第14話 家族の話
珈琲店『フルハウス』――
ここは店長の秋名陽一の淹れたオリジナルブレンドのコーヒーを楽しみながら、妻の美乎がレシピを書いたスイーツやアルバイトの真鍋守が仕込んだカレーやハンバーグなどを味わえる落ち着いた空間だ。
しかし今、店内はそんな落ち着いているはずの空間からはかけ離れている。
まるで全方向から引っ張られたかのように空気が張り詰めているのだ。
サイフォンからコーヒーが蒸留、抽出されるのをじっと待つ陽一。
そしてその陽一の真正面には心の彼氏である明星月兎の姿があった。
「ねえ、あそこにいるのって――」
「うん、明星くんだよね。確か、秋名さんと付き合ってるはずの」
「親公認ってこと?」
「いやでも、マスターめちゃめちゃ表情険しいじゃん」
この店は心の提案で学割とスタンプカードが使えるので、学生客も非常に多く、フルハウスで勉強をするという名目でスイーツを食べにくる生徒もいるくらいだ。
なので、噂がこの店中心に拡散されることも多く隠し事はあまりできない。
心に彼氏が出来たという話を知ったのも陽一は客経由だし、魔法少女の話題なんかも度々飛び交う。
「ミルクや砂糖は卓上のものを自由に使ってくれ」
「分かりました」
サイフォンによる抽出が終わった。
何年も何年も研究を重ね、あらゆる道を模索した陽一だが初めてコーヒーを飲む客というのはやはり緊張するものだ。
ましてや相手は愛娘の彼氏、迂闊なものは出したくない。
月兎がカップを手に、ゆっくりとコーヒーを口に運ぶ――のを横目に見ながら溜まった汚れた食器を洗い始めた。
感想など気にしないフリ――アラフォーに足を突っ込んでもこういうところは成長しないものだ。
「熱ッッッッ!!」
「……猫舌なのか」
コーヒーは淹れたてを味わうのが一番良い、というがやはり猫舌には辛いもの。
月兎は息を吹きかけながらゆっくりとコーヒーを飲むことにした。
◆◆◆◆◆◆◆
月兎は少ない小遣いからアップルパイを購入し、コーヒーに湯気が立たなくなってようやくコーヒーを飲めるようになった。
アップルパイは心が趣味で焼いたものを陽一が絶賛してレシピ化したものだ。
レシピ帳に書かれているものも心が監修しており、そのため何ホールもアップルパイを焼いて食べる羽目になったがそれももう良い思い出だ。
「美味しい」
「そうだろう、このレシピは心が作ったものでな。――まあ、心の独力じゃなく美乎の力添えもあったけどせいぜい口出ししたくらいで」
「……美乎、さん?」
「ああ、俺の妻で……心の母親だ」
陽一はチラリと食器棚に飾られた美乎の写真を見る。
そこには明るく笑う若い頃の陽一と、赤ん坊を抱いている美乎と、生まれて6ヶ月ほどの心が写っている。
「秋名さんの、お母さんは確か――」
「3年ほど前にな、交通事故で」
「……」
「あんまり気にせずに遊んでやってくれ。その方が色々と嬉しい、と思う」
まだ中学生だしあんまり無茶な遊びはしてほしくないが、口煩い彼女の親だとも思われたくない。
そんな父親にはなりたくないのだが、本当はめちゃめちゃ口出ししたい。
「親、父親って――こんな風に寛大な感じなんですね」
「ま、まあ。そうだな、娘に勉強しろー!としか言わない親も多いけど、奥様達にあれこれ聞いてだな、勉強してるつもりだ」
「……僕は、親っていうのがよく分からないんです。今は義理の両親に育てられますけど、元の両親は逮捕されて――今はその、何しているかも」
――マジかよ。
という言葉が咄嗟に出そうになったが、陽一は慌てて飲み込んだ。
心の彼氏と陽一の修羅場を内心ワクワクしてた客たちも絶句する。
ザワ……ザワ……
というヒソヒソ声が目立ってきたが、陽一は慌てて話題を切り替える。
「そうだ、その……ええと、今のご両親は?」
「7歳から孤児院に入って、月の郷っていう北海道の施設で小6まで育てられて。中学からは今の明星家に引き取られました」
「良くしてもらえているか?」
「ええ、本当の子供のように――」
月兎はそう言うと、ミルクの溶けたコーヒーを口に運ぶ。
少し温くなったがこのくらいが丁度いいらしく、アップルパイと並行して食べ進めている。
――両親の逮捕とは、虐待によるものなのだろうか?
だとしたら、心が彼に強く惹かれたのは何か引っかかるものがあったからなのだろうか?
片親だなどと言わせないと〝差別〟に対する抵抗で店に対するモチベーションを保っているのに、まだ中学生の子供に対して猜疑心を抱いてどうする?
むしろ、虐待による心の傷を少しでも癒せるよう努力しようと思うところではないのか?
「だから……高校を出たら独り立ちしようと思っているんです。高校生のうちにアルバイトをして、お金を貯めて、大学に上がるなり就職するなりして……仕送りをしながら一人暮らしが一番両親が助かるかなって。もしも、その時が来たら色々相談させて貰ってもいいですか?」
言葉に困ってしまう陽一。
陽一も両親に〝普通〟に育てられた、社会が示す〝一般的な〟家庭だ。
今も両親は健在で、長期休暇の度に『心に会わせろ』と言ってくる孫を溺愛している〝普通の〟老人だ。
だから、月兎とどう接したら良いのか分からずにいるし言葉に窮してしまう。
「良いじゃないすか、どうせなら高校出たらここで雇っちゃいましょう。俺欲しいっす、部下」
「真鍋……」
言葉に詰まっている陽一に助け舟を出すように真鍋が会話に乱入してきた。
ディナーメニュー用のスパイスカレーもひと段落つき、後はルーが落ち着くまで煮込むだけというところだ。
「真鍋――お前、もしかして明星くんが高校卒業するまでここに居座るつもりか?」
「え゛、いやいや……大学出たら就職するつもりでしたけど、ここに」
「正社員か……雇用コストがなぁ、アルバイトのままだったら余裕なんだが」
真鍋は急に青ざめる。就職先の一つとしてフルハウスで働き続けるというのはどうか、と陽一が提案してくるから大学の授業も必要最低限に留めて就活せずにここで働いているのに。
「いや、それだと話が違うじゃないですか! こっから就活を視野に入れて行動しないと――」
「冗談だよ、俺も早く気楽なオーナー生活がしたい。はよ論文書いてとっとと卒業しろ」
「――まさか、俺を正社員にしたら店に立たなくなるつもりじゃ」
「じゃなきゃお前なんぞ雇わん」
「酷い!!」
いつも通りの陽一と真鍋の漫才が始まった。
そして、そんな二人の漫才を月兎は眺めている。
その表情は穏やかで優しい眼差しであり、それを見た二人は心の中で胸を撫で下ろす。
◆◆◆◆◆◆◆
――夜、フルハウスの店の前。
流れで真鍋が仕込んだカレーまで食べさせてもらったので月兎は真鍋と陽一に深々とお辞儀をしている。
「ありがとうございます。カレーまでご馳走になってしまって」
「おかまいなく。どうせだし、今度ご両親も連れてこい」
「いいんですか?」
「この間の、アレだ。心が世話になった」
真鍋が隣にいるので陽一は言葉を濁している。
心が痛みで気を失わないようにそれを戦闘中に肩代わりしていた。
本当ならカレーとコーヒーでチャラに出来ないような恩なのだが、魔法少女やハートイーターの件は他者には話せないのでこれからゆっくりと違和感が残らない程度に返していくつもりなのだ。
「すごく美味しいカレーでしたから、きっと父も母も喜びます!」
「ただし、俺がいる日にな。店長権限だから」
「それでは、また後日」
またペコリとお辞儀をして家路への道程を歩き出す月兎、それを見送る二人。
「良い子ですね、彼。心ちゃんが惚れるのもやむなしっていうか」
「良い奴すぎ、あんなんじゃダメだ。これからゆっくりと教えてやらないと」
「良い奴過ぎだとダメなんすか」
「そのうち分かるさ」
陽一は不服そうな顔で店の中へと入っていき、真鍋もまたそれに続く。夜は七時、月が宵闇を照らしていた。
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