第23話 新居へ
結婚式を終えたミライは、ファハドとふたりきりで馬車に乗り、新居を目指していた。一国の王子としてはなんとも素っ気ない式だったというのに、正面に座している本人は目尻をとろりと下げ、幸せそうに笑んでいる。
「ミライ、俺の愛しの妻よ」
ファハドがミライの左手を握り、薬指付近を撫でさすっている。友人たちの計らいで車内は二人きりの空間となった。余計なお世話、と思ったがこれは四人で輿入れすることを受け入れてくれた夫に対する、彼女たちからのお礼らしい。「粗相のないように」などと言われ馬車に押し込まれたことについては、後でしっかり文句を言ってやろう。ミライは息を吐きながら両肩を落とした。
「そんなに、嬉しいですか?」
呆れ顔で夫の顔を見上げると、緩みきった笑顔で頷いていた。
「ああ、嬉しいさ。愛する人を妻に、しかも正妃にできたんだ」
「そうですか」
ファハドはミライの手を口元に寄せキスをした。甲の部分がくすぐったくて手に力が入る。彼はその反応に満足したのか、クスリと笑う。
「ミライは少し不機嫌そうだ。なんというか、まるで俺に嫉妬しているような顔だな。どうした?」
ミライが抱えていた複雑な感情に、嫉妬という名前がつけられた。自覚はしていた。けれどあえて名付けずにいたのに。この感情を彼に向けることが理不尽なことは、ミライにだってわかっていた。そのくらいの分別はある。首を横に振って微笑する。
「いいえ。ご不快に感じたのでしたら申し訳ありません」
「ミライ、そうじゃないだろう?」
ファハドが眉を寄せ、触れている手に力を込めた。出会ってから初めて向けられる、もの悲しげな視線。何をそんなに悲しんでいるのだろうか? ミライは首をゆっくりと捻った。彼は大きく息を吐く。
「ミライ、俺の前で取り繕うな。君の全てが知りたい。いいことも悪いことも、それがどんなにわがままでも理不尽でもいい。何もかもぶつけるんだ。俺が全部受け止める」
「ファハド様、ですが……」
言えるわけがない。そう思って言い返そうとするが、ミライの唇にファハドの指が押し当てられた。漆黒の双眸からは真剣な眼差し。小さく映し出される戸惑い顔の自分。
「ミライ、言って」
ファハドの瞳に捕えられたミライは、観念して深呼吸をした。
「おっしゃる通り、私はファハド様に嫉妬しました。思い通りに、望んだものをいとも簡単に手に入れたあなたが羨ましかったのです。多少誘導されたにせよ、この結婚は自分で選んだことなのに、嫉妬するなんて格好悪いですよね。本当に申し訳ありませんでした」
言いきって頭を下げる。すると頭上からふっと息が漏れ、髪を撫でられた。
「素直でよろしい。でもな、ミライ。俺だってまだ本当に欲しいものは手に入れていない」
「え?」
ミライは少し弱気な言葉に顔をあげた。妻の手を再び唇に寄せ、ファハドが苦笑している。
「俺が一番ほしいのは、君の愛だ」
「あ……すみません」
寂しげに笑うファハドを見て、はっと気づかされる。そうだ、彼も形だけの結婚をして、最愛の人の心は手に入れていないのだ。自分が言うのもおかしな気がするが。ミライは気まずくなって苦虫を噛んだような顔で謝るしかできなかった。
「時間はたっぷりある。必ず君を振り向かせるさ」
「ファハド様……」
ファハドが柔らかに笑み、身を乗り出す。ミライの額に温かい口づけの感触。気がつけば馬車のスピードが緩やかになり、車窓からは大きな屋敷が目に入った。
「着いたな。ミライ、降りる準備をしよう」
「はい」
ファハドに支えられながら馬車を降りるミライ。眼前に広がる屋敷の大きな門がゆっくりと開く。ついさっき夫になった男は、黒の両眼を輝かせていた。
「さあ行こう。ここが俺たち夫婦の新居だ」
>>続く
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