現役魔法少女ですが、父親と彼氏まで変身したがるので困っています

一ノ清永遠

第1話 お母さんが死んじゃった日

 左手に買い物袋を提げて、右手には自分よりも大きくて柔らかな手の感触――それと、水色とオレンジ色の混ざりあいそうな不安定な夕刻の空。


――ああ、またこの夢なのか。


秋名心はもういないはずの隣で歩く自分の母親を見る。

まだ、この時は背が伸びる前だからすっかり慣れた自分の今の身長よりも幾分低いこの身体には違和感がある。

大好きな母親を見上げる娘に、母親は優しい笑顔で問いかけた。



「どうしたの? 心」

「ううん、なんでもない」



この夢を視てから目を覚ます度に、心は目が腫れるほど泣いてしまう。

悲しくて苦しい夢、だけどこの瞬間だけは幸せな気分に満たされる。

母と繋ぐての感触が懐かしくて、包まれた手と一緒に自分の心まで温かくなる。

だから、夢はここで終わってしまえば幸せなまま目を覚ます事が出来るのにといつも思う。

だけど、それは彼女の中に秘められた〝心〟がそれを許してくれないのだろう。



「ねえ、心。今日のお夕飯はチーズオムライスにしようと思うの」

「本当!?」



チーズオムライス、それは心の大好物だ。

トマトペーストとケチャップ、透明な玉ねぎとチキンの旨みが凝縮されたチキンライスに半熟卵とチーズでトロトロのオムレツが乗っている母が父を口説き落とすために作った渾身の一品。

なかなか振り向いてくれない父親を惚れさせるために頑張って作ったオムライスという話を聞いて心はげんなりしたけれど、幼い頃に食べてからチーズオムライスが大好物になってしまった。



「お父さん、最近アルバイトの子が就職しちゃったせいで大変そうにしてるでしょ? それを少しでも癒してあげたくて」



そう、確かこの時は全部の仕事を父一人でこなさなきゃいけなくて毎日疲れた顔をしていたなと心は思い出す。

料理下手な父は母から料理を教わって、それでようやくお店を開く事が出来るようになったのだという。

今でも父の試作料理とやらを食べて心は何度か酷い目に遭うくらい、料理人としての適性は低いのだと思うけど母の書いたレシピ通りに作れば美味しい料理が出せるようになった。

もちろん、メインであるコーヒーは父の仕事なのでそこはバッチリ仕事をするのだけど。



「……お父さんって、お母さんがいないと何にもできないよね」

「あら、そんなこと――あるかもしれないわ。困ったわね」



父は一人で起きることが出来ない。掃除も適当だし、バリスタとしての服も母が整えている。

父のやることといえば、コーヒーを入れてお客さんに振る舞うくらいであのお店だって母がいてなんとか成り立っている。



「ねえ、心。もしもお母さんに何かあったら、お父さんのことをお願いね?」

「何かあったらって、何?」



太陽が沈んで、母の顔がすっかり見えなくなっていた。

初めて母のこの言葉を聞いた時、心は心臓の鼓動が速くなって、血の温度が冷めていくような感覚を覚えた。

母がどこか遠くへ行ってしまうのだ、という嫌な予感がしたから。

そしてそれは、この直後に的中した。



「心、お母さんはね――」


母が何かを語ろうとした瞬間、母は目を丸くして正面を向いた。

何が起こったのだろうと心が同じ方向を向いた時、自動車のタイヤの回転でアスファルトが悲鳴を上げるような音が聞こえた。

そして、その異様な轟音を鳴らしている物体が心に向かって飛んできたのだ。



「心……!!」



滅多に聞いたことのない母の怒鳴り声が聞こえたと思ったら、心の体は小さな衝撃を受けて地面に転ばされた。

そして、隣に立っていたはずの母の姿は見えなくなる。



何度も何度も繰り返して視たはずの夢――いや、この場合は記憶の追体験というべきか。

この瞬間だけは、胸が締め付けられて吐きそうになる。



「お母さん!!」



心は起き上がり、車に撥ね飛ばされた母の元へと駆け寄る。

陽は落ちてしまったがあちこちから血が流れ出ている事が分かる。



「あっ……きゅ、救急車、呼ばないと」



血が流れているだけならまだ助かるかもしれない。

助からないだなんて想像出来なかった。

でも、これを〝夢〟として視ている心はもう助からないと分かっている。

分かっているはずなのに、この〝起きてしまった事実〟だけはどう足掻いても変えられなかった。

セリフも、行動も、傍観者として見ているだけで自分自身の行動だけは変えられない。

スマートフォンを取り出して電柱に記された住所を伝え、救急車を呼ぶ。



「心……おねがい、ね。お父さん、を……助けて、あげて」



救急車に場所を伝えてから数十秒、母親は弱々しい声で話し始める。

まるで、これが最後の会話であるかのように。

心は家族のことも自分のことも諦めてしまったかのようで、それが酷く不安だった。



「何言ってるの、お母さんはこれからも私たちと一緒なんだよ! だから、これで終わりみたいに言わないで!!」

「そう、ね。……お母さん、ずっと、陽一さんと……心と、一緒だものね……」



心は、この時の虚な母の表情がたまらなく怖かった。

今ならなんと表現すれば良いのか分かる。目の焦点が合ってないのだ。もう、何も見えてないのだろう。



「心――」



何かを言いかけて、母親からガクンっと力が抜ける。体を揺さぶるが、体がずしっと重い。

まるで置物になってしまったかのように感じる。



「お、お母さ――」



事切れてしまった母の名を呼ぶ心だが、ドンッ!と、後ろの方で爆発音が聞こえて青ざめる。そうだ、危ないのは運転手の方も終わりだ。

車からは炎が上がり、運転席がごうごうと燃えてガラスも弾け飛んでいる。



「わ、私……私は……」



こうなってしまったらもう助けられない、自分が火だるまになってしまうだろう。

この辺りに水なんて無い、買い物袋にも水は入っていない。

遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてくる、きっと母を助けにきたのだろう。でももう、手遅れだ。

だが、ごうごうと燃える炎の中から何か黒いモノが出てきた。それは、人の形をしていないことだけははっきりと分かった。

真っ赤な一つ目が光り、ギョロギョロとあたりを見回している。



「えっ、何……?」



そして、炎に照らされたおかげではっきりと分かったがその異形の怪物は血みどろの男性を咥えていた。

その怪物は私を見るなり踵を返し、闇の中へと消えていく。

母を車で轢き殺した男が、化け物に連れ去られたという事だろうか?



血だらけの母、闇に消えていく異形の怪物、いなくなった運転手、燃え上がる車――



これが、秋名心という一人の少女が繰り返し見る夢である。

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