第25話 だます

 封印の鍵を持ち、完成する呪文を確かに唱えたのに、何も起こらない。周囲の空気がわずかに振動する気配もなかった。

「なぁに? あなた、ここまで来て失敗したの?」

 エンルーアが冷たく言い放つ。

「そんなはずは……」

 そばにいるムウも、さすがに困惑していた。邪魔者を寄せ付けないように威嚇している間に、魔法使いは全てを終わらせるはずだったのに。

 なぜかまだ、何も起きない。

「鍵は四ついるんでしょう?」

 セルロレックの声に、タッフードがはっとしたようにそちらを見る。

 少年魔法使いの手には、自分が持っていた封印の鍵と同じ白い珠が一つ、握られていた。

「数が揃ったと思って、余程浮かれていたんですね。あなたが持っている鍵の一つは、ぼくが出したものです。あなたが見下しているペーペーでも、これくらいならできますからね」

 言われてタッフードが見ると、一つが微妙にいびつな形をしていた。白さも他の物よりくすんだような色。

 にせものの鍵だ。

 まさかあの新人魔法使い達が自分ににせものを渡すなんて、さすがの彼も考えなかった。考えなかったから、しっかり確認をしなかったのだ。

「ぼくは、エンルーアの館から単独行動をしました。それはあなたの館でも話しましたよね。その時、先にアズラの所から取り戻した鍵と、ぼくが出した鍵をすり替えたんです」

 横で聞いていたレラートは、目を丸くしていた。

「セル、お前……そのことは俺にも言わなかったじゃないかっ」

 タッフードを疑っている、という話は二人でしていたもものの、セルロレックが封印の鍵をすり替えていたなんて、レラートは今の今まで気付いていなかった。

 ここが地面の上で、お互いが魔獣に乗っていなければ、間違いなくレラートはセルロレックに掴みかかっているところだ。

「ごめん。言うと、レラートの心理的負担がさらに増えると思って」

「今更何だよ。俺、今すっげー落ち込んでたのにっ」

 狼の背で、レラートが突っ伏す。

「そうよ、セル。ひっどぉーい。ここへ来るまでに、話す時間はあったじゃないの」

「セルってすごぉい。セルにもにせの鍵が出せるなら、あの人にわざわざ用意してもらわなくてもよかったんじゃないの?」

「……フォーリア、今はそういう話じゃなくて」

 レラートが突っ込みかけたが、脱力してその気も失せた。

「ぼく達が渡した鍵をあなたが本当に壊そうとしたら、言い出すつもりでした。でも、持ち去ってしまい……渡さなくてよかったです。四つ揃えて封印を壊すことができなくても、完成させる邪魔ならこれでできますから」

「くっ……」

 タッフードの顔に、初めて本気で悔しそうな表情が浮かぶ。

 今までは、鍵が自分の手元にあることで、完全に優越感に浸っていたのだ。その優越感は、霧の中へ消えて行く。

「彼は四つ揃えて鍵を壊す、と言ったのかね」

「え? あ……はい」

 アズラに尋ねられ、セルロレックはうなずいた。

「壊す場合は、一つでも十分だ。それで力のバランスが崩れ、封印は用をなさなくなる」

 アズラは細かいいきさつなど、もちろん知らない。

 だが、自分達と同じように彼らも騙されていたらしい、ということは、四人の言葉からわかった。

 封印の魔法は封じる対象によって使い分けられるため、細かいことを言い出せばいくつも方法があげられる。

 だから、タッフード達が使った魔法を若い魔法使い達が詳しく知らない、ということは十分にありえた。

 それなら、教えてやるべきだ。

 現状を打破する鍵は、まさに少年魔法使いの手の中にあるのだ、と。

「アズラ、余計なことを……」

 若い魔法使い達は、アズラを睨んでいるタッフードを見た。

 彼は四つの鍵を同時に壊さなければ、竜に支障があると話していた。その点でも、彼は四人を騙していたのである。

 タッフードが最初に持っていた鍵さえ壊せば、人の館へ忍び込むようにして鍵をすり替える必要などなかったのだ。

「貴重な情報、ありがとうございます」

「丸ごと持って行かれるくらいなら、最初からなかったことにすればいいんだわ。あなただけにおいしい思いをさせるもんですか。残念だったわね、タッフード」

 エンルーアが鼻で笑う。

 竜の力をあきらめるには、あまりにも惜しい。だが、鍵の一つは若い魔法使いに、三つは北の国で実力者の一人に数えられている魔法使いに握られている。

 さらには、そばに東西それぞれの国の実力者もいる。

 攻撃の魔法はここでは役に立たず、女性の腕力では到底かなわない。冷静に見て、四つの鍵が自分の手元に転がり込むなど、この状況では奇跡でも起きない限りありえないだろう。

 だったら、誰の手にも渡らないようにしてやる方がいい。

 エンルーアは、そう判断したのだ。

「こんな若い魔法使いに騙されるとはな。人をおとしいれようとするから、こうなるのだ」

 同情の余地はない、とばかりにテルワーグが言い放つ。

 自分も、年下の魔法使いにこうして騙されてしまった。彼自身は人を陥れようとしたつもりは全くなかったが、他人が聞いても言い訳としか取られないだろう。

 タッフードに向けた言葉は、自分自身にも向けたようなものだ。力に固執するあまり、道を踏み外してしまった自分に対して。

「やめろっ。鍵に手を出すな」

 タッフードがセルロレックに火を向けた。レラートが乗る火の狼さえも焼き尽くしそうな業火だったが、セルロレックへ届く前に消えてしまう。

「お前自身がさっき言ったではないか。ここで攻撃魔法は使えない、と。わしより若いのに、もう忘れたのか」

「くっ……」

 テルワーグが冷たく言う。

 竜の聖域で攻撃魔法は効果がない。自分が攻撃されることはないが、相手を攻撃することもできない。

 怒りと焦りで、タッフードの頭からそんなことさえ抜けていた。

「ムウ、あいつの鍵を奪え」

 白い蛇の巨体が、白い槍のように飛ぶ。だが、フォーリア達三人がセルロレックの周囲に結界を張り、その攻撃を阻んだ。

 一人ではムウに対抗できなくても、三人同時となれば簡単には破れない。ムウは若い魔法使い達の結界に当たり、跳ね返された。

「小賢しいことを……鍵を返せ! それは私のものだっ」

「何を寝ぼけたことを抜かしているか」

「厚かましいわね。私達の存在を無視するつもりなの?」

「人をいいように使っておいて、よく言えたものだな」

 魔法が通じるなら、三人の魔法使い達はタッフードに攻撃をしかけていただろう。

 ここでそれはできないが、タッフードが鍵を持つ魔法使いに何かしようものなら、何が何でも邪魔するつもりだった。

「絶対に返しません。ぼく達はこうするためにずっと動いてきたんです」

 セルロレックの呪文が、封印の鍵である白い珠を真っ二つに割った。

「……」

 さっきタッフードが呪文を唱えた時のように、周囲は静かなものだ。

 フォーリアやテルワーグ、エンルーアが乗る魔鳥の羽ばたくかすかな音しか聞えない。

 長いような、短いような時間。誰もが動きを止めたまま、どこを見ればいいのかさえもわからなかった。

 何も起きない。ここにも何か引っかけがあるのだろうか、と誰もが思った。

「え?」

 誰かの口から、そんな言葉がもれた。いや、一人ではなく、数人から。

 空気が変わったような気がしたのだ。ほんのわずかだが、周囲がこれまでと全然違う空気になったような。

「まさか……結界か?」

 テルワーグが周囲を見回す。言われて他の魔法使いも、呪縛が解けたかのようにあちこちを見回し、視線を走らせた。

 光景は、それまでと変わらない。だが、薄いヴェールで周囲から区切られたように、かすかな違和感がある。

「誰が何のために結界なんて張るのよ。まさか……」

 エンルーアの顔が青ざめた。

 張られたかどうかも感じ取れないような、薄い結界。だが、意識した途端、どうやっても破れない堅牢な結界に思えた。

 普通の魔法使いに、こんな結界が張れるとは思えない。

「鍵が壊れ、我々の封印が崩れたのだ。現れてもおかしくない」

 落ち着いた口調で言っているが、アズラの顔も少し青ざめていた。

「やはり相手が悪かったか……」

 テルワーグが自嘲気味につぶやく。

 みんなわかっているのだ。封印が完成しないまま崩れてしまい、竜を押さえ付けていたかせは消えた。

 奪われかけた力がその身体へと戻り、竜は復活する。

 この薄くて、しかし人間には決して破れない結界は、そのことを現わしているのだ、と。

 力を奪おうとして失敗したのだ、返り討ちに遭っても、文句は言えない。力だけがほしくて命まで取る気はなかった、と言い訳したところで、実際に殺されかけた相手が納得してくれるはずもないだろう。

「あと少し……あと少しだったのに……」

 タッフードが若い魔法使い達を睨む。あの穏やかそうな面影は微塵もない。どこか狂気じみている。

「リリュースの力は、リリュースのものよ。誰かが奪っていいはずないわ」

 魔法使いの視線に負けず、フォーリアが言い返す。

「だいたい、竜の力を扱えるなんて本気で思ってるの? 人間には不相応な力だってことくらい、みんなから子どもだって笑われるあたしにだってわかるわ」

「やかましいっ。私をお前達のような、未熟者と一緒にするな。竜の力くらい」

 言いかけたタッフードの背後を通り、竜の巨体が天へ向かって一気に駆け上って行った。下から強い風が吹き上げ、魔法使いの髪を乱す。

「リリュース、元気になったのね! よかったぁ」

 パドラバの島で初めてリリュースを見た時は、身体全体に艶がなかった。今は太陽の光に当たり、くすんだ色をしていた黒い鱗が嘘のようにきらめいている。

 曇っていた空がいつの間にか晴れ、太陽が顔を出していたのだ。リリュースの姿を見るまで、そんなことにも気付かなかった。

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