夜中の襲撃者

 傘をさすのも忘れて家の外に出ると、風と雨がスヴェンの頬を叩く。


 そんなことはお構いなしに、恐らく彼女がいるであろう場所、畑へと向かった。


 そこで目にしたのは、スヴェンと同じように雨に打たれながら、数人の人影と対峙するティアーナの姿だった。


 その足元にある、彼女が今日まで育ててきた作物は奪われ、畑は見る影もなく荒れ果てていた。




「ティアーナ!」


「ちっ、新手かよ」


「でも相手はまだ二人だぜ。ユーグ、一気にやっちまおう」




 先頭に立つ、一際大柄な影の男――名はユーグと言うらしい――が一歩踏み出す。




「ばれるつもりはなかったんだ。こっそりと食料をいただく、それだけでよかった。判るだろ、俺達にも生活があるんだよ」




 見下ろされても、ティアーナは怯むことなくユーグを睨み返す。


 近付いたことでわかったが、ユーグの頭の上には人間とは違う耳が二本、空に向かって生えている。


 亜人、そう呼ばれる人の亜種。




「成程。君が街を荒らしている賊か」


「その言い方は好きじゃねえな。言ったろ、俺達だって食うためにやってる」


「食べるために人のものを奪っていい法はない。ここは帝国領だ、帝国の法に従ってもらう」


「お前等お綺麗な人間様の方なんか知ったことかよ! てめぇら帝国が俺達の住処を踏み躙り、こんな風にさせたんだろうが!」


「……それは……!」




 オルフェリア帝国は建国後、周囲の部族に対して武力を用いた強引なやり方で屈服させ土地を切り開いた。


 無論、その中にはユーグのような亜人種も交じっていただろう。ましてや人間とは似て非なる彼等に対する扱いは、一部では苛烈なものとされていた。




「てめぇらが俺達の土地を奪ったから、俺達はこうなっている。だから奪い返してるんだ、それの何が悪い!」


「近年の帝国では亜人の保護や生活の向上に対する声も上がっている。君達が貧困に喘ぐ理由があるのならばそれをちゃんと証言すべきだ」


「ふざけてんのか! それで俺達の明日の飯がどうにかなんのかよ! 奪われた土地が帰ってくるのか? 死んだ奴が戻ってくるのかよ!」


「……命は戻らない。だけどこれからのことを考えればそうすべきだ」


「はんっ。話し合っても無駄だな。てめぇらみたいな他人から奪ったもので贅沢している奴と俺達の考えは相いれない。いや、お前等は奪うどころか、他の誰かが奪ったものを金で買ってるだけのくそ野郎だろ?」


「君達からすればそう言うことになるかも知れない。でも僕は君達の為に……」


「うるせぇ! もう説教は飽き飽きだぜ!」




 風を切る音が、雨音を切り裂いた。


 ユーグは手に持っていた槍をスヴェンに向けて突きだす。


 命を奪うつもりはない、あくまでも脅しのための一突き。


 だがそれは、スヴェンに近付く前に動かなくなった。




「な、なんだよ……?」


「わたしには貴方の事情は関係ないわ」




 槍の穂先が、ティアーナによって掴まれていた。


 彼女の手から落ちる赤い雫が、夜の黒い雨に交じって地面に落ちていく。


 ユーグは急いで槍を引き戻そうとするが、華奢な女の手に握られているとは思えないほどの力で拘束されて、全く動かすこともできなかった。




「ティアーナ、下がるんだ!」


「その必要はないわ」




 ぐいと、ティアーナが力を込めて手を捻ると、それだけでユーグは腕ごと捩じ切られそうになり、あわやというところで手を離した。




「なんだよこの女……」


「構うなユーグ! やっちまえ!」




 後ろで彼の仲間が囃し立てるが、誰一人として前に踏み出そうとはしない。


 そしてスヴェンもまた、彼女の迫力に気圧されていた。




「わたしは生きる上で、他の何かを奪うことを否定はしない。弱き者は喰われ強き者が生き残るのは自然の摂理、生命の流れだから」




 囁くようなティアーナの声は、しかし雨音に掻き消されることなくその場の全員の耳に確かに届いていた。




「でも他の誰かから同じように奪おうとする場合、貴方は報復を覚悟しなければならない。もしそれに耐えられないようであれば貴方は弱者、生きていく価値のないものよ」


「ふざけんなこのくそ女ぁ!」




 ティアーナの言葉に耐えられず、ユーグは拳を突きだす。


 彼女はそれを避けない。――避ける必要などないと言外に語っていた。




「数を揃えて、俺達の知らない技術を使って、時には俺達の仲間を金で釣って懐柔して、そんな卑怯なやり方で奪われたんだぞ! なんでそれで納得しろっていうんだよ!」




 ユーグが語る言葉に偽りはない。


 帝国は急速な国土拡大を目指すあまり、強引で卑怯な手段も取ってきた。


 スヴェン自身がそれに加担したことはないとはいえ、彼からすれば同罪だ。




「だからなに?」




 ユーグの拳が、ティアーナの額にぶつかる。


 並の人間ならば一発で気絶、下手をすれば命にかかわるほどに一撃を受けても、ティアーナは全く怯まない。




「奪われたのは貴方が弱かったから。淘汰される理由があるとするのならばそれはもう貴方が大地にとって必要とされていないからよ」


「その口を閉じろよ!」




 胸倉を掴もうと伸ばされた手は、ティアーナの右手によって拒否された。




「他者のものを奪うということはこういうことよ。ましてや、それが自分よりも強いものだった場合はね」




 そしてティアーナは無造作に、緩慢な仕草でもってして、ユーグの身体を放り投げた。


 矢のような勢いで飛ばされたユーグは、背後に控えていた仲間を巻き込んで、彼等の抱えていた奪った作物を撒き散らしながら転がっていく。


 地面に倒れたユーグの傍に立ち、ティアーナは腕を組んで無様に寝転がるその姿を見下ろしていた。




「ば、化け物……!」


「それが最期の言葉? 冴えないわね。さっきまでの威勢は何処に消えたの?」




 ユーグだけではなく、彼と一緒に来た者達も既に戦意を失い、痛みで立ち上がることのできない身体を引きずって必死でこの場から立ち去ろうとする。


 しかし、ティアーナは恐怖を煽るように、彼等に一歩一歩近付いていく。




「ティアーナ。やめるんだ」




 その間に、スヴェンが割り込んだ。




「……なんのつもり?」


「彼等が殺すほどの罪を犯したとは思えない」


「……ええ、彼等の行いに罪はないわ。単に奪おうとして、それが失敗しただけの話よ。その相手が少し、悪かったわね」


「失敗したからって殺すことはないだろう。現に彼等にもう戦意はない」


「罪の重さの話ではないわ。弱者は死ぬ、それは理よ。わたしの物を奪おうとした、その報いは受けなければならないわ」


「それは認めない。ここは帝国領で、彼等は帝国の法によって裁かれるべきだからだ。残念だけど、ここには自然とは異なる決まりがある」


「……ふぅん。人間が作った法に従えと?」




 スヴェンは頷く。


 ティアーナはいつも通りの、何を考えているのか判らない表情で、スヴェンを値踏みするように見据えた。




「付き合う理由がないわ」




 素っ気なく言い捨てて、横を擦り抜けようとする。


 スヴェンの力では止められないことが判っているのか、その動作は挑発するかの如く緩慢だった。




「ある。君は僕の家族だ」


「……それで?」


「お互いに違う常識があっても、それを上手く擦り合わせるのが家族の在り方だ。僕はそう思ってる」




 ティアーナの歩みが止まる。


 真横に並んだ彼女の表情を見ることはできないが、発せられる空気は剣呑なものから若干緩和されたように感じられた。




「まぁ、いいわ」




 泥に塗れたユーグを見下ろす。




「無様ね。惨めに、這い蹲って失せなさい。それが敗北した貴方の代償。命に比べれば、大分安いものでしょう」




 口元に、最大限の嘲りの笑みを浮かべて、ティアーナはそう言い捨てた。


 それを聞いたユーグは、力が入らない身体を腕の力で引きずって、ティアーナの言葉通りにその場から離れていく。


 スヴェンとティアーナの二人は彼等の姿から背を向けて、家へと戻って行く。


 扉をくぐって部屋に入るなり、スヴェンはティアーナの手を取って入り口すぐにある食卓の椅子へと座らせた。




「……どうしたの?」




「槍を掴むなんて無茶をする! 今傷薬を持ってくるからちょっと待ってるんだ」


 二階にあるスヴェンの部屋から、チャドに卸している薬の余りを一つと、身体を拭くための布を手に取ると、足音を立てて階段を駆け下りる。




「これを塗って包帯を巻いておくんだ」


「その必要はないわ」


「必要だよ。放っておくと化膿して病気の元になる。それに肌に傷がついたままになったら大変だろう。染みるかも知れないけど……」




 スヴェンの言葉は途中で終わった。


 語るよりも見せた方が早いだろうと、ティアーナが向けた掌には、確かに先程まで血が流れていたはずなのにもう一片の傷もついていない。




「この程度の傷ならすぐに再生するわ」


「……驚いた」


「生命の鼓動が活性化すれば、肉体に付いた傷はすぐに治る。大地に足を付けている限り、大抵の怪我はわたしにとって意味をなさない。……何をするの?」


「髪を拭いた方がいい」




 今度は柔らかな布でティアーナの頭を覆い、少し乱暴に髪を拭いていく。


 最初こそ少し抵抗する素振を見せたものの、害がないと判るとティアーナはされるがままになっていた。




「心配してくれたの?」


「当たり前だろう。君の力はわかっているつもりだけど、危険なことは避けてくれ」


「約束はできないわ。でも努力はする」




 布の下からくぐもった声で彼女はそう答えた。

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