はカーテンが下されていて、何だか不気味なくらい静まり返っていた。照明も消されていたが、ところどころ差し込んでくる日光でほんのりと明るい。ゲートを潜っても、幸い監視カメラが作動して警備員が飛んでくる……なんて事態にはならなかった。これも『ティアマト水洗』に棲みついているという、トイレの花子さんの仕業なのだろうか? 


 入り口を抜けると巨大なエントランス・ホールがあって、天井からはシロナガスクジラくらい大きな水洗トイレの模型が吊るされていた。案内表を見ると、この施設には悠に百を超えるトイレが現在も使用可能な状態で展示されているらしい。


『ようこそ、ティアマト水洗へ!』


 何処からともなく機械音声のようなものが流れて、電光掲示板の上に、3Dで描かれたトイレのマスコットが踊り始める。受付にはもちろん誰もいない。がらんとしたホールに、底抜けに明るい音楽がやけに歪んで反響して、何だか廃墟と化した遊園地を訪れたような、そんな薄気味悪さにぼくは背筋を震わせた。


「ごめん、私、ちょっとトイレ……」

「あ、ちょっと!」


 何気なく女子トイレに向かおうとするいるかちゃんを、ぼくは慌てて引き留めた。


「不味いよ。その、いるかちゃんは今ぼくの体なんだから……」

「え……あ!」

「一応ぼくも男だし……その体で女子トイレに入ったら、さすがに変態だよ!」


 そもそも事の発端は、ぼくが女性専用トイレに入ってしまった事なのだ。ここでトイレの花子さんの機嫌を損ねるような真似はすべきではない。


「だからって私に男子トイレに入れっていうの!?」

 いるかちゃんが今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。

「大丈夫だよ……多分。男子トイレにも個室はあるから」

「何が大丈夫なのよ……うぅ。あなたこそ、私の体で男子トイレに入ったりしないでよね!?」


 結局散々揉めに揉めて、ぼくらは代わりばんこに多目的トイレを利用することになった。男女ともに利用できるので、突然肉体が入れ替わった者にとっては、大変有難いトイレである。


 用を済ませ、いざ展示コーナーに向かうと、何とそこには大勢の人だかりが出来ていた。ぼくたちが驚いていると、係の者がそそくさとやってきた。


『整理券を取ってお待ちください。現在2時間待ちです』

「遊園地のアトラクションじゃないんだから」


 2時間待ちのトイレなんて、どう考えても決壊するに決まってる。ぼくらが唖然としていると、ウォシュレット=マンが、『1984』と書かれた整理券トイレットペーパーを渡してくれた。


「一体どこから来たのかしらね? この人たち……」

「さぁ……」


 よくよく列を眺めると、どうやら並んでいるのは人間だけではなさそうだった。どう見ても二足歩行の犬だったり、翼の生えたドラゴンだったり、挙句にはどう見ても一旦木綿にしか見えない、妖怪の類も並んでいた。まるで百鬼夜行の列に加わってしまったみたいで、ぼくはまたしても背筋にヒヤリと冷たいものを感じた。


「大丈夫かなぁ」

「見て! あそこ!」


 だんだんと列が進むに連れ、先頭が見え始めてきた。中央の階段の先にはパイプオルガンみたいな巨大な椅子と、その周りをずらりと囲んだ、観客席のようなものが見える。

「何だか裁判所みたいね」

 いるかちゃんの言う通りだった。


 一際高いところに陪審員が並んでいて、死体のような冷たい表情でぼくらをじっと見下ろしている。先頭に並ぶ者はやがて階段を登らされ、被告人よろしく、巨大な椅子の前に立たされる。そこで真っ白なスポット=ライトを三箇所から浴びせられ、何だか舞台俳優みたいになっていた。


『えぇ、静粛に! 静粛に!』

 

 突如カン! カン! とハンマーを叩く音が響き渡る。

『これより裁判を開廷いたします!』


 ぼくは裁判の様子をもっとよく見ようと首を伸ばした。中央の、真っ赤な布地が被せられた巨大な椅子には、中学生くらいの少女があぐらを掻いて座っていた。やたら目つきの鋭い、ピンク色をした、おかっぱロングの少女だった。黒いTシャツにホットパンツという、ところどころ服の破れたパンク=ロック風の衣装を身に纏い、釘付きの金属バットを指揮棒のようにして軽々と振り回していた。ぼくは目を丸くした。


「もしかして、あれがトイレの花子さん……!?」

『……それで被告は、男性であるにも関わらず自分は心が女性であると偽って、女子トイレに侵入したのです』

『よし! 死刑!』

『ちょっと待ってくださいよ裁判長!?』


 列の一番先頭にいた、心は女性だと言う男性が慌てて叫んだ。


『どうしてそう決めつける……分かるんですか!? 私の心の中が!?』

『分かるわけねーだろ人の心なんて』

 裁判長……トイレの花子さんと思われる少女が煙草に火を点けながら被告を睨んだ。


『だったら……! わ、私は本当に心が女性なんだ……だから!』

『けどよぉ、便所は体を使う場所なんだから、体の性別で分けるのが当然だろうが。心から×××××流すんかテメーは』

『裁判長! 言葉に気をつけて!』

『よってテメーは! 死⭐︎刑!!』

『ぎゃ……ぎゃああああっ!?』


 突然先頭の男の姿が消えた。足元の床がパカっと開き、ぼっとんと落ちて行ってしまったのだ。観客席からドッと歓声が湧き起こる。花子さんが大きく煙を吐き出し、満面の笑みを浮かべた。


『ぎゃーっはっはっはっは! 正義を執行するのはカ・イ・カ・ン♡だぜぇ〜!!』

「ど……どうしよう!?」


 ぼくらは顔を見合わせた。このまま並んでいれば、ぼくらもいづれ花子さんの前に引き摺り出されるだろう。もし返答を誤れば、ぼくらも死刑ぼっとんされかねなかった。

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