第16話 君の味方だ

「うそ……」


 思わず顔から力が抜け、呟きが漏れる。扉が開き目の前に立っていたのは、使用人ではなくファハドだった。彼はミライの前で立ち止まり、壊れ物を包み込むように優しく抱きしめた。


「第二王子殿下、なぜここに……」


「彼女がなかなか戻ってこないのでね。挨拶がてら様子を見に」


 ミライには見えないが、父がぐっと言葉を噛み殺す声が聞こえた。王子相手に怒鳴るわけにはいかない。苛立つ様子が気配だけでわかる。


「実の子供に『忌み目』などと言う親がいるとは。面倒なので詳細の説明はしないが、アラービヤは共和国、そして近隣には黒髪黒目以外の様々な人種がいる。大昔にその血が交わり、ミライのように特徴が出て生まれる子もいる。それを忌み嫌うのは、『私は無知です』と吹聴しているようなものだぞ、マクトゥル男爵」


「し、失礼な……」


「失礼なのはどちらだ? あなたが第一王子の派閥でも、私たちの立場は男爵と王子殿下だ。言葉に気をつけるんだな。私の一言で打ち首になろうとも、第一王子は助けてはくれんぞ」


「も、申し訳ございません」


 悔しそうに、くぐもった声で謝罪する父の声を聞きながら、ミライは別なことを考えていた。ファハドは忌み目のことを知っていたのだ。幼少の頃から髪の毛で必死に隠してきた、結婚申込の際も黙っていたこの右目の秘密を彼は知っていて結婚を受け入れたのだ。一体なぜ? もう父とのことより婚約者のことが気になって仕方がない。


「男爵。あなたにとっては厄介者でも、私にとっては愛しい婚約者だ。本来なら上っ面の謝罪で許せるものではない。だが、ミライの父が第一王子派で肩身の狭い思いをするのも忍びない」


 思いやりを感じさせる言葉。なのに氷でできた刃のように冷たく鋭く聞こえる。ファハドがミライの後頭部をひと撫でする。その手は温かく、優しい。彼は自分の味方なのだろうか。戸惑いながらもミライはファハドの胸に頭を寄せた。


「ミライ、大丈夫。俺は君の味方だ」


「ファハド様……」


 ファハドがミライの頭をぽんぽんと軽く叩く。彼は次にポケットからガサガサと何かを出した。


「男爵。この書類にサインを」


「これは、養子縁組書?」


「ああ、ミライを第二王子派のサウード侯爵家へ養子に出す書類だ。私はこの書類が受理されてから彼女と結婚する。これであなたが第一王子派で責められることはなくなるだろう」


「…………」


 少しの沈黙のあと、万年筆の蓋が開く音と、筆先が紙を滑る音が耳に入る。黙っていたほんのわずかな時間、父は養子縁組をためらったのだろうか? 期待してもいいことなどないとわかっているのに、都合がいいように捉えたがっている心。嫌気がさす。


「王子殿下、ご配慮いただきありがとうございます。少し悩みましたが、あなた様の言うとおりにいたします。しかしミライは私が——」


「大事に育てた、なんて口が裂けても言うなよ? これ以上彼女を傷つけることは許さない。その時は即刻死罪だ」


 ファハドが男爵の話途中に有無を言わさず言葉を被せる。即刻死罪は本当なのだろうとミライも縮み上がる。これが王家の人間の凄みなのか。再び紙が擦れる音が聞こえ、彼の腰のあたりがモゾモゾと動いた。


「用は済んだ。私たちは帰るとするよ。行こうミライ」


 ミライの体がファハドから離れる。彼はミライの肩を抱き、男爵に背を向け外に出ようと歩き出す。しかし、それに抵抗するように立ち止まり、振り向いた。


「今まで、お世話になりました。さようなら、マクトゥル男爵」


 ミライは挨拶を済ませると、返事を聞かずに部屋を出た。ミゲルに別れを告げ、帰りの馬車に乗り込む。行きと違ったのは、正面に座っていた彼が隣に座ってることだった。


「ミライ、狭くないか?」


「平気です。お気遣いいただきありがとうございます」


「疲れただろう? 帰ったら話をしよう。今は休むといい」


「はい、ファハド様」


 行きのように抵抗する気も起きず。繋がれた右手を振り解くこともせず。ミライはファハドに半身を預け、静かにまぶたを閉じた。


>>続く

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